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『彼女は知らない(3) 』
水嶋・琴美8036

 琴美の目の前にあるのは、街から離れた場所にぽつんと所在なく佇んでいる寂れた廃病院だ。
 このような場所にわざわざ訪れる者がいるはずもなく、辺りは静寂が支配している。しかし、それでも――。
(妙ですわね)
 違和感に、琴美は眉根を寄せた。あまりにもこの場所は、静かすぎる。敵の実験施設だというのに、見張りの一人もいないのも妙な話であった。
(私をおびき寄せるための罠……いえ、それも何か違う気がしますわ)
 数々の任務をこなしてきた経験と、琴美の直感がこの状況はただの罠ではない事を告げている。何にせよ、警戒を怠らないに越した事はないだろう。
 慎重に、琴美は建物の中へと足を踏み入れる。今にも崩れ落ちてきそうな天井から舞い散る埃を器用に避けながら、少女は奥へ奥へと進んでいった。
(今、微かですが音が聞こえましたわ)
 音のしたほうへ向かった琴美は、元はただの病室であったであろう場所で待ち構えていた、天井に頭が届く程の大きさの影を目にし目を見開く。
「なんてこと……」
 そこにいたのは、様々な動物を掛け合わせて造られた合成獣であった。良からぬ魔力を感じるという事は、掛け合わされたものの中には動物だけでなく低級の悪魔や魑魅魍魎の類も入っているのかもしれない。人らしき影はないものの、すでに何体かの動物は実験体されてしまったという事実に琴美は黒水晶のような美しい瞳に怒りの炎を灯す。
 命を命と思わぬ所業に、胸を締め付けられるような思いだった。優しき彼女は、それでも毅然とした態度で怪物と対峙する。もはやこうなってしまったら、この哀れな魂を救う手段は一刻も早く倒して眠りにつかさせてやる他ない。
 怪物は鳴く。泣く。もがき苦しむ悲鳴のようなその声が、室内を揺らした。衝撃に、建物全体が揺れ瓦礫が崩れ落ちる。まださらわれた一般人達が建物内にいるのだ、このままここで戦い続けるのは得策ではないだろう。
「さぁ、こっちですわよ!」
 琴美は挑発するように笑い、怪物の繰り出す攻撃を避けながらも走って相手を外へと誘導した。中庭へと辿り着いた琴美は、足を止めると怪物のほうへと向き直る。
「追いかけっこはもうおしまいですわ。今、楽にしてさしあげますわね!」
 告げると同時に、琴美はクナイを構えた。同時に、駄々をこねる赤子のように怪物は暴れ始める。
 歪な形の巨大な腕が、琴美へと襲いかかる。轟音と共に地面に穴があき、土埃が宙へと舞った。しかし、そこに琴美の姿はない。
 怪物が拳を振り下ろすよりも速くその場から駆け出していた琴美は、敵の懐へと颯爽と潜り込む。
「これで最後ですわ!」
 せめて、この一撃で終わるように。祈りを込めクナイを手に、琴美は全力でその切っ先を相手に向かい突き出した。

「もう戦いは終わりましたわ。どうか、安らかにお眠りになって」
 倒れ伏した怪物のために、琴美は祈る。少女の慈愛に満ちた眼差しと包み込むような優しい声音に応えるかのように、怪物はゆっくりと呼吸を止めていった。
 ぽつ、ぽつ、と地面の上に水滴が模様を描く。降り出した雨は、徐々に強くなり琴美の体を濡らしていく。まるで、空が怪物の代わりに泣いてくれているかのようだった。
 現場の後処理のためにやってきた後輩の少女は、雨の中佇む琴美の横顔を見てごくりと息を飲む。
 琴美の瞳に宿っていたのは、確かな怒りだった。罪なき命を犠牲にし、自らの快楽のために怪物を造り上げた者への怒り。
 優しいが故に、怒りの炎を燃やす少女。その姿は気高く――美しかった。この世のものとは思えぬ程に美しいものを見ると、人は恐怖を覚えるのだという事を、後輩の少女は初めて知った。

 ◆

 捕らえられていた者達は無事救出し終えた。後は、司令に報告すれば今回の任務は完了だ。
 だが、黒幕を倒したわけではない。人質が相手の手中にいないこのチャンスを逃さないためにも、早急に次の行動に出る必要があるだろう。
 思考を巡らせていた琴美は、ふと自身を見やる視線に気付き顔をあげる。
「あら、あなたはもしかして……」
 恐る恐ると言った様子で建物の影から顔を出していたのは、小さな子猫だ。恐らく、先日の任務の後に出会った少女の飼っている猫だろう。その証拠に、あの日少女がつけていたものとお揃いのリボンが尻尾に巻かれていた。
「無事でしたのね」
 よかった、そう言葉を続け琴美はほっと安堵の息を吐いた。頭を撫でてやると、「にゃあん」と一声鳴いたその猫は琴美の滑らかな手にすりすりと甘えるように擦り寄ってくる。その柔らかさに、琴美は年相応の少女らしい笑みを浮かべた。
「安心してくださいませ。あなたをさらった悪い者は、必ず私が倒してみせますわ」
 まるで琴美の言葉に返事をするかのように、「にゃあ」ともう一度猫は鳴く。琴美は笑みを深めると、悪しき者を倒しこの街に平和を取り戻してみせるという決意を一層強くするのであった。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8036/水嶋・琴美/女/19/自衛隊 特務統合機動課】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ライターのしまだです。ご発注ありがとうございます。
連作の三話目となっております。続きは今しばらくお待ちくださいませ。
少しでもお楽しみいただけてましたら幸いです。引き続き、よろしくお願いいたします。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月07日

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