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『愛欲の棺』
イアル・ミラール7523


「ただいまー!」
 イアル・ミラールが、元気に帰宅をした。
 ぐるぐる巻きに縛り上げられた影沼ヒミコを、片手で引きずりながらだ。
 響カスミも明るく微笑んで、居候2人を迎え入れた。
「お帰りなさい。ごはん出来てるわよ? ああ、でも雨だから先にお風呂かしらね」
「ありがとうカスミ、そうさせてもらうわ。いきなり降って来たのよ、なのにこの子ったら公園で、ずぶ濡れで」
「はっ、放してよママ! 私こんな所で暮らすのは嫌ーッ!」
 ヒミコが、じたばたと暴れている。
 案の定ね、とイアルが言った、その通りになった。
 カスミに向かってヒミコはまず、出て行け、と怒鳴ったのだ。
 ここがカスミのマンションである事を知り、それなら私が出て行く、と言ってヒミコは家出をした。
 それをイアルが、引きずり戻して来たところである。
「さあ、一緒にお風呂入るわよヒミコ。身体あっためながら、頭を冷やしなさいね」
「ママの馬鹿ぁ……」
 浴室へとイアルに引きずられて行きながら、ヒミコはカスミを睨みつけた。
「ママは絶対……貴女なんかに、渡さない……ッ!」
「あきらめなさい。イアルはね、誰の物でもないの。誰かの私物じゃないんだから」
 カスミは、微笑みを返した。
「物として扱われるの、イアルは凄く嫌がるのよ。知らないわけじゃないでしょう?」
「…………」
 散々イアルを物として扱った少女が、カスミを睨みながらバスルームへと消えて行く。
 小さく手を振って見送りながら、カスミは呟いた。
「そうよ。イアルはね、誰も……独り占め、出来ないんだから」


 響カスミが、例えば魔女結社やアルケミスト・ギルド党員たちの如く醜悪な心の持ち主であれば、ヒミコにとっては幸いだった。
 殺して、イアルを奪い返す。それだけで済むからだ。
 人間に対する憎悪。
 自分の中に、まだ充分に残っているはずのそれを掻き集め、燃やしたところで、しかしカスミを憎む事がヒミコには出来なかった。
「ママ……」
 傍で静かな寝息を立てているイアルに、語りかけてみる。
 寝室である。
 2つあるベッドを、カスミとイアルがそれぞれ使っている。
 2人目の居候であるヒミコは、本来ならば床かソファーで眠るべきなのだろうが、カスミはイアルとの同衾を許可してくれた。
 それがまたヒミコには「勝者の余裕」に見えてならないわけだが、それでもカスミに殺意を抱く事が出来ない。
「優しい人が、ママを一緒に住まわせてくれて……良かった、って思うべきなのかな……」
 そんな言葉をイアルにかけても、返って来るのは寝息だけだ。
 もう1つのベッドの上で、カスミは眠っているのだろうか。実はまだ起きているのだとしたら、うかつな呟きは全て聞かれてしまう。
 それでもヒミコは、語りかけずにはいられなかった。
「ねえママ……私、ママの事もっと知りたい……」


