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『破滅が忍び寄る悦楽の日々』
イアル・ミラール7523


 入浴直後の就寝・睡眠。
 これに勝る幸福はない、とイアル・ミラールは思っている。
 ほかほかと湯のぬくもりを身にまとったまま布団を被り、眠りに落ちる。
 まさに、至福の時だ。
 昨夜も、そうであったはずだ。
 汚れ放題であった身体を、豪勢なバスルームで隅々まで洗い清めた後、同じく豪勢なベッドに飛び込み、至福の中で意識を失った。
 そのベッドが、汚物にまみれている。
 布団もシーツも、汚れながらズタズタに裂け、もはや使い物にならない。
 粗大ゴミと化したベッドの中、ではなく床の上で、イアルは目を覚ました。
「何……これは……きっ汚い、臭い……」
 それは、イアル自身の臭いであった。入浴という習慣を持たぬ、野生動物の臭い。
 心地よい入浴を済ませてから眠りについた、はずの自分が、獣臭さを発している。
 まるで動物園の檻のようになった寝室の中で、イアルは今、汚れた床に座り込み、呆然としている。
「お目覚めかな? 野良犬の姫君……いやいや。野良犬だって、もう少し行儀が良い」
 声をかけられた。
 鏡幻龍の王国の末裔、である女盗賊が、いつの間にかそこにいて愉しげに微笑んでいる。
「ああ、ベッドの事は気にせずに。お前に台無しにされる事を前提に用意したものだからね」
「私が……台無しに……?」
 イアルの声が、震えた。
 何が起こったのかは、わからない……否。理解する事を、自分が拒んでいるだけだ。
「あ……あぁ……ッッ! ……嫌……ぁ……」
 慣れた事、ではある。だがそれは、受け入れるという事を意味するものではない。
 青ざめ、頭を抱え、悲鳴を漏らすイアルを見つめながら、女盗賊が謎めいた事を呟いている。
「これだよ……これ。私は結局、これを見たかっただけ……ふ、ふふふ。お前の事を悪くは言えないねイアル・ミラール。今の私は、お前と同じくらいには浅ましい存在……」


 かつて、1人の芸術家がいた。
 女性である。
 20代後半で花開き、それと同時に病に倒れ、この世を去った。
 この世に様々な、おぞましいものを遺してだ。
 絵画、塑像、彫刻……彼女の作品は、とにかく醜悪であった。
 拙劣ではない。醜悪なのである。
 美しいものを作り出せる技術を彼女は、醜いものの製造にのみ注ぎ込んだ。
 魔女結社とも関わりを持ち、生きたまま石化した人体を素材として購入したりもしていたらしい。
 ある一連の作品群を結局、世に出さぬまま彼女は死んだ。
 その作品群は、所有権を巡る裁判が行われている最中、盗難に遭った。
 犯人から買い取ったものを、巫浄霧絵はそっと撫でた。端正な指先で、鑑賞した。
「イアル……」
 呟いてみる。
 間違いなく、これらはイアル・ミラールだ。そんなふうに、錯覚してしまう。
 あの女芸術家が、イアルの肉体から型を取り、その中に様々な材料を流し込んで加工したもの。
 イアルの身体を、鑿や彫刻刀で切り刻み、ガスバーナーで焼き削る。そんな気分に浸りながら、彼女はこれらを作り上げたのだろう。
「私に、何の断りもなく……」
 霧絵は思う。
 かの女芸術家が存命であれば、今から殺しに向かうところだ。
 死んだのであれば、その魂をおぞましい悪霊に変え、永遠にこき使ってやりたいところである。
 だが彼女は、芸術家として生を全うし、何1つ思い残す事なく世を去った。魂などという未練がましいものを遺さずにだ。
 代わりに、あの女盗賊を、生きたまま醜悪な怨霊に作り変えてやろうかとも思った。
「だけど、まあ……今は、許しておいてあげる。貴女は私に、これをくれたから」
 1人の芸術家の遺作群を、霧絵は見つめた。
 様々な形に加工された、何人ものイアル・ミラール。いつまででも、見つめていられる。
 しばらくの間、生かしておいてやる。
 その代金としては、まあ充分であった。


