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『鏡幻龍の追憶』
イアル・ミラール7523


 皇族に、オークよりも醜い人間がいる。
 帝国史上、最も暗愚で最も醜悪なる皇帝。
 長らく、そう陰口をきかれ続けてきた。
 確かに、私は醜い。顔面の肉は脂ぎって垂れ下がり、身体はでっぷりと肥え太って馬にも乗れない。剣も槍も、まともに持った事はない。筋骨たくましいオークの雑兵たちの方が、まだ美しいとさえ言える。
 そんな私という、この世で最も醜悪な人間が、この世で最も美しいものを今、支配下に置いたのだ。
「イアル……ミラール……ついに、我が手に……そなたを……」
 鏡幻龍の姫巫女が今、私の眼前で、生きたレリーフ像と化している。
 その優美な肢体を、暗緑色の魔法物質が隙間なく塗り固めているのだ。
 我が配下の、黒魔術師たちの手によるものである。
 鏡幻龍の王国は滅び、その神聖さの象徴であった姫巫女は、我が帝国による支配の象徴と化していた。
 イアル・ミラールがこのような境遇を甘受したのは、王国の民の安全保障と引き換えである。
 端的に言えば我々が、鏡幻龍の王国の民を人質に取ったのだ。
 そなたの降伏が1日、遅れるごとに、王国の民が100人死ぬ。
 私がそう言った、その日のうちにイアル・ミラールは投降した。この戦巫女が、王国の民など無視して鏡幻龍の力を振るい、戦っていたとしたら、我が軍は敗れていたかも知れない。
 それほどの女傑が、私のような醜悪・低能なる男の所有物となったのだ。
「のう姫巫女よ……私が約束など、守ると思っているのか? んん?」
 語りかけながら私は、黒魔術師たちから預かった魔法の宝珠を掲げた。
 暗緑色の魔法物質が、消え失せた。生身に戻ったイアル・ミラールが、私の眼前で跪く。
「そなたの王国の民は今頃、我が軍の兵士どもによって蹂躙され尽くしておる頃よ。特に女たちがどのような目に遭うているものか……語るまでもあるまい? そなたの身体に、教え込んでくれようて」
 イアルが顔を上げた。
 私を見つめる瞳に、意思の輝きはない。黒魔術師たちによって、完全に自我を奪われているのだ。
 今のイアルは、私の命令のみを受け入れる、生きた人形だ。私の、奴隷なのだ。
 私の醜悪な肉体の、もっとも汚らわしい部分が、贅肉を押しのけるようにして屹立する。
 そこにイアルが、美しい唇を、おずおずと触れてくる。
 私という醜く暗愚な男が、この世で最も美しく英邁な女を、何の苦労もなく私物化する。人形として、玩具として扱う。
 この世に、これほどの快楽が他にあるとは思えなかった。


