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『嘘の真 』
シリューナ・リュクテイア3785
「さて、そろそろ潮時というものかしらね」
 自らの書斎の内、年代物のプレジデントチェアにしどけなく身を預けたシリューナ・リュクテイアは、黒のワンピースから伸び出す両足の先で一点を指す。
 そこにあるものは一体の真珠像――自らをオブジェと化し、シリューナに愛でられたい。そんな妄執の果て、望みどおりの姿となった自称魔族の少女である。
 少女が浮かべる恍惚の表情は、芸術に造詣の深いシリューナの目から見ても申し分なく美しい。この像ひとつのため、シリューナの名を冠してオークションを開催できるほどに。
 おそらく、世界中から札束や希少な魔法具を抱えた好事家が集まることだろう。そしてどこへ行ったとしても、申し分のない待遇を受けるはずだ。
「でも、あなたは私に愛でられたいと言った。他の人に渡すのは不誠実よね」
 言いながら、シリューナは我が身をかき抱く。
 自分が認めた名品を他者の目と手で穢されることは、好事家にとって耐え難く、それと同じほどに甘美なものだ。この世界には「寝取られ」なる嗜好が存在するそうだが、もしかすればそれに近い情動なのかもしれない。
「貝殻に封じられたあなたの心は、私の裏切りを嘆くの? それとも同じ性とそれ以上の欲を持つあなたなら、それすらも悦ぶのかしらね?」
 チェアから身を起こし、素足のまま像へと歩み寄った。
 指先で真珠の笑みをなぞり、半ば閉じられた両眼を飾るまつげを弄び、首筋をくすぐる。限りないやさしさと、湿った寂寥を込めて。
「私はこれから最大の裏切りをあなたに贈るわ。真珠から解き放して生身に戻す」
 シリューナの指先に描かれた軌跡が魔法陣を成し、術式を少女の体へ染みこませた。
 貝殻を構成するタンパク質を肉のそれへとすげ替え、固められていた血を解き、少女の一瞬を切り取った永遠に、流れゆく時間を溶かし込んでいく。
 果たして。
「――あ、ああ、あ」
 真珠の恍惚が彩を失くし、生身の万感が露われた。
 光が、音が、温度が、一気に少女を押し包んで痛めつける。
「存分に愛でさせてらったわ。あなたという芸術を」
 用意しておいた毛布を少女へかけてやりながら、シリューナが言った。
「なんにも……なんにも憶えてない。知らない。でも、幸せだった。幸せだったから、今あたしはたまらなく不幸なんだ」
 少女の虚ろに濁った両眼から、ぽろり。涙がこぼれ落ちた。
 シリューナは苛立たしげにすがめた赤眼を少女から振り放し、低く返す。
「同じ不幸に落ちてきてくれて幸いよ。独りは寂しいものね」
「え?」
 なんでもないわ。唇の先で紡ぎ、シリューナは茶の道具を取りに台所へ向かった――逃げ出すように。

「蒐集家としては得がたい体験だったと思うよ」
 来客用のソファに浅く腰かけ、シリューナが手ずから淹れたキーマン(中国産の紅茶。世界三大銘茶のひとつ)をすすって少女がうなずく。
 現実の中に引き戻されて一時間、ずいぶんと気持ちも落ち着いたようだ。
「欲を言えばキーマンよりウバのほうがよかったけどね。今、このスモーキーなフレーバーがやけにキツイから」
 シリューナはホルスタインの低温殺菌乳を汲んだミルクピッチャーを少女のほうへ押しやり、薄笑んだ。
「結構な時間真珠化していたものね。生身に戻ったばかりで過敏になっているのよ。……そういえば、あの子はそこまでの時間置いておいたことがなかったわ」
 その言葉に少女はむぅと顔をしかめ、
「姐さんがガマンできないからでしょ」
 シリューナは引き締まっていた眉根をほろりとゆるめ、目をしばたたいた。
「そうね。結局は私があの子に逢いたくて。それだけの理由で、解いてしまう。あの子の一瞬を永遠に封じるための魔法から」
 そして少女をまっすぐ見やり。
「正直なことを言えば、あなたもよ。私は独りでいることが寂しくて、たまらずにあなたを生身に戻してしまった。あなたと言葉を交わせないこと、それは私にとってひどくつまらないことだから」
 今度は少女が見開いた両眼をしばたたかせ、次いでいたずらっぽく声をあげた。
「自分はオブジェになれないからって、妬んだだけなんじゃないの? 姐さんの特別があの子だってのはわかってるけどさ、こればっかりはあの子じゃわかんないもんね」
