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『ケンカのあとに 』
氷雨 柊羽ka6767

 ごめん、ごめんね、おねえちゃん。

 ――ううん、いいの。私こそ、ごめんね。

 あやまらないで、おねえちゃんは何にもわるくないよ。わるいのは……

 ――ううん。もう言いっこなし。ね? 来週こそ、一緒にお弁当持って行こ?

 うん、約束。ふたりで、いっしょに……――





「どこにしまってたかな。この辺りにしまったと思ったんだけど……」

 季節物をまとめてある棚の中を、ごそごそとかき回す。そうしている内にもじんわり汗が湧いてくる。
 それを手の甲で拭い、氷雨 柊羽(ka6767)はふぅっと息をついた。
 今年は残暑が厳しい。おまけに湿度もなかなかだ。そこで、どこかに風鈴があったのを思い出し、せめて音で涼を得たいと思ったのだが。しっかり者の柊羽にしては珍しく、どこに片付けたのか忘れてしまっていた。

「確かここに……って、あれ?」

 指先に柔らかな物が触れる。取り出してみると、それは少々年季の入った1枚の手拭いだった。両端に染めつけられた桜花の絵柄に、柊羽の目許がふっと和らぐ。

「これは……懐かしいな」

 丁寧に広げてみると、ふわりと舞う優しい匂い。長いこと棚の中にあったにもかかわらず、それは確かに姉の香りを残していた。元の持ち主である姉の――
 優しい手触りと香りに誘われ、柊羽はこれを受け取った時の記憶を手繰り始めた。




 ハッとした時にはもう遅かった。

「あ……待っ、」

 大きな音を立てて戸が閉まる。
 泣き出しそうな顔の姉が向こう側に消える。
 ぱたぱたと遠ざかる、小さな足音。

「……お、おねえちゃ……」

 ひとり玄関に取り残された柊羽は、その時まだ7歳。
 伸ばしかけた手を引っ込めることもできず、その場に立ち尽くす他なかった。

 ――どうしてあんなこと、言っちゃったんだろう。

 膝を抱え、その場に座り込む。床の冷たさなど少しも気にならなかった。



 昨日は、姉とピクニックに行くはずだった。

 行き先は、ふたりして探検中に見つけた、森の中の小さな原っぱ。
 ぐるりを灌木に囲まれていて、外側からは少し見つけにくい。秘密基地のようで一目で気に入った。

 前に行った時にはまだ風が冷たく、花もあまりなかったけれど、今ならきっとたくさん咲いているはず。
 柊羽が好きな白い小花も、姉が好きな香りのいい薄桃の花も。
 姉はきっと、白い花冠を編んで、柊羽にくれることだろう。
 お礼に、薄桃の花をたくさん摘んであげよう。
 そんなことを考えたらもう胸がいっぱいで、一昨日の夜は眠れなかった。


 けれど、昨日の朝。
 飛び起きた柊羽とは対照的に、姉は床に伏せたまま。
 コンコン、と咳が聞こえた。姉は小さな頃から病弱で、よく体調を崩していた。
 こうして予定や約束がなしになることは珍しくなく、柊羽はがっかりしたけれど、それでも心配で堪らなかった。
 最近は調子が良いようだからと、いつもより期待していたのかもしれない。
 心配で心配で……それはウソではないのだけれど。母が作ってくれたお弁当を、ひとり部屋で食べた時には、お腹はいっぱいになっていくのに、胸は空っぽになっていく気がした。


 そして、今朝。
 柊羽が起きると、もう姉が起きていた。
 まだいくらか白い頬には、ほんのりと笑顔を浮かべて。

「心配かけてごめんね。もうすっかり元気になったよ」

 そう言って、ぐっと小さな拳を作って見せた。
 けれどそれが、案外元気そうなその姿が、どうしようもなく癇に障った。

「そう……」

 目を見ることができず、俯いてぎゅっと手のひらを握りしめる。

「……きのう、お天気、よかったよね……あそこに行けたら、きっと、気持ちよかったよね」

 しゅーちゃん、と姉が呟く声がした。言ってはいけないと思ったけれど、一度堰を切った感情は止められなかった。

「これでもう何回目だろ……おねえちゃんの具合悪くなって、おでかけできなくなるの。私がどんなに楽しみにしてたって……っ。そんなに元気なら、昨日だってホントは行けたんじゃないのっ?」

