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『蠢動 』
水嶋・琴美8036
 日本国の防衛を担う防衛省。
 首都東京の中心部に位置し、多くの軍事機密を内に潜めたこの聖域の正門から、敬礼を交わすこともなくひとりの女が踏み出した。
 ありがちなグレーのパンツスーツに身を包む彼女は、ごく自然でありながら実に不自然である。
 まず、若い。おそらくは10代後半から、せいぜい20代にさしかかったばかりといったところだろう。
 それでいて、その体はすでに満開の艶やかさを備えており、通りかかった人々はもちろん、見送る隊員の目をも奪わずにいられなかった。
 しかし。なによりも不自然なのはその気配であろう。圧倒的な存在感と、そよぐビル風に吹き消されてしまうほどの儚さ。両立するはずのないものが両立し、だからこそ人々は目が離せないのだが――カツリ。彼女の履くパンプスのヒールが高く鳴り。
 確かにそこに在ったはずの姿が消えた。まるで始めから存在しなかったのごとく。

 手品のようなものだ。
 彼女は靖国通りの向かいに広がる市ヶ谷のビル街にその身を紛れ込ませ、薄笑んだ。
 他者の目を惹きつけておいて、音でその意識をそらし、気配を断って通行人の影を渡る。ただそれだけのことで人はたやすく彼女を見失うのだ。
 せめて夜に呼び出してくれれば、こんな業(わざ)を使う必要もないのに。
 そう思いつつも、偉い人を残業させるのも酷だろうからとあきらめた。
 十分前まで彼女がいたのは防衛省の情報本部で、会っていたのは本部長以下幹部の面々である。彼らは彼女の直接の上司ではなかったが、同時に全員が彼女の上司であるともいえる。
 特務統合機動課――諜報と人外戦闘とを担う特殊能力者を寄せ集めた非公式組織こそが彼女の所属。階級章を与えられることなく、国防の裏側を駆け続ける組織中の個。
 水嶋・琴美とはその個のひとりであり、並び立つ者も誰に語られることもないエースなのであった。
「……集団ストーカー行為は犯罪よ?」
 ふと、彼女が声音を紡ぐ。裏通りとはいえ通行人はそれなりに多い。しかし、彼女の音は細く、その誰にも届きはしなかった。そのはずであったのに。
 空気がさわりと沸き立った。
 殺意、殺意、殺意、殺意、殺意。
 叩きつけられる不穏な意志を数え、その方向を脳裏に定めた琴美はパンツのポケットに手を差し入れ、肩をすくめた。
 直後。
 琴美の体が右のヒールを軸に反転し、左のつま先を蹴り上げる。
 ベロアに似せたファイバー繊維を素材としたパンプスは、コンバットブーツを遙かに凌ぐ防御力を備えている。そのつま先に突き立った数十の棒手裏剣を蹴りの勢いで宙へとばらまき、琴美はさらにその身を優美に反転。
 風が逆巻き、透けた壁となって琴美を包み込む。スーツ越しにも知れるそのあでやかな肢体が刹那、芳醇に匂い立ち、押し寄せた殺意を惑わせた――と、琴美の指先にすくい取られた棒手裏剣が、惑いの間隙を縫って飛ぶ。
 っ! 短く押し詰まった声音に耳を傾けることなく、琴美が踏み出した。
 気配を消してはいたが、それでも大きく動けばまわりの人々の目を引くことになる。しかし彼女の挙動が人目を引くことはなかった。一切の無駄がなく、なによりも迅いがために。空気を逆巻くことすらもなく、人の視界の影へすべり込む。
 天元行躰神変神通力。俗に「九字」と呼ばれる呪句のひとつを胸中に唱える琴美。一字ごとにその心からは雑念が削り落とされ、九字を唱え終えるころには空と化している。
 チリっ。通行人の隙間から琴美に突き出された鎧通し――鎧の隙間を突くことに特化した小刀――が半ばで止まった。
「!」
 否、止められたのだ。切っ先を、琴美の握り込んだ棒手裏剣の先で押さえられて。
 ミクロンの域にまで研ぎ上げられた切っ先を、同じミクロンの点で止められる。それが意味するところはただひとつ。
「せめて全員でかかってくるべきだったわね」
 ギギチリチギ。切っ先が押し割られ、芯金を晒し、さらにその芯金もが割られてその持ち手へ棒手裏剣が到達した。
 琴美の指で喉の一点を押さえられ、声も上げられぬまま、掌に手裏剣を突き立てられた男は立ち尽くしたまま絶命した。
「やっぱり毒、ね。大丈夫、あなたたちが誰かはもう知っているわ。だから、人間のふりはしなくてもいいのよ」
 やさしくささやきかけ、通行人がこちらへ目を向ける前に男の骸に新たな手裏剣を突き立てた。神経を突かれた骸は反射的に体を伸ばし、まるで人でも待っているかのように壁へもたれかかる。
「ちがうわね。成り損ないだからこんなふうに後をつけて襲ってくるしかない。防衛省の壁すら越えられないあなたたちが、私を殺せると思っているの?」
