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『滅びの海をゆく帆船』
イアル・ミラール7523


 かの『傾国の踊り子』は、咎人の呪いより解放された後、穏やかに年老いて天寿を全うした。生涯の伴侶たる、聖獣界の王女と共にだ。
「わしなどが……再び、会えるわけなかろうが。のう? イアル・ミラールよ。おぬしもそう思うじゃろ」
 同意を求めても、イアルは牙を剥いて吠えるだけだ。鎖を、やかましく鳴らしながら。
 魔本の中である。苔と石に支配された、滅びの王国。
 ひび割れた石柱に、イアルは首輪と鎖で繋がれていた。
 その石柱を引きずり倒してしまいかねない勢いで、牝獣イアル・ミラールは暴れている。
「がぁう! がふッがふぅ! うぉおおおおおおおおん!」
 咆哮が、虚しく廃墟に谺する。
 ぼんやりと、少女はそれを聞いていた。
 人の心に働きかける魔法は、まあ得意な方である。
 それでもイアルの心を、人のそれに戻す事は出来なかった。
 イアルは今、獣である己へと逃げ込んでしまっている。
 獣である限り、人としての宿命と向き合わずにいられるからだ。
「それを責める事が誰に出来よう? 宿命と向き合うだの、宿命に立ち向かうだの、よく出来た英雄物語の中でだけの話よ。容易く立ち向かえるようなものを本来、宿命とは呼ばんのじゃ。そんな途方もないものと向き合うなどという事……少なくとも、わしには出来ぬ」
 いくつもの苔むした巨像が、天を仰いで悶え苦しむ。
 そんな廃墟の光景を見渡しながら、少女は呟いた。
「あやつに会えぬ。その現実から逃避し続けておる、わしごときには……のう」


 懐かしい臭い、なのであろうか。
「こ、これは……一番、汚れている時のイアルの臭い……よね」
 形良い鼻を犬のようにヒクヒクと震わせながら、響カスミは、その店に足を踏み入れた。
 恐らくは、店舗であろう。が、看板の文字を解読する事は出来ない。
 店主はしかし、日本語で話しかけてきてくれた。
「おや……何やら、まともそうな客が来たのう。入る店を間違えてはおらぬか? うん?」
 いや、本当に店主なのであろうか。
 一見、小学校低学年くらいの幼い少女である。
 だが、カスミを無遠慮に観察する眼差しには、幼子らしからぬ狡猾さと図々しさがある。
 お局様の目だ、と感じながらカスミは言った。
「あ……ごめんなさい。少し気になる臭いが、って、このお店が臭いというわけじゃないのよ?」
「ほう……どんな臭いじゃ」
 少女は、気を悪くしたふうでもなかった。
「長いこと洗っておらぬ犬の臭い、とかではなかろうな?」
「私、犬を飼った事ないから、わからないけれど……」
 時折、獣となる人間の牝を飼っている。そんな事を、カスミは思わなくもなかった。
「人も動物も……長く身体を洗わないと、確かにこんな臭いになるんじゃないかしら」
「おぬし……」
 少女が、カスミに向かって目を丸くする。
「わしのよく知る誰かに似ておるような……のう、前世とか覚えておらぬか?」
「知りません。私、前世なんていう非科学的なものに興味ありませんので。ええ、前世も幽霊もお化けも信じませんとも。非科学的・非論理的なものの存在は一切認めません。私、教育者ですから」
 カスミは身を屈め、少女と目の高さを合わせた。
「つまり、貴女みたいな子供を放っておくわけにはいかないという事です。ご両親は? こんな小さな子供にお店番をさせるなんて……昔は許されたのかも知れませんが、今は子供に労働をさせないための様々な法律があるんですよ」
「ふふっ……わし、まっとうに子供扱いされておる。何か嬉しくなってしまうのう」
 そんな事を言いながら少女が、大型の本……と言うより書物を、その小さな手で開いて見せた。
「おぬしの探し物……コレではないかの? ちなみに、これは魔本という代物じゃが」
「知ってます。駄目ですよ、子供がこんなもの……って、イアル……?」
 魔本の挿絵の中に、イアル・ミラールはいた。
 汚れ放題の牝獣と化し、鎖で石柱に繋がれ、悲しげに吠え立てている。
 その獣臭さが、挿絵の中から魔本の外へと漂い出しているのだ。
「イアル、ねえイアルなの? イアルなのね!? 私よ、カスミよ! 私はここにいるから早く出て来なさい! ヒミコちゃんも心配してるんだから。待ってて今、その鎖を外してあげる」
「あっこら待たんか。この魔本は非売品での、商品向けの調整がされておらんのじゃ。迂闊に入り込んだら何が起こるやら」
 少女の言葉を、カスミはすでに聞いてはいない。


 見渡す限りの、石と苔。
 苔、以外の生命体が存在しないのではないかと思わせる、広大な廃墟であった。
 その廃墟のあちこちで、巨大な石のイアルが苦しみ悶えている。
 船の舳先から、カスミはそんな光景を見渡していた。
 朽ち果てかけた、巨大な帆船。
 海のない、苔と石ばかりの世界の中央に、座礁したかの如く鎮座している。
 その船首に、カスミは拘束されていた。
 海神に捧げられた生贄を思わせる、石の船首像としてだ。
「何が起こるやらわからぬ、とは言うたが……わしの思い通りの事が起こってしまったのう」
 ふわふわとカスミの周囲を飛び回りながら、少女が言う。
「……わしはの、転生を幾度も繰り返してきた。わかるのじゃよ、だから。生まれ変わりなど、そう都合良く起こるものではないとな」
 寂しげに微笑みながら少女が、小さな身体をふわりと寄せて来る。
「だのに……ああ、そなた……似ておるのう……」
 愛らしい手が、カスミの石化した体表面で淫らに動き始める。
「じゃから、のう……こうして、魔本のネタにせずにはおれぬわけで」
 快楽に蕩け始めたカスミの理性が、苦悶する巨像たちに向かって、声なき叫びを振り絞った。
(私は……ここよ、イアル……)


 大切なもの、ではない。が、重要なものではある。
 ペンダント状の、アミュレットと呼ばれるタイプの御守り。
 それを、影沼ヒミコは握り締めた。
 自分の力を封印するための、言ってみれば妨げとなる物品である。
 捨ててしまうのは容易い。
 ある1人の女性が、力を抑えて大過なく日常生活を送れるようにと、くれたものである。
 ヒミコは思う。彼女には世話になっているから、不義理になるような事はしたくない。
 義理にこだわってイアル・ミラールを助け出す事が出来るのならば、だ。
「ママ……」
 呼びかけてみても、返事はどこからも返って来ない。
 助けを必要とする状態にイアルが陥っているのは、何となくわかる。
 大方かつての自分のような何者かが、己の引きこもる世界にイアルを拉致してしまったのだろう、とヒミコは思う。
 かつての自分の世界……『誰もいない街』を捨てたのは、イアルのためだ。
 イアルを助けたい、という自分の願いを叶えるためであるから、要するに自分のためであったとも言える。
「ママを助けるためなら、もう1度……誰もいない街を造り出してもいいのよ。わかってるの? ねえ世間の連中……」
 ぶつぶつと呟きながら、ヒミコは街を歩いている。
 通行人が、いくらか薄気味悪そうに、あるいは見て見ぬ振りをしながら、足早に擦れ違って行く。
 どいつもこいつも