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『蟷螂斧 』
水嶋・琴美8036
「交戦情報はすべてお渡ししました」
 再び防衛省情報本部を訪れた水嶋・琴美は深く腰かけたソファの上、スパッツで包まれた脚を組み換えた。
 パンツスーツではない。“誘い蛾の小三郎”との戦いで見せた戦闘服姿である。彼女のたおやかな曲線美をそのままになぞる衣装は、男ならずとも魅了せずにいられない艶を魅せていた。
「……代わりになにをご所望で?」
 琴美の香りを飄々と受け流した自衛官がとぼけた声で訊く。
「できればあなたじゃなく、情報本部の方にお訊きしたかったのですけれど」
「残念ながらみなさん会議にお出かけで。留守番を頼まれたんですよ」
 狐目の自衛官の制服に階級章はない。当然だ。彼は情報本部の人間ではなく、琴美と同じ特務統合機動課のメンバーなのだから。
「……わざわざ情報本部を空にしてまで待ち受けてくれていた理由を教えていただけますか?」
 観念したように、琴美は両手をかるく挙げて狐目に問うた。
 とはいえ、彼がここにいる理由は知れている。情報官に琴美の相手をさせたくないのだ。たいした秘密があるわけでもなかろうに、表裏で棲み分けを守りたがる姿勢がなんともまだるこしい。
「ま、大体のところはお察しのとおりですよ。今回、情報本部からの要請でウチが動いたわけですけど……」
「国防の域に話を進めたくない?」
「ビンゴです」
 今度は狐目が両手を挙げる番だった。
「で、“黒蟲”なんですけどね。ウチの存在はもう知られてます。ってことは、それを知っててあの程度の下忍を差し向けてきたわけで」
「測られているということでしょう?」
 返した琴美にうなずき、狐目は言葉を継ぐ。
「ただわからないのは、どうして水嶋さんをご指名してくれたのかってとこです。言っちゃなんですけど、順序を考えたらもう少しやりやすいとこから突っかけてくとこでしょう」
 日本転覆を狙ってるわりには、これといって目立った行動も起こしてませんしね。狐目が付け加えた言葉を聞き終えるよりも早く、琴美はソファからすらりと立ち上がった。
「結局のところ、答は“黒蟲”に訊くよりないということですね」
「よろしく頼みます」
 しれっと応えた狐目に琴美は苦笑した。なるほど、策を用意するどころかひとりの自衛官にすべてを丸投げする様を、他部署の人間には見せられないということか。
 すべてを拳に握り込み、琴美はその身を翻す。
「了解」