 琴美の声音が空に軌跡を描く。通行人の死角へ踏み込み、襲い来る手裏剣と刃をかわしては身を翻し、別の死角へと渡り――彼女を追い詰めるべく駆け込んだ襲撃者たちはようやく気づくのだ。琴美が自分たちを引きまわし、いわば人目のエアポケットへ誘い込んだのだという事実に。
 眉間へなにかを撃ち込まれた男が白目を剥いた。なにかとは、練り上げた気を通され、鋼の硬度を与えられた琴美の黒髪である。
 静止したその胸に苦無の腹が押し当てられ、琴美の拳で弾かれた。くもぐった音が男の胸に吸われたと思いきや、彼はぶるりと体を震わせて崩れ落ちた。
 人体に含まれる水分を揺らし、臓物を激しく振動させて損なわせる打撃法……古流武術に云う“通し”である。
「血臭は互いに避けたいところでしょう? それに気づかえるだけの業があるなら」
 残るふたりの襲撃者が、琴美の言葉尻を噛み砕くように迫る。
 人を超えた速度。
 人を超えた膂力。
 しかし。
「私の迅さは」
 ひとりの唇から噴き出された毒霧と含み針とを長く伸ばした髪の先で払い、琴美が一歩踏み出した。
「私の業は」
 鎧通しで斬り込んできたもうひとりの胸に肩を押しつけて“通し”、体を返してその後方へと抜ける。
「超えられない」
 たたらを踏むもうひとりの腰を蹴りつけて跳び、ビル壁へ髪を撃ち込んで足がかりとした琴美が真下へ苦無を放った。
 頭頂を貫かれた男が膝を突く。
 それを追って落ちた琴美は、栓として残した苦無を支点に再び跳んだ。すべるように、舞うように、描くように。最後のひとりは見とれてなどいなかったはずなのに、気がつけば視線を外すこともできずに立ち尽くしていた。そして。
 両の鎖骨にパンプスのヒールをねじ込まれた。
「っ!」
 宙に預けていた琴美の体重がゆっくりとヒールへかかり、それにつれ男の細い骨が撓んで、ついにはへし折れた。
「下忍だからと言ってしまえばそれまでだけれど、私の力を測るためだけに死を賭した理由はなに?」
「……」
「人外の業がそんなに欲しいの? そんなものを手にしたところで、忍の世を引き寄せられるはずがないのに」
 琴美の言葉に、たまらず男がかすれた声を絞り出す。
「おまえになにがわかる!?」
「なにも」
 琴美はさらりと応え、両足を狭めた。折れた鎖骨の上を伝って男の首を挟み込む。
「私は今ある場所に満足しているから。使えるに足る主があって、習い覚えた力を存分に振るうべき敵がいる。その点では不満ね。あなたたちはわたしの敵たりえない」
 言い終えると同時に男の首をねじり折り、琴美はアスファルトの上に着地した。
「近くで見ているんでしょう? 番犬ごときを殺せなければ、その主になんてとうてい手が届かないわよ?」
『心配は無用』
 どこからともなく響く声音。居所を知らせることなく声を届ける“山彦”だ。
『おまえが我らの仕末を命じられたように、我らもまたおまえを仕末するよう命じられている。存分に死合おうではないか。水嶋・琴美』
 声音が琴美の目線を導く。とあるビルの屋上へ。
「自己紹介の必要がなくてありがたいわ。そちらの名をうかがってもいいかしら、黒蟲衆の誰かさん?」
『小三郎』
「誘い蛾の小三郎……ネームドを差し向けてもらえるくらいには私も有名ってことかしら?」
 防衛省で見せられた資料はすべて頭に刻み込んである。
“黒蟲”を名乗る忍軍が動き出したことを。
 これまで闇に潜んで小事を成す程度の弱小であったこの組織が、異界の力によって人外化したことにより、裏社会へ進み出ようとしていることを。
 私は試験官といったところかしら? この国と渡り合うだけの力が自分たちにあるのかを測るための。
「存分にお相手するわ」
 笑みを閃かせた琴美は気を通した髪をビル壁に撃ち込み、それを足がかりに駆け上がる。
 次なる敵は、人外の力を得た魔道の忍。
 同じ忍として業を競うには申し分のない相手である。
「だから楽しませて。あなたのすべてで」


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【水嶋・琴美(8036) / 女性 / 19歳 / 自衛隊 特務統合機動課】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 蠢動の先に待つは蟲翅。
 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月13日

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