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『光 』
リィェン・ユーaa0208
「今日の訓練は免除とする」
 紳士の国の特殊部隊から引き抜かれてきたという白人の教官が、それはそれは美しい英語で告げた。
「明日の14時27分、我が古龍幇はひとつの作戦を決行する。その際の陽動と要人誘拐、それが諸君に与えられる任務だ。成果によっては引き上げられることもあるだろう。死力を尽くし、為すべきを成すように」
 古龍幇とは、香港を拠点として黒社会(ハクセイウー)に広く根を張る組織の名だ。
 寄る辺なき身の上であった少年は誰かの思惑でここに蹴り込まれた。どうやら暗殺者を養成するための下部組織であるらしいが、少年に与えられた情報はごく断片的なものだったし、なによりそんなことを気にしている余裕がない。ここでなにかをしくじれば、その場で死ぬのだ。これまでに死んだ同僚と同じように。
「それでは解散――と、そこの君。30分後、私の部屋へ来るように。作戦に先立って指導するべきことがある」
 指されたのは、少年の左に立つ痩せこけた女子。
 虚ろに濁った心の隅で少年は息をつく。
 こんなところへ堕ちてくるような男がなにをしようとしているのかは明白だが。そのおかげで、今夜は邪魔をされずに眠ることができる。


 作戦開始まで3分。
 少年は割り当てられた配置場所である香港の雑踏の片隅に身を潜めていた。
 話では古龍幇の本隊が到着しているはずなのだが、姿はおろか気配すらもない。まあ、末端に知らされることなど極々限られたものにすぎないのだから、上は上で思惑なり手なりがあるのだろう。
 そうしている間に、無秩序な人波を押し分けるようにして一台のセダンが滑り込んできた。ごく普通の車両に見えるが、車体の沈み込み具合と造りの物々しさ、色合いから、対弾対爆仕様の特別車であることが知れた。
 主となる標的はある組織の中心人物であり、古龍幇の前にいずれ立ちはだかる敵となる男。彼はオーダーしていたスーツを受け取るため、車から降りる。
 しかし突っ込むのはそのときじゃない。標的が買い物をすませ、ドアを引き開けようとした瞬間――全身を晒した標的が、盾となるドアの守りを得られない状況で、攻める。
 そう。少年の任務である標的の娘の誘拐もまた、その状況でなければ為し得ないのだから。
 ハンドサインのリレーが街を駆け抜けて少年まで届いた。行動用意。それに従い、少年はなんでもない体を装いつつ全身の筋肉を意識して動かし、アップを開始した。
 別の地獄へ引き上げられたい気持ちはない。ただ今日を生き延びるため、行うだけだ。

 果たして。
 そのときが来た。

 標的が、娘を伴って店を出た。
 少年の同僚たる男子ら、女子らが人波に乗り、するすると近づいていく。
 ゴーサインが出た。
 標的がおどけたしぐさで娘を促し、車のドアに手を伸べた瞬間。
 一斉に暗器を引き抜いた子どもたちがその体へ殺到する。
 え?
 唐突に。先頭を担っていた男子の後頭部が爆ぜた。
 カウンター!? いや、スナイプか!
 装うことをやめて頭を低く下げ、混乱する人々の足元をすり抜けながら少年が視線を巡らせる。ここからではなにが見えるはずもなかったが、男子の頭を砕いた弾丸の角度をなぞれば、それは男子というより、標的の心臓を狙ったものである可能性が高い。
 確実に殺すため、あえて低速で発射されたダムダム弾。得物からしても狙いの甘さからしても、古龍幇ではない。だとすれば――別の組織か。
 同僚が、一般人が、差別も区別もなく同じように血肉を噴いて倒れ込んでいく。
 一秒でも速く標的へたどり着き、任務を果たさなければ。下手を打てば死ぬし、それができなければ結局は殺される。
 標的の男は開いた車のドアの内側部分を盾とし、娘をその後ろへ隠れさせる。なるほど、撃ちにくい場所からの狙撃はこれを狙ってのものか。感心すると同時、忌ま忌ましさがこみ上げた。同僚が減ればそれだけ少年が危険に晒されるからだ。
 と。
 同僚の女子が爆ぜた。撃たれたのではない。自ら、半径二メートルを道連れにして吹っ飛んだのだ。
 夕べ教官に呼び出された女子だった。打ち込まれたのは欲望だけでなく、爆弾もだったようだが、これで知れた。
 本隊などこない。
 組織は「子どもによる要人襲撃」という寸劇をなにかのアピールか取引材料にでも使おうとしている。たったそれだけのことのため、自分たちはここで使い捨てられるのだ。
「はは」
 口を突いて笑いがこぼれ落ちた。
 明日の地獄どころか、なんとしてでもしがみつきたかった今日ですら、少年は取り上げられるのだ。ああ、そうだろう。いい子を褒めてくれる神様すらいないのに、悪い子を救ってくれる神様がいるわけがない。
 それでも。
 俺は。
 標的の男は人々の避難誘導のため、娘を残して駆け出した。今だ。今しかない。任務を果たすには。どんなに無残な明日でも、そこへたどりつくには、行くしかないのだ。
「ああああああああ!」
 吠えながら全開の車のドアの脇をすり抜けようとして、なにかにぶち当たって盛大に倒れ込んだ。
「なによ! あたしそんなに重くないんだけど!?」
 甲高いくせに、強い声音。
 したたかに打ちつけた鼻からあふれ出る血をぬぐってそちらを見れば、彼と同じ年頃の少女が唇を尖らせていた。
 ――標的!
 それは少年が誘拐すべき娘。父に、周囲の者に守られるのが当然の、無力なはずの一般人なのに。
 少女はどこから撃たれるかも知れない混乱のただ中へ進み出ていく。
「頭を下げてこの車の影に! 歩けない人はあたしを呼んで! すぐ行くわ!」
 少女は恐怖に取り乱す人々を、いつ爆発するかも知れない同僚を、まさに差別も区別もなく救おうと声を張り上げる。
「てめぇなにしてんだよ!?」
 思わず少年があげた声に少女は振り返らず。
「紳士の言葉づかいじゃないわね。でも今はゆるしてあげる。早く逃げて」
 逃げる!? そんなのできるわけねぇだろ!
 苛立ちを込めた手で少女の襟元を引っつかもうとして、空振った。一瞬速く進んだ少女に置いて行かれたのだ。
「ひとりでもたくさん助ける。パパは絶対逃げたりしない人だから、あたしも絶対逃げない。パパと同じ、正義を貫く!」
 正義? 正義だって? こいつ本気か? だとしたら。
「サイコ野郎かよ」
「野郎じゃないんですけど!? ……女郎?」
 うん、頭と目はそれほどよくないっぽい。
 なにせ斜め前から狙ってる青竜刀の男にすら気づかないんだから。
 少年は少女の前へ駆け出し、ワイヤーで繋いだ分銅を投げた。そして青竜刀を絡め取って引き、たたらを踏んだ男の鳩尾へ膝を打ち込んで刀を奪う。
「裁くのはあたしでも君でもない。警察と裁判所よ」
 とどめを刺そうとした少年の刀が、少女の両手で止められていた。
「クレイズィーサイコ女郎」
 わざと本場を揶揄して巻き舌で言ってやりつつ、刀を放り出す少年。
「ん? まちがってないけど、なんだかおかしい……」
 少女は悩みつつ、少年の手を掴んだ。
「あ? なんだよ? 刀はもう捨てたぜ?」
「逃げろって言ったの聞こえなかった? 君、ちょっと普通じゃないみたいだけど、あたしが守るから早く!」
 少年は喉の奥に押し詰まった言葉をため息に変えて吐いた。こうなったのは自分たちのせいなんだとは言い出せずに。
 言えない理由は知れている。
 初めて出逢ったこの少女に、自分が正義に誅されるべき悪だと知られたくなかったのだ。