 この世界においては最高峰と言って差し支えないだろう魔力と業とを備える竜、それがシリューナだ。そもそも生半な魔法では彼女から漏れ出す魔力の気すらも越えられはしないし、たとえそれを越えられたとしても、そう長くない時間の内、彼女の無意識下で紡がれる対抗術式に喰われて手痛い仕返しを投げ返されるばかり。
 強大であるからこそ叶えられない望みが、シリューナにはあるのだ。
「それも含めて――ということになるのでしょうね。実際私は逃げ出してしまった。幸せだったと泣いたあなたから」
 少女は大きなため息をつき、シリューナへ力ない笑みを向ける。
「それ認められるとこが姐さんの強さだよねぇ」
「あの子には見せられないけれどね」
 私をお姉様と慕ってくれるあの子にだけは、どんな嘘もつき通してみせる。強い私でありたいわけじゃなくて、弱さをさらけ出す勇気がないから。
「んー、やっぱり姐さんなんとかしようと思ったら、あの子から攻めるのが定石だねぇ。騙して嵌めて固めて並べて、飾ってみたい。うらやましくてガマンできなくなったらどうしよっか? やっぱり、どこの誰かも知らないおっさんに売り飛ばしちゃう?」
 本当にこの子は私とよく似ているのよね。シリューナは息をつき、少女の額を指先でつついた。
「あの子にいたずらをするつもりなら、今度は石の中に封印するわよ? 誰にも見つけられないまま忘れ果てられなくなければ、言の葉にはもう少し注意することね」
「いくらあたしでもさすがにそれはごめんだなぁ!」
 おどけて両手を挙げる少女から引き戻した指先をカップの持ち手にかけ、シリューナは紅茶を舌の上にすべり落とした。キーマン特有のスモーキーが口腔を満たし、鼻腔へと抜けていく。
「いろいろあるけれど。私はあなたの人脈と、それがもたらす蒐集物を得がたいものだと思っているわ。それになにより、語り合える同志を失うのは辛いから」
「ほんとのとこはともかく、本音みたいにさくっと語れるのも姐さんだよね」
 降参降参。少女は手を挙げたままソファから立ち上がり、後じさりながら書斎のドアまで移動していった。
「姐さんはなにやらせてもうまいけどさ、嘘までうまくなったらおしまいだと思うよ? 動機って本心から生まれるもんだし? それ偽ってたら、ほんとにしたいこともできなくなるからさ」
 今回の詫びと礼になんか持ってくるよ。鑑定してほしい魔法具もあるしね。遅効性の言霊が発動したときにはもう、少女の姿はかき消えていた。
「わざわざドアまで行ってみせたのはそんなことを言い残したかったから?」
 あきれた顔でうそぶき、シリューナは少女の本体が出て行ったのだろう窓を見やった。
 しかし。
 言われるまでもないことだ。
 自分は嘘をついている。重ねすぎてもう本意など見えはしないが、それは時折思いもよらない場所から顔を出してシリューナを突き上げる。
「私の本当望みは……いったいなんなのかしらね」
 またひとつ嘘を重ね、シリューナは薄笑んだ。
 嘘をつかなければ保つことのできない自分なら、これからも嘘をつき続けていくだけのことだ。今、手にしているものにはそれだけの価値がある。それを失わないために、私は嘘を尽くして私を保とう。
 でもその前に。
 シリューナはデスクに置いたクラシカルな電話の受話器を取り、倉庫にいる少女をコールした。誰よりも大切で、だからこそやさしいばかりに扱えない竜の少女を。
「お客様はお帰りになったわ。あなたの手が空くようならお茶にしましょう」
 ……少し、顔も見たいしね。
 音に乗せなかった言葉をそっと舌の上で転がして。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【シリューナ・リュクテイア(3785) / 女性 / 212歳 / 魔法薬屋】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 嘘は真を包み隠すがために。
 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年10月23日

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