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『鋼 』
ソーニャ・デグチャレフaa4829)&サーラ・アートネットaa4973
 中型ジェット輸送機が野太い咆吼をあげて空を行く。
 ただふたりの乗客は、貨物室の脇にはめ込まれた金属コーティングのポリカ―ボネイトの窓より眼下に広がる濃灰の雲海を見下ろしていた。
「……何年ぶりになりますか」
 サーラ・アートネットがかすれた声で問うた。
 左は太いフレームで支えられた四角、右はヒビ割れた丸、ふたつの異なるレンズを無理矢理に繋いだ眼鏡。その奥にある碧眼が鈍い光をわだかまらせ、雲海にさまよう。
 ここに至るまで、彼女は迷っていた。ここから先もやはり迷うのだろう。彼の“縁”へ降り立つまで、ずっと――いや、もしかすれば降りたってさえなお。
「夢に現(うつつ)に、小官はいつなりと寄り添っていたさ」
 サーラの上官であり、先頃までは国家元首兼大将とふたりきりであった統合軍唯一の士官であったソーニャ・デグチャレフが低く応える。
 ライヴスの体内循環不順によって成長を止められ、さらに400キロの重量を抱え込むこととなった彼女は、見た目だけで言うなら幼女だったが、しかし。
 魂はすでに老成していると断じても過言とはなるまい。
 ソーニャはそれだけのものを見せられた。聞かされた。味わわされた。だからこそ彼女はここに在り、鋼の決意をもって先へ進み続けてきたのだ。
「とはいえ、まみえるのはあの日以来ということになるか。半年前には操縦士にすがりついて引き返させた。一年前には共鳴しているのをいいことに這いずって跳び降りた。一年半前まではそう、輸送機に乗り込むことすらできなかった」
 そして、ようやくここまで来たのだ。
 ソーニャは青ざめた頬に皮肉な笑みを刻み、息をつく。それはたちまち凍りついて貨物室をたゆたい、壁に貼られた国旗の白に紛れて消えた。
 かくてサーラは悟った。ソーニャが失われた祖国への道行に英雄ならぬ自分を呼んだ真の理由を。

『統合軍歌の詞を作れと閣下がおおせである』
 ある日、情報部の看板をかけられた亡命政府の一室に訪れたソーニャが言った。
 閣下とは亡命政府代表および陸海空統合軍大将を兼任する男だ。ソーニャにとっては唯一の上官ということになるが、そればかりの存在ではないことをサーラは察している。
 彼の二つ名は“不屈”。祖国へ襲来したレガトゥス級愚神との戦いの中で幾度となく瀕死の重傷を負い、その度に不足した体を機械にすげ替え続けて戦い抜いた男であり、ソーニャは常に彼と共にあった。
 愚神に食い尽くされた祖国より、サーラを含むわずかな国民を脱出させたときも。
 ソーニャを祖国奪回の軍備費捻出のためアイドル活動に従事させるという、荒唐無稽な案件を推し進めている今も。
 ソーニャと“不屈”は今なお祖国のため、戦い続けているのだ。
 だけど、私は。
 鼻先にずり落ちてきた眼鏡に指先を添え、サーラは唇を噛み締めた。
『同志サーラ、特別情報幕僚たるそなたに同行を頼みたい。閣下の許可は得ている』
 我に返ったサーラはあわててソーニャの言葉を反芻した。
 頼みたい? 命じる、ではなく?
 それだけではない。歌詞を作るのに同行とはどういうことか? 疑念はあれど、サーラに否の返答はありえない。ゆえに直立不動で敬礼し、復唱した。
『サーラ・アートネット伍長、上官殿にお供いたします!』
 かくてふたりは、H.O.P.E.を通じて日本より借り受けたライヴスコーティング仕様の輸送機へと乗り込み、旅立った。
 座標0・0。あの日生存者たちが心に刻みつけた、失われし祖国を指して――