 まずは牛や馬を鞭で打つ事から始めた。最初は、遊びだった。
 かわいそうになったので、次は人間を鞭で打った。人間の、大人の男なら、いくら鞭をぶつけても何故か哀れみは起こらないのだ。
 そして人間の身体は、牛や馬ほど頑丈ではない。たやすく皮膚がちぎれて肉が裂ける。
 快感だった。
 その快感を求めて、私は鞭を振るい続けた。鞭を用いての戦闘技術を修得し、実戦で活かし、いつしか人間の皮膚や肉のみならず骨までも鞭で粉砕出来るようになった。
 今ではこんなふうに、首を刎ねる事も出来る。
「ひっ……ふひいぃ……」
 皇帝が、無様に尻餅をついた。小便の飛沫が散った。
 首から上を失った近衛兵の屍が、私の周囲でことごとく倒れてゆく。
 血まみれの鞭をビシッ! と鳴らしながら、私は足取り強く皇帝に歩み迫って行った。
 外見・性情ともにオークよりも醜悪と言われる皇帝。頬の肉も腹の肉も無様に垂れ下がって、聞きしに勝る滑稽さと言える。
 黒魔術で身体をいじり、寿命を延ばしながら随分と長く生きているらしい。
 今や老醜の塊である皇帝に、私は微笑みかけた。
「これはこれは皇帝陛下……この国の支配者として雄々しく戦場に立たねばならぬ御方が一体、何をなさっておられますか」
 美貌には自信がある。私に微笑みを向けられて、心乱さぬ男はいない。
 18歳になった。
 戦場で鞭を振るう武勇無双の王女として現在、売り出し中の私である。
 美しく鍛え抜いてきた肢体に、皇帝が怯えながらもギラギラと嫌らしい眼差しをまとわりつかせて来る。
 胸の谷間でも太股でも好きなだけ見れば良い、と私は思った。どの部分にも自信がある。最後の眼福を、せいぜい堪能すれば良いのだ。
「まるで皇帝陛下のその御立派な贅肉の如く、国境の守備もだらけきっておりましたゆえ……戦争を、仕掛けさせていただきました。鏡幻龍の王国の仇、討たせていただきますぞ」
 我が国は、鏡幻龍の王国とは同盟を結んでいた。私の祖母が、かの王国より嫁いで来たのだ。
 祖母の姉が、鏡幻龍の戦巫女であったという。
 その戦巫女が、王国の民を人質に取られてあっさりと帝国に投降してしまった。同盟国である我が国が援軍を送る暇もなく、戦が終わってしまったのだ。
 愚か、としか言いようがない。王族たる者、民の千人や1万人は見殺しにして事に当たるべきなのだ。民や兵を1人も死なせずに戦を終わらせるなど、いかなる名君名将でも不可能なのだから。
 自分の大伯母である戦巫女に対し、だから私は軽蔑の念しか抱いていない。
 この醜い皇帝によって、いかなる目に遭わされてきたのか、想像はつくが自業自得としか思わない。
「そして皇帝陛下、貴方が死ぬのも自業自得……」
 私は鞭を振るった。
 醜く老いさらばえ、無様に垂れ下がった皇帝の顔面が、ちぎれて飛び散った。
 飛び散ったものがビチャビチャッと付着する。傍らに立つ、等身大のレリーフ像に。
 私の大伯母が、そこにいた。
 暗緑色の魔法物質に塗り固められ、生けるレリーフ像と化した戦巫女。
「イアル・ミラール……」
 名前は、私も知っている。
 私の祖母は王太后、後宮を取り仕切る妖怪めいた老婆である。
 その姉であるはずの女性はしかし、固まった魔法物質の中で、私とさほど変わらぬ若さを維持していた。美貌そのものは私より上だ。
 そして、臭う。男の臭いだった。
 私に鞭打たれた男どもが、悲鳴を上げながら噴射していたものの臭い。
 それがイアルの、唇から、手から、胸から、全身から、漂い出している。
 悪臭を発する男の生気を全身に浴びて、若さを保っている。私には、そうとしか思えなかった。
「汚らわしい……!」
 私は吐き捨てた。このイアル・ミラールが生身であったら間違いなく、鞭で首を刎ねているところだ。


 バスルームに突然、重い音が響き渡る。
 私は目を覚ました。
 見回してみる。バスルームであるという事に、ようやく気付いた。
 今まで見ていたものが、夢であったという事にもだ。
「……鏡幻龍……貴方の、仕業か……」
 問いかけても応えはない。当然だった。鏡幻龍と会話が出来る者は、この世にイアル・ミラールただ1人なのだから。
 そのイアルが、浴槽の中にいた。
 まるで私が眠っている間に、数十年もの時が流れてしまったかのようである。イアルは石像と化し、苔むしていた。
 そして相変わらず、1部分だけが生身である。
 その部分が生々しい臭気を発し、苔の悪臭と混ざり合う。
 私は顔をしかめた。手元に鞭があれば、この醜悪なものをちぎり飛ばしているところであろうか。それとも締め上げて、さらに悪臭を発するものを噴出させるのか。
 どちらもせずに私は浴槽に身を沈め、イアルのその部分に唇を触れていった。むせかえるような臭気が鼻腔を満たすが、耐えた。
 何故このような事をしているのか、自分でもわからない。無理矢理にでも理由を探すとしたら、ここが風呂場であるからだ、という事にでもなるだろうか。
 風呂は、人の身体を洗う場所だ。ならばイアルの苔むした全身を洗浄してやるべきなのだ。そのついでに、石化成分を吸い出して生身に戻してやるのも良い。
 そうしない理由も、特に思い浮かばなかった。  


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/20歳/裸足の王女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年10月13日

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