 雨が降り出していた。
 ごく細かな雨粒が琴美の戦闘服を、肌を、髪をしとやかに濡らしゆく。
「さすがに雨粒はかわせないか」
 後ろから差し込まれてきた声音。
 琴美は振り向かずに応えた。
「雨に濡れるも風情、あなたにそう教えていただきましたから」
 ここは細い裏路地の半ばである。左右の幅は二メートルもあるまいし、上へ跳ぶにも張り出した排気用の煙突やら出窓やらが邪魔をして、業を尽くすには厳しい環境だ。
 だからこそ、琴美はここを選んだ。
 自分を追う敵と相対し、ただ業を比べ合うことしかできぬこの場を。
「情報本部を巻き込んで特務統合機動課が動いた事実。日本転覆を謳いながら大規模な破壊工作を行わない不可思議。力の及ばぬ下忍をネームドにしたてあげてまで私へ差し向けた意図。併せて考えれば結論はひとつ」
 琴美はゆっくりと体を返し。
「私との因縁を持つ、特務統合機動課からロストした者が情報操作に関わっている」
 声の主を見た。
「日本転覆は組織としての目標さ。あたしがただ、あんたと死合いたかっただけでね」
 女だった。
 印象的なのは尖った美貌ならず、すべらかながらどこか硬い光を帯びた肌だ。
「いつから“黒蟲”に?」
 琴美へ「生まれたときから。もっとも、機動課にいたときには知らなかったんだけどね」と答えた女は五歩下がり。
「あたしの剣があんたに及ばないってことがわかったから、あたしは帰った。それだけのことさ」
 女は琴美の先任にあたる特務統合機動課員だった。
 それがある日、唐突にその姿を消し。
 こうして目の前に、敵として現われた。
「確かにそれだけのことですね」
 琴美の両手に苦無が現われる。
「ああ」
 女の両腕がぎちりと伸びだし、鋸を成した。それはまさに蟷螂の鎌であった。
「ちっ!」
 女の左の鎌先が壁を削りながら琴美へ振り込まれた。
 琴美は右の苦無の刃元で受けたが、弾かれて体勢を崩す。
「ははっ!」
 笑声と共に突き出される追撃の鎌。
 琴美はブーツの踵を突き出してこれを弾き、そして、もう一歩後退した。
 迅い。そして、重い。
 女の斬撃、膂力ばかりのものではない。足だ。鋭い踏み込みとそれを生かしきるだけの体幹の強さこそが、彼女の一閃に力を与えている。
「まさに蟷螂がごとく、ですね」
 踏み留めた足でアスファルトを蹴り返し、琴美が踏み出した。右の苦無の突きを囮に左の苦無を横から振り込み、体を返して戻しておいた右を小さく突き込み、それをリードとして左をアッパースイング、さらには右の横蹴りを重ねて女を突き放す。
「当たったのは蹴りだけだよ?」
 女が硬化した面の内で口の端をかすかに吊り上げた。
 確かに。苦無の連撃はすべて女の上体の振れだけでかわされていた。最後の蹴りがなければ、そのまま鎌に食いつかれていただろう。
「今度はあたしの番だねぇ!」
 まったく体軸を揺らすことなく駆け込んできた女が鎌を振るう。右で突き、左で薙ぎ、右で斬り上げ、左で斬り下ろし、突き、突き、薙ぎ、突き、斬り下ろし、薙ぎ、薙ぎ、切り上げ、薙ぎ、突き、斬り下ろす。
 突き出した苦無とバックステップとでこれらをしのいだ琴美は細く息を吹いた。根元からへし折れた左の苦無を見やる。
 反応速度は互角か、むしろ女が琴美を勝っている。
 さらに、間隙を突いて繰り出した刺突は女の硬い肌に阻まれ、逆に折られていた。
「戦場をまちがえたみたいだね。あんたの体術が使える場所なら、もう少しやりようがあっただろうにさ」
「ここ以外、邪魔が入らない場所を思いつかなかったので。小三郎さんの“におい”が残っている以上、あなたからは逃げられませんしね」
 防衛省から出てすぐに琴美は気づいていた。多数の視線と、それを喰らいながら追随してくる強大な気配とを。
 虫はフェロモンをもって仲間に餌や自らの存在を知らしめる。“誘い蛾”の力は敵を誘うものならず、蟲どもに獲物の位置を知らせるマーキングのためのものであったのだ。
 と。琴美が折れた苦無の柄を投じた。
「苦し紛れかい?」
 上体をスウェーイングし、かわす女。
「あたしの鎌はまだ迅くなる。あんたの手を超えて肉を食む。あんたが消えれば、あとはどうにでもなるからね」
「私を超えて、私を越えられれば――ですよ、蟷螂」
 臨兵闘者皆陣列前行。
 琴美が九字を結び、残る苦無を投じた。
 右でも左でもなく、女の体軸の芯を直ぐに突く刃。
「ちっ!」
 大きく上体を巡らせて女が刃をかわし、逆に琴美へ斬り込もうと足を踏み出した。
「!?」
 足が動かない。
 前へのめりながら、女が複眼と化した瞳の端で自らの足を見る。
 貫かれていた。先に折れた苦無の切っ先でつま先が。
 体軸の真ん中を突く攻めをかわすのは難しい。それゆえに女は大きく身を振るよりなかったのだが、それはすべて琴美のしかけであったのだ。
 柄を投げたのは、切っ先を拾うのを見られないためかい!
 そればかりではない。琴美は柄を投げることで確かめたのだ。女の回避が両脚を固定して上体を振ることで安定を保つ、蟷螂のそれと同じものなのかを。
 業を弄することはできても、性を抑えることは難しい。ましてや自分の優位を確信した者がそれを意識することは。
 すべては女が放った最初の連撃をしのがれた時点で始まっていた――
 琴美の右掌が女の鎌の交差点に触れ、揺れた。
 凄絶な振動が二本の鎌を弾き飛ばし、女の胸元が空いて。
 琴美の肘がその胸に突き立ち、振動。
「ぎっ!!」
 くの字に曲がった女の胸に、琴美の肩が押しつけられて、振動。硬い外皮の内にあるやわらかな内臓をかき回し、引きちぎり、ミンチに変えた。
「“通し”三連。名はありませんが、私の体術を尽くしたこの業であなたを送ります」
 崩れ落ちた女に、琴美は静かに告げた。

「あたしが蟲ならあんたは犬だよ」
 伏したまま死にゆこうとしている女がささやいた。
 琴美は背中越しに返す。
「生者にはそれぞれが備えた分というものがあります。人外を狩り、人の営みを護ることこそが私の一分。それだけのことです」
「そうかい。それだけの、ことか」
 琴美は応えず、歩き出す。
 すでに自分の言葉を聞く者がないことを知っていたから。
「次なる敵が来るのならばお相手しましょう。私の一分を尽くして」
 薄笑みばかりを残し、琴美は影へとその身を紛れ込ませた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【水嶋・琴美(8036) / 女性 / 19歳 / 自衛隊 特務統合機動課】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 因縁の蟷螂斧を置き去り、忍は一分を胸に行く。
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月13日

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