 ちがう、ちがうよ。そう言っているのが目の前の姉なのか、自分の胸の奥なのかも分からない。

「おねえちゃんなんて大キライ――!」

 ハッとした時にはもう遅かった。
 姉はそのまま家から飛び出して行ってしまったのだ。



 柊羽は立てた膝小僧にコツンと額を当てる。

「どうしてあんな酷いこと言っちゃったんだろう。すごく、すごく酷いこと……」

 キライと言った瞬間の、大きな目を更にまんまるくした姉の顔が思い出される。
 今までに見たことがないくらい――高熱でうなされている時より、激しく咳込んでいる時よりも、ずっとずっと苦しそうな顔をしていた。

 あんな顔をさせたいんじゃなかったのに。
 身体が弱いのは決して姉のせいじゃないのに。
 ただ――柊羽が感じた寂しさや、どんなに一緒にあの場所へ行きたかったのかを、ちょっとだけ姉に知って欲しかっただけなのに。


「……あやまらなきゃ、」

 立ち上がり、靴につま先を入れかけたところで、柊羽は息を飲んだ。

「あれ? そういえばおねえちゃん、どこに行くって言ってなかったような……?」

 そう思い至った途端、心臓がどくどくと早まりだした。
 どこにいるんだろう。

「まだ病み上がりなのに……!」

 自分自身の言葉でもう一度ハッとする。
 昨日の今日でそう元気になるはずがない。
 それなのに、さっきああして元気そうに振舞っていたのは――柊羽に心配かけないためだ。

「……だめ、おねえちゃんさがさなきゃ! どこかで倒れてたりしたらどうしよう。ああ、私のせいだ!」

 そうして戸に手をかけた時。
 慌ただしい足音が聞こえたかと思うと、不意に外側から戸が開けられた。
 そこに居たのは、

「……っ……」

 息を切らし、頬に汗を光らせた姉の姿だった。

「お、おね……ちゃ、」

 無事でよかった。
 さっきはごめんなさい。
 ちゃんと帰ってきてくれてよかった。
 あんなこと言うつもりなかったんだよ――。

 色んな気持ちが混ざり合い、うまく言葉にできなくて、涙になって零れ落ちる。
 泣き出してしまった柊羽を、姉の細い腕が抱きしめてくれた。
 慣れ親しんだ温もりと優しい香りに、余計に涙が止まらなくなる。
 つっかえつっかえ、ようやく言葉を口にする。

「ごめ……ごめんね、おねえちゃん」

 いいの、と姉の優しい声が答える。その上、ごめんね、とも。
 大好きな姉に謝らせてしまったことが申し訳なくて、胸がきゅうっと痛んだ。
 姉は手拭いを取り出すと、そんな柊羽の目許を優しく優しく拭ってくれた。

 その手拭いには、可愛らしい桜花の柄が染めつけられていた。




「あの時は僕も子供だったなぁ」

 ほろ苦い思い出を噛みしめ、柊羽は手拭いを胸に押し抱いた。
 けれどあの一件をきっかけに、お互い労わり合うだけでなく、本音で話せるようになっていった気がする。
 柊羽は手拭いを丁寧に畳み直すと、再び棚の中へ納めた。
 ――と。

「あ、あった」

 ようやく見つけた風鈴を持ち上げれば、チリリ……と澄んだ音色が響く。
 和物を好む姉好みの音だ。

「……今度、姉さんをここへ呼んでみようかな? この音、きっと気に入ってくれるはず」

 呟き、窓辺へそれを吊るす。
 硝子に反射した瑠璃色の光が、床の上で揺れた。
 それを爪先でちょんっとつっつくと、柊羽は新たな探し物を始める。

 ペンとレターセット。
 姉へささやかな招待状を出すために。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka6767/氷雨 柊羽/女性/17/猟撃士(イェーガー)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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納期いっぱいお時間頂戴してしまいすみません。お姉さん思いな柊羽さんの思い出話、お届けいたします。
先達て納品したお話を柊羽さん視点で、という事でしたがいかがでしたでしょうか?
ひとつのお話をふたつの方向から書かせていただくという、滅多にない貴重な体験をさせていただきました。
しっかり者で、戦闘でもクールに活躍される柊羽さんにも、子供時代があったんですね!(当たり前ですが)
イメージと違う等ありましたら、お気軽にリテイクをお申し付けください。

この度はご用命下さりありがとうございました!
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2017年09月15日

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