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『鏡幻龍の王国』
イアル・ミラール7523


「駄目よ……それ以上、近づいては駄目……」
 第1王女イアル・ミラールが、寝台の上で弱々しい声を発する。
 私は聞く耳を持たずに近寄り、手を握った。姉イアルの、たおやかな手を。
「駄目だったら……伝染って、しまうわ……」
「お姉様からいただいたものなら私、たとえ死の病でも受け入れて見せますわ」
 私は言った。声が震えるのを、止められない。目が熱く潤んでゆくのを止められない。
「どうして、このような事に……全能のミラール・ドラゴンは何故、お姉様を護って下さいませんの?」
「……大袈裟ね。貴女だけではなく、皆も」
 巨大で柔らかな枕に沈みそうになりながら、イアルが儚げに苦笑する。
「これは単なる風邪よ。それでも、貴女に伝染ってはいけないわ……その身体、もう貴女1人のものではないのだから」
「お姉様だって……鏡幻龍の姫巫女として、この国を護り導くべき大切なお身体……」
「私の代わりなんて、いくらでもいるわ」
 何を馬鹿な事を、と私は病人を怒鳴りつけてしまうところだった。
 鏡幻龍の戦巫女に、代わりなどいない。
 イアル・ミラールの代わりなど、この世に存在するわけがない。
 私にとって、この姉は唯一無二の存在なのだ。代わりなど、誰にも務まりはしない。
「しっかりなさい。貴女はね、今や私以上に……この国の命運を、背負ってしまったのよ」
 イアルが、私の手を握り返してくれた。
「……ごめんなさいね……政略結婚など本来、第1王女たる私の役目であるべきなのに」
「私、結婚なんて嫌……お姉様が治るまで、こうしていたい……」
 明日の今頃はもう、私はこの国にいない。輿入れの期日を伸ばすわけにはいかないのだ。
 私も、頭では理解している。
 鏡幻龍の姫巫女が、病に倒れた。人心の動揺は、この国そのものを揺るがしかねないほどのものである。
 このような時、隣国との関係は良好に保っておかなければならない。
 国を守るための政略結婚であり、国が滅びれば私とて無事ではいられないのだ。
 イアルの片手が、いつの間にか私の頭を撫でてくれていた。
「何度も言うけれど、ただの風邪よ。すぐに治るわ。私の事は心配しないで」
「お姉様……」
「あの王子、優しい人だとは聞いているけれど……貴女を大切にしてくれないようなら私、ミラール・ドラゴンを引き連れて殴り込みに行くわよ。戦争になったって構わないわ」
「……ありがとう、お姉様。お気持ち、いただきましたわ」
 無理やりに、私は微笑んだ。
「私、お嫁に行きます。政略結婚でも何でも絶対、幸せになって見せますから」


「イアル・ミラール姫巫女殿下の、ご容態は?」
「明日をも知れぬ。と言うか……今、生きておられるのが不思議なほどよ」
「妹君の輿入れを見送るまでは、と気張っておられるのだろう。おいたわしい事」
「その妹君も、明日はもはや王宮におられぬ。気が抜けたように逝ってしまわれかねんぞ、姫巫女殿下は」
「例の秘術……準備は、整っておる。もはや、あれに賭けるしかあるまい」
「馬鹿な、憑代がいるとでも……ま、まさか、あの女傭兵を!?」
「すでに確定した斬首刑を執行せず、今まで生かしてあるのはな、この時のためよ」
「あの殺人鬼・性犯罪者に、我が国の命運を託さねばならんのか!」
「仕方あるまい……我が国はな、鏡幻龍の戦巫女を失うわけにはいかんのだ」
 この日、この王国のどこかで行われた会議である。