 昔ある所に、とても美しく、そして心の優しい女王がいた。
 強大な魔力で、国を治め守っていたその女王は、美しさと力と気品そして慈愛に満ち溢れた現人女神として、民に敬われ慕われていた。
 女王もそんな民草を慈しみ可愛がる事、まるで仔犬や仔猫を愛でる乙女の如しであった。
 彼女は強大な魔力と絶大なる美貌を有する、まさに女神にも等しい存在であったが故に、卑小なる者たちを憐れんで庇護する事が出来たのだ。圧倒的な高みに立つ、絶対者であるが故に。
 弱い者、醜い者、愚かなる者を、女王は大いに憐れみ慈しんだ。
 そうではない者を愛する事が、しかし彼女には出来なかった。
「私よりも美しい者を……愛する事など、出来るわけがないだろう? イアル・ミラール……」
 女王は微笑んだ。微笑む美貌が、引きつり、痙攣する。
 まるで陶器の仮面のように壊れそうな笑顔が、イアルをじっと見つめていた。
「やめて……」
 女王の魔力が、見えざる鎖となって全身を拘束している。
 動けぬまま震える肢体を、女王の視線が舐め回す。
「美しい……お前は美しいよ、裸足の王女。私の追従者たちは口々に言う、女王陛下の方がお美しいと。だけどね、見る者が見ればわかる……私など足元にも及ばない、お前の美しさが」
「何……何を、言っているの……?」
 恐怖が、イアルの心を鷲掴みにしていた。
「私が何を……貴女の国で一体、どんな罪を犯したと言うの? 国を治める方が直々に、こんな事を……」
「美しい! それがお前の罪だと言っている!」
 女王のたおやかな繊手が、怒声に合わせて激しく動いた。
 美しい五指が、おぞましい虫の如く蠢いてイアルを責める。
 イアルの肉体にいつの間にか生じているものを、くすぐり、嬲り、辱める。
 女としてはあり得ない、その部分が、蠢く愛撫の中で破裂しそうに膨張した。
 イアルは、悲鳴を上げていた。
 苦痛の悲鳴、ではない。
 苦痛よりも禍々しくおぞましい、快楽の絶叫だった。
「だからイアル・ミラールよ、お前をこの世で最も無様なものに変えてやったのだ。男でも、女でもない……それ、このように無様なものを屹立させて無様な声を張り上げる、醜悪滑稽な生き物に!」
 女王が嬉々として、イアルを苛み続ける。
 たおやかで優美な五指が、魔物の触手のように蠢き荒れ狂って、イアルのその部分を弄ぶ。
 劣情の噴火を、イアルは止められなかった。
 女の肉体から生じるはずのないものが大量に迸り、内側からドレスと下着を汚し続ける。
 ぐっしょりと生臭く濡れ汚れたドレスが、イアルの全身に貼り付いた。豊麗でありながら引き締まった身体の凹凸が、あられもなく浮かび上がる。
 もう許して、とイアルは言った。そのつもりだが、言葉にならない。荒波の如く襲い来る快感のせいで、舌が回らない。
 おぞましいものを屹立させ、生臭いもので全身を汚しながら、イアルは時を止められていた。
 氷の、棺だった。
 劣情の生臭さを発する氷の塊が、棺の形を成してイアルを閉じ込めている。
 女王の言う通りの醜悪滑稽な姿を、イアルは氷の中で固定されていた。
「何故……何故だ、何故なのだイアル・ミラール……」
 生臭い氷の棺に、女王はすがりついてゆく。
「今や、この世で最も無様なものと成り果てたはずの……お前が……何故、こんなにも美しい……?」


 半分、睡っていたようである。ヒミコは目を覚ました。
 自分が唯一神として振る舞える「誰もいない街」は、すでに無い。
 だが、この程度の事は無意識に出来てしまう。
 知りたい、と思った相手の心の中から、様々な個人情報を、こういった夢の形でつい盗み見てしまう。
「ママは……ずっと昔から、そうだったのね……」
 誰もいない街は、失われた。
 ヒミコが、自身の領域であるあの街を犠牲にしてまで取り除いたものが、またしてもイアルの肉体から生えている。
 破裂しそうに膨張・屹立している。氷の棺の中で、そうであったように。
 あの女王は自分自身だ、とヒミコは思った。
 彼女と同じ事を、自分もイアルにしていた。イアルを物として扱っていた。イアルを、支配していた。
 そのつもりであった。が、実は違う。
 ヒミコの方が、イアルに支配されていたのだ。
「ママ……」
 痛々しいほど膨張した、イアルのその部分に、ヒミコはそっと己の唇を触れていった。
 隣のベッドでは、カスミが寝ている。聞かれてしまうかも知れない。盗み見られているかも知れない。
 そう思うだけでヒミコも、己の中で何かが燃え上がるのを止められなくなっていた。


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/20歳/裸足の王女】
【NPCA026/響・カスミ/女/27歳/音楽教師】
【NPCA021/影沼・ヒミコ/女/17歳/神聖都学園生徒】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年10月23日

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