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『恥辱と逃避の王国』
イアル・ミラール7523


 人が……否。人か獣かを問わず、生き物が最も凶暴になるのは、いかなる時か。
 怯えている時ではないか、とわしは思う。
「ぐるるる……がうっ、がうッ! がふぅっ、うがぁあああああうるるるる!」
 ここへ来てから何年が経過したか、わしはもう数えてなどいない。
 とにかくイアルは、ずっとこんな調子である。
 無論、特製ハーブを飲ませて獣化をもたらしたのは、このわしだ。
 己の内に眠っておるものを、良い感じに刺激して呼び覚ますハーブである。
 例えば日頃、心に溜め込んである思いを、言いにくい相手に向かってぶちまける。その程度の効能しかない、はずであった。
 ここまで凄まじい野生化が引き起こされるなどと、誰が予想出来たであろう。
「日頃……どえらいものを心の奥底に押し込んでおったのじゃなあ、おぬし」
 自身の石像に向かって牙を剥き、吠え立てるイアルの頭を、わしはそっと撫でた。
 その『どえらいもの』が何であるのか、今はわかる。
「……怯えておったのじゃなあ、おぬし」
 己の周囲で、時には己を原因として、様々な滅亡が起こる。
 いくつもの国が滅び、大勢の人々が死ぬ。
 それら滅亡の中には、至宝『裸足の王女』を純粋に奪い合っての闘争に端を発したものも少なくはない。
 己のせいで、国が滅ぶ。人が死ぬ。
 その怯えを、イアルはずっと抱き続けていたのだ。
「もっと、のう。大勢の男どもが自分を奪い合っとるシチュエーションを高飛車に愉しめばいいんじゃよ。それが出来るようなおぬしであれば、そもそもこんな宿命を背負う事もないのじゃが」
 今のイアル・ミラールは、獣そのものの有り様である。
 年を経て朽ち果てかけた衣服をこびりつかせた肢体は、四つん這いのまま老いる事なく瑞々しい凹凸を保ち、けしからん胸を果実の如く下向けに揺らしながら、たまらぬ尻を威勢良く突き上げて、わしを誘惑し続けるのだった。
 何しろ、わしの書いた魔本である。
 物、特に衣類は、経年劣化を引き起こして腐り果てる。
 その中身である女体はしかし、百年千年を経ても若いまま。時の流れは、わしの思うがまま。
 このような所から、イアルはいずれは出て行かねばならんのだろうが。このままでも良いではないか、とわしは最近、思うようになった。
 何しろ、イアルは怯えている。
 己の宿命と向き合う事を拒み、幼児退行どころか先祖返りを引き起こしているのだ。
 己の宿命に関し、人として思考する事を放棄してしまっているのだ。
「わしはの、おぬしは宿命と向き合わねばならぬと思っておった。あやつが、そうしたように……」
 ともあれ、イアルはわしを誘惑し続ける。
 わしは誘惑に屈し、手を動かした。
「じゃがの、それは間違いであるのかも知れん。おぬしは、あやつではないのじゃからな」
 牝獣としては有り得ぬ御立派なものを、イアルは隆々と膨らませている。
 そこから、生臭いものが大量に噴出した。
「人として本来まっすぐに見つめねばならぬものから、獣となってひたすら目をそらせ続ける。それも良い、のかも知れんのう……おぬし、ずっとここにおるか?」
 噴出したものの瓶詰を、わしはタプタプと揺らしてみた。
 この汚らしいものが、しかし転生をもたらす秘薬の原料となるのだ。
 こんなふうに、わしは転生を繰り返してきた。
 何のための転生であるのか。わしは、もはや考えない事にしている。
 いくたび転生を繰り返したところで、あやつに再び会えるわけではない。心のどこかで、それがわかってはいるのだ。


 苔と石の王国である、この魔本の中に、一風変わった区画が存在する。
 氷の宮殿であった。
 氷のイアルが、そこにいる。
 快楽の絶頂に達した瞬間、氷漬けにされ、氷の中でずっと絶頂を迎え続けるイアルの姿。
 無論、本人ではない。幻影のようなものだ。
 本人は相変わらず牝獣のまま、わしに首輪と鎖で引き回されて牙を剥いている。
 氷の中で快楽に溺れている、己の有り様に向かってだ。
「ぎゃうっ、がうッ! わおぉおおおおおおおんっ!」
「己の無様な姿が、許せんのか……人としての部分も、残っておるのじゃな。気の毒に」
 吠えながら寒さに震えるイアルを、わしはそのまま氷の宮殿の外へと連れ出した。
 外へ出たなら出たで、様々な姿の『裸足の王女』が否応なく視界に入ってしまう。
 虚ろな目をしたまま立ち尽くし、苔にまみれ、蔦に絡まれたイアルの巨像が、ここにもあった。
「がぅるるる……うぐぅるるるる……うぅ……ッ!」
 獣の唸りを発しながら、本物のイアルが苦しげにしている。
 巨石の女人像となって痴態を晒し続ける己の様を一体、いかなる思いで睨み据えているのか。
 苦しんでいる、のだとしたら、今のイアルには人の心が辛うじて残っている。
「そんなもの持たず……本当に獣となってしまえば、苦しまずに済むものを。のう……」
 この苦しみを突き詰めてゆけば、あるいは人に戻り、己の宿命と向かい合う心が生まれるのかも知れない。
 その前に、心そのものが壊れ、本当の獣となってしまうかも知れない。
「どちらでも構うまいて。おぬし次第じゃ、イアル・ミラール」
 汚れほつれたイアルの髪を、わしはそっと撫でた。
 獣となっても、こうして優しく扱ってやる。
 わしに出来る事など、それしかないのだ。


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/20歳/裸足の王女】
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月15日

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