 臭い、とイアルは思った。
 人間の意識を取り戻して、最初に感じたのが、この悪臭である。
 何の臭いであるのかは、すぐにわかった。
 自分の臭い。自分が、垂れ流しぶちまけたものの臭い。
 己に対する嫌悪感が、イアルの中で激しく渦を巻く。
「嫌……いや……いやぁ……ッ!」
 人間の意識を取り戻して、最初に発した言葉が、それである。
 慣れた事、ではあった。今まで幾度も、この目には遭ってきた。
「……お目覚めかな? 牝犬の姫君」
 懐かしい声が聞こえた、とイアルは思った。
 いや、懐かしくなどない。あの妹は、こんなふうに冷たく蔑む口調で、誰かに話しかけたりはしない。
 懐かしい顔が、そこにあった。
 いや、懐かしくなどない。妹は、こんなふうに冷たく蔑む眼差しを、誰かに向けたりはしない。
 私、お嫁に行きます。政略結婚でも何でも絶対、幸せになって見せますから。
 そう言って涙ぐむ妹の笑顔が、しかし今、目の前の冷酷極まる女盗賊の美貌と重なってしまう。
「まったく。何でもしますから、おトイレに行かせて下さいと、泣いてお願いすれば良いものを……それもせずに人の家で、所構わず粗相をしてくれて。躾が全くなっていない、お前はまさしく王家の面汚しだ。私が躾けてやろうか? ええおい」
「王家の面汚しである、私を……この世から消す。それが、貴女の目的なのでしょう」
 犬の如く鎖に繋がれたまま、イアルは女盗賊を睨み据えた。
「……さっさと殺しなさいよ! あの子の血を引く貴女になら、殺されてあげてもいいわ」
「それが出来るのならば、とうの昔にやっている」
 女盗賊が暗く微笑み、手にした鞭をピシッと振るい鳴らす。
「……私もな、自分が何をしているのか全く理解出来ていないのだ。お前など今すぐ、この鞭で首を……いや、その無様に屹立したものを、刎ね飛ばしてやりたい。イアル・ミラール、お前はこの世で最も無様な存在だ。その無様さが……何故だか、わからんが……愛おしい……と、言うべきなのかな」
「何を……!」
 激昂しかけて、イアルは息を飲んだ。
 声が出ない。息苦しい。声帯も呼吸器官も、硬直している。
 体内から、石になりかけている。
「難儀な呪いに囚われている……哀れみも、あるのかも知れん。とにかく裸足の王女、私はお前を殺したくはないんだよ。ではどうするのかと訊かれても困る。本当に、どうしたものかなあ」
 ふざけないで、と喉の奥で叫びながら、イアルは石像に変わっていった。
 自分が、またしても物として扱われている。
 物として扱われる無様な自分に、遠い昔に失われた眼差しが向けられている。
 哀れむように見つめてくる女盗賊の苦笑が、またしても、涙ぐむ妹の笑顔と重なった。
(見ないで……私を、見ないで……貴女にだけは、見られたく……ない……)
 その意識をとどめたまま、イアルの脳も石化していった。


 自分自身を、鞭で打ち据えてやりたい気分だった。
「何を……している、私は一体……!」
 目の前ではイアル・ミラールが、鎖で繋がれたまま牙を剥いている。
「ぐるッ! ぐぁるるるるる、がふうぅっ!」
 鎖がもう少し長ければ、私はその牙で喉を食いちぎられているところだ。それでも構わない、とさえ思える。
 今の私は、この牝獣と同じくらいには無様な存在だ。
 石像に変わったイアル・ミラールから、この鞭を使って石化成分を搾り出す。
 生身に戻った『裸足の王女』から名前を奪い、こうして獣に変える。粗相を放置して、アジトを汚す。
 このような、くだらない遊びをやめられない自分を、私は鞭で絞め殺してやりたかった。
「何故……何故なのだ。私は何故、このような……!」
「それが、裸足の王女。支配の石像よ」
 声がした。身の毛もよだつ、ウォーターフォンの音色と共にだ。
「所有物として、支配しているはずがね……いつの間にか、所有者の方が支配されているのよ。くだらない遊びから、抜け出せなくなってしまう。私もねえ、そうだったわ」
 1人の女が、そこにいた。私が愛用している椅子に、その豊麗な肢体をゆったりと沈めながら、左右の繊手で優雅にウォーターフォンを奏でている。
「とても楽しかったのは、否定しないけれど」
「何だ貴様……」
 私は後退りをした。
 誰何の必要はない。私も一応、この女の事は知っている。
「……巫浄……霧絵……? いや、幻影か……影武者の類か……」
「私、イアルに会いに来たのよ? 幻影や影武者なんて、送るわけがないでしょう」
 霧絵は言った。
「覚えておくといいわ。私はね、その気になれば……どこにでも、いる」
「虚無の境界の盟主が、このような場所に軽々しく身を運ぶとは……IO2が、貴女の所在を掴むため血眼になっているのを知らぬわけではあるまいに」
「あらあら、私の身を案じてくれる余裕があるなんて……泥棒猫さんにしては、頼もしい事」
 ウォーターフォンが一際、禍々しく鳴り響く。
 私の周囲で、空間が歪んだ。その歪みが、いくつもの凶悪な人面を形作り、牙を剥いている。
 霧絵がもう1度ウォーターフォンを鳴らせば、それらの牙は一斉に、私の全身を食いちぎるだろう。
「イアルが、随分と粗相をしているようね」
 垂れ流しの汚物で汚れきったアジト内を見回しながら、霧絵は言った。
「いきなり石になったり、自分でおトイレも出来ない動物になったりと、イアルのそんな体質は前々からの事だけど……この際、一気に改善してしまいましょう。その治療費として、貴女が集めた『裸足の王女』関連の品物はもらって行くわよ。どうせ処分するつもりだったのでしょう?」
「何を、勝手な事を……」
「お黙り」
 禍々しく赤く輝く瞳が、じっと私を見据えている。
「私がちょっとプロデュース業で忙しくしている間に、裸足の王女を好き勝手に扱う輩が随分と増えたもの……これもね、覚えておきなさい。イアルを玩具にしていいのは、この私だけよ」


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/20歳/裸足の王女】
【NPCA024/巫浄・霧絵/女/年齢不明/虚無の境界 盟主】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年09月25日

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