 いつまででも、見つめていられる。
 私が虚無の境界に殺されるまでは、だ。
「がるるるる……がふっ、がふっ……」
 獣と化したイアル・ミラールが這いつくばり、床にぶちまけられたスープを舐め取っている。散乱した肉やサラダを、喰らい尽くしている。
 私は、褒めてやった。
「よーしよしよし、いい子だね。食べ物を粗末にしないのは実に感心だ」
 イアルを、夕食に招いた。
 その席で私は、彼女を石化してみたのだ。
 予測不可能な状況で突発的に、イアルが石化する事はなくなった。その代わり私の好きな時に、虚無の境界・秘術の呪文で、彼女を石像に変える事が出来る。
 盟主・巫浄霧絵が自ら、そのような形にイアルの呪いを改造してくれたのだ。
 あの贈り物が余程、お気に召したらしい。
 これをくれるの? いいわ、それなら……イアル・ミラールを、しばらく貴女に貸してあげます。自由になさい。いずれ私に殺される覚悟があるのなら、ね……殺される、だけで済めば良いけれど。
 虚無の境界・盟主は、そう言い残し、去った。
 名前を奪い、獣に変える。イアルの石化を解く、唯一の手段である。
 それによって石像から牝獣へと変わったイアルが、大暴れをして食卓をひっくり返し、今は肉食獣の姿勢で床を舐め回している。
 そして突然、人間の意識を取り戻した。
「…………!! わ、私……何を……」
「おはよう牝犬の姫。ふふっ、何でも食べる元気な子は嫌いではないよ?」
「……もう……嫌……」
 イアルが、座り込んで泣きじゃくる。
 私の心臓は跳ねて高鳴り、ほっこりと温かなものが胸いっぱいに広がっていった。
 そう遠くない未来、私は巫浄霧絵に殺される。あるいは生きたまま、よくわからないものに作り変えられ、死ぬ事も出来なくなる。
 今、この楽しみを享受出来るのなら、それも構わない。


 もはや幾度目かは、わからない。
 とにかくイアルは、またしても石化し、そこから獣に変わり、醜態を晒した。
 石像に変わったが最後、獣の状態を経なければ、こうして元に戻る事が出来ないのだ。
 豪勢なバスルーム。
 イアルの現在の飼い主とも言うべき女盗賊が、浴槽にもたれて寝息を立てている。
 獣に変わったイアルを、浴室で鎖に繋いで散々、玩具にしたところである。
 玩具にされながら、イアルは人間の意識を取り戻した。
 獣から人間に戻る瞬間。それを、この女盗賊はひどく気に入ってしまったようだ。
 気に入り、楽しみ、遊び疲れて寝入ってしまった彼女を、イアルはじっと見つめた。
 寝顔がやはり、遠い昔に失われてしまった面影と重なってしまう。
「……どうするのだ? 戦巫女よ」
 声がしたので、イアルは振り向いた。
 バスルームの鏡に映った自分と、目が合った。
「お前が今すぐにでも私の力を振るえば、脱出は容易だ。言うまでもなく、わかっているとは思うが」
 鏡の中のイアルが、なおも言う。
「……何故、それをしない? このような場所に何故、とどまろうとする」
「わからない……」
 本当はわかっているのだ、とイアルは思う。わかっている事であるほど、受け入れ難い。
「これもまた言うまでもない事だが……その娘は、お前の妹ではないのだぞ」
 鏡の中のイアルが、容赦なく告げた。
「IO2が、いずれここを探り当てる。虚無の境界にも目をつけられている……その娘、もはや生きてはいられん。守るために戦うのかイアル・ミラール? ヴィルトカッツェや、巫浄霧絵と」


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/20歳/裸足の王女】
【NPCA024/巫浄・霧絵/女/年齢不明/虚無の境界 盟主】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年10月02日

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