 そしてサーラは国旗に手を置き、あらん限りの力で奥歯を噛み締めるソーニャをあらためて見た。
 ソーニャは逃げぬために英雄を置いてきたのだ。
 無様を晒せぬよう部下であるサーラを共連れてきたのだ。
 そこまでして、あの日の惨劇を顧みようとしている。忘れえぬ思いをより深く心に刻みつけ、踏み出すために。
 だったら私も顧みる。あの日置いてきちまったもん、きっちり刻みつける。私の左眼と……預かった右眼に。
 その一方、ソーニャは自らを叱咤する。
 震えるな! 小官は見定めなければならぬのだ! 我が祖国を、我が闘争を、我が敵を!
 奴はいる。未だレーダーにすら捕らえられぬ彼方にありながら、あの日この体に打ち込まれた奴のライヴスの残滓が黒き唸りをあげ始めているのだから。
 なんと重い! 体が、魂が、押し潰されそうだ。しかし跪くわけにはゆかぬ。逃げ出しもせぬ。これまで小官は幾多のゲエンナ(地獄)を下ってきた。深淵の底にある貴様と対するがため!
 握り締めた国旗の端が黒ずみ、燃え広がるように三色を侵しゆく。
「……奴の領域に入った!」
「ドロップゾーンでありますか!? しかし――」
「ドロップゾーンではない! 奴から染み出すライヴスがまき散らされているだけの領域だ!」
 がくりと折れかかるサーラの膝。高圧の重力をかけられたがごとくに体が重い。ただのライヴスが、これほどの圧力をまとうのか!?
「普通の者なら怖いだけですむが、ライヴスリンカーにはそればかりではすまぬ! 油断すれば侵蝕されるぞ!」
 エンジンの振動ばかりではありえない揺れの中、ソーニャは杖を頼りにカーゴ内を歩き渡り、壁の一角に据え付けられた通信機へ叫んだ。
「方向はそのまま! 後部ハッチ解放!」
 カーゴからの要請を受けた操縦士が後部ハッチを開いた。
 徐々に下がっていくハッチの向こうに、白雪を着込んだ峻険たる山の連なりが見える。
 そして。
 幾重もの連なりの狭間に刻まれた峡谷に、冗談さながらぽかりと空いた巨大な穴が。
「私たちの……」
 サーラのうそぶきをソーニャが継ぐ。
「……祖国だ」
 八割以上の国土と数多の国民、さらにはその営みを飲み下し、今なお踏みしだき続ける深淵を見下ろし、ふたりは震えた。
 どれほどの深さがあるものかは知りようもなかったが、しかし。その黒の果てに在る果てしない“重さ”は、高き空にあるはずのソーニャとサーラを引きずり込もうと、形なき腕を差し伸べてくる。

 サーラは幻(み)た。
 友人を振り切り、赤子を置き去り、骸を踏みつけて、軍の関係者――今思えば情報部の一員であったのだろう――であった父に託された資料を抱えて無我夢中に逃げたあの日を。
 ああ、引っぱり戻そうってのか。「この資料を頼む。生き延びろ」って言われたのをいいことに、誰のことも助けないで逃げた私を、あの日に。戻って、泣きながら見捨てた連中にあやまって、死になおせって。そう言いたいのかよ。
 心を飲まれゆく中で指が無意識に眼鏡へ触れて、正気を取り戻した。
 安心しろよ。天国に逃げ込む気なんざハナからないんだよ。死んだらちゃんと落ちてやるさ。その首抱えて、ゲエンナのどん底に。
 これまで逃げ続けてきた。資料を“不屈”に押しつけ、哀れな難民を演じてうつむいた。軍にロジスティックス(兵站。この場合は後方支援全般を指す)担当官として志願したのは、ひとえに後ろめたかったからなのだろう。どうせなにもできないのだからできることをやればいいと言い訳し、日々をやり過ごしてきた。そう、試作型戦車の魂を自称し、無念と悲願を語る英雄と出逢ってすらもやり過ごそうとしたのだ。しかし。
 かたり。机の奥から音が聞こえた気がして、サーラは引き出しを開けた。そこにあったものは資料と共に父が残した唯一の形見、ヒビ割れた眼鏡のレンズだった。
 度が合っているはずもないレンズは、引き歪んだサーラの眼に鮮明な世界を、そして刻まれた傷を見せた。
『終わってないんだな、父さんのあの日』
 同じように英雄のあの日も。
 そしてまた、サーラ自身のあの日も。
 あの日を終わらせる。すべてを背負って明日へ進むために。やがてすべてを放してゲエンナへ落ちるために。
「照準、合わせ――撃ちかた構え――」
 深淵の真ん中に左眼を、右眼を据え、サーラは狙いを定める。