 殺すためではなく、生かすために手を伸べられ、この手を取られた。
 その手は、たまらなくあたたかくて、強かった。

 たったそれだけのことに、どうしようもないほど心が跳ねている。
 なんだってんだよ、これ。
 どうしたってんだよ、俺。
 ちがう。ちがうちがうちがう。わかってるんだよ俺は!
 古龍幇に落とされた彼が、ただそれだけは握り締めていた正義――同じ境遇の仲間を救い、その盾となって拳を振るうのだと誓った義心。組織での日々の中、仲間は失われていき、その度にすり減らされて、ついには消え失せたはずのそれが今。
 彼の黒いばかりだった虚心にほのかな火を灯し、揺らがせていた。
「……声かけて回んだろ。ついてこい」

 標的の男とその娘の誘導、そして男が呼び寄せたらしい一団の武力制圧により、騒動はあっけなく終局した。
 失われた命は数十にもなったが、多くは少年の同僚ともうひとつの組織の刺客だった。
 終わった。少年は息をつき、少女の手からからそっと自分の手を離す。これからどうなるかわからないが、それはそれでいい。なぜかそう思えたから。
「その子は刺客だ! すぐに離れるんだ、テレサ!」
 標的の男が、他の者たちと共にこちらへ駆けてくる。
 ああ、いいぜ。わかってるさ。俺は悪だからよ、正義に滅ぼされなきゃダメだよなぁ。
 苦笑しつつ拳を握り締めた少年の眼前を、ふたり。美しい金の髪が塞ぐ。
「そうかもだけどちがう! あたしのこと助けてくれた! それに、みんなのことも――」
 なんだよ。
 助けたの、てめぇじゃねぇかよ。なのによ、なんでそんなこと言うんだよ。
「この子はあたしが保護する! あたしに教えてくれたのはパパだよ……人は誰かが伸ばしてくれた手でこそ救われるんだって。どんな闇の中にいても、たったひとつの救いがあれば変われるんだって。だから!」
 すげぇかっこいいな、てめぇ――きみ? くそ、なんだよ紳士の言葉づかいってよ! ああもうめんどくせぇ!
 少年は少女の背に手を置き、押し出した。
「え?」
 前にのめる少女が、駆けつけた男の手の内に収ったことを確かめて、少年は避難する人々のただ中へとその身を潜り込ませた。
「待って! せめて名前くらい言っていきなさいよーっ!」
 追いかけてきた少女の声音にひとり笑み、少年は胸の内で応える。
 いつかきみに名乗れる名前ができて、きみの前に立っていい俺に変われたら会いに行く――テレサ。
 誓いがこぼれ落ちてしまわないように、少年は今度こそその拳を握り締めた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【リィェン・ユー(aa0208) / 男性 / 22歳 / 義の拳客】
【テレサ・バートレット(az0030) / 女性 / 22歳 / ジーニアスヒロイン】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 闇底を這う少年が見たは救いの金光。
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2017年10月12日

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