「見えるぞ、あの日の姿が。ソーニャ・デグチャレフが見失い、ソーニャ・デグチャレフたる小官の見定めた顎が……!」
 割れ砕けたソーニャ・デグチャレフの魂に成り代わったあの日。ソーニャたる彼女は誓ったのだ。すべての並行世界で彼女を殺す役目を担っているのだろうあの愚神を、この世界で殺すのだと。積み上げられた数多の「ソーニャ・デグチャレフ」の骸を踏み登り、奴の鼻面に鋼の砲弾をぶち込んでやるのだと。
 それこそが自分に決着を託した誰かへの手向けであり、数多の滅亡を重ねた祖国への贖い。
 ゆえに、折れぬ! どれほどの恐怖が、絶望がこの魂を揺るがそうとも、この身を託された小官は折れるわけにはゆかぬのだ!
 残された左眼でまっすぐに深淵の真ん中を見据えたソーニャが犬歯を剥きだし、不敵な笑みを閃かせた。
「聞け、同胞よ! これは小官の誓約だ! そなたらの怨嗟を共連れ、小官は撃つ! そして悲願かないし後には……二度と目覚めることなく、なにに成り代わることもなく、永劫なるゲエンナにて安らかなる責め苦を受けることだろう」
 吸い込んだ息を音に変え、ソーニャが綴る。
「踏み締め躙るは己 踏み越え行くはあの日
 生者は我が背に続け 死者は我が胸に託せ
 十字刻みし鋼込め 我らが敵を撃ち据えん」
 深淵の奥底に蠢く深き気配。
 ソーニャの詞を戯れ言と見下し、その決意を嘲笑う、闇。
 光すらも喰らい尽くす超重力の鱗をまといしそれが、深淵より迫り上がる。
 がくり、がくり、がくり。ライヴスコーティングを施された輸送機が階段を落ちるように高度を下げた。
『どうする!? 突っ込むか!?』
 操縦席から有線で運ばれてきたとは思えないほど細く濁った音声が、外れたままになっていた受話器から飛び出した。
 愚神の影を見据えるソーニャの代わり、サーラが受話器へ取りつき、叫び返す。
「このまままっすぐに! 行っていただけますか!?」
『あの日、あんたらを日本に運んだのは俺と相棒だ! そんときふたりで決めたのさ――あんたらを国に送り還すのも日本に連れ還るのも、俺らがやるんだってな! だから! 行くってんならどこまでだって行くぜ!!』
 同胞ならず、名すらも知らぬライヴスリンカーの言葉。
 しかしその背には、同じあの日を負った同志の覚悟があった。
「ありがたくあります!!」
 見えぬことを知りながら敬礼し、サーラは激しく揺れるカーゴ内を駆け戻る。
 もう、逃げない。地獄を突き抜け、父が自分に託した明日へ――!
 ソーニャは今、重力に捕らえられて後部ハッチから少しずつ落ち行こうとしていた。
 サーラは自らの体を積荷固定用のワイヤーでカーゴの床と繋ぎ、さらにソーニャの右脚を抱えてワイヤーで結ぶ。
「上官殿! その御身、私がお預かりしたのであります! 存分にお言葉を!」
 みぎり。サーラの骨が重力によってさらに重さを増したソーニャの体重に引き絞られ、湿った悲鳴をあげるがかまわない。
 それを繋がれた脚で感じながら、ソーニャもまたサーラを見ることはなかった。
 覚悟に返すべきは覚悟。今はただ、為すべきを成す。
「此の心は徒桜 此の拳(けん)は蟷螂斧(とうろうふ)
 死線に散るは我がさだめ かくて獄へと墜ちるのみ
 なれば此の身を鋼に据えて 我らが敵を撃ち据えん」
 高度がさらに引き下げられる。
 黒がさらに迫り上がる。
 それでもソーニャは紡ぐ。紡ぎ続ける。
「士よ 心を起こせ
 士よ 心を興せ
 士よ 心を熾せ
 一歩の先に果てるとも 其の志もてきざはしを 続く友へと残しゆこう

 士よ 心を起こせ
 士よ 心を興せ
 士よ 心を熾せ
 友のきざはし踏み登り 其の志鋼に据えて 我らが敵を撃ち果たさん」
 果たして。
 黒のただ中にはしる、笑み。
 それと同時に輸送機を捕らえていた重力が弾け、機体が上へと跳ね上がった。
 とうにへし折れた腕にあらん限りの力を込め、サーラがソーニャを繋ぎ止める。
「上官殿っ!!」
 ソーニャは闇を見据えたまま吼えた。
「かならず還るぞ! 鋼を貴様の核へねじ込むために!!」
「そのときは私も共に――かならず!」
 せいぜい楽しみにしておこう。
 黒よりも黒き巨体を翻し、再び底へと戻りゆく愚神。光すらも飲み下すその身は不可視であり、ただ歪みとして観測されるばかりであるとH.O.P.E.の研究者は言ったが……
「あれが、私たちの敵なのでありますね」
 サーラの言葉にソーニャがうなずいた。
「そうだ。征くぞ、同志サーラ」
「……了解であります」

 輸送機はゆっくりと機首を巡らせ、日本へと還る。
 いつの日にか、再びふたりをこの地へと還すために。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ソーニャ・デグチャレフ(aa4829) / 女性 / 13歳 / 鋼の決意】
【サーラ・アートネット(aa4973) / 女性 / 16歳 / 継承の眼】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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2017年10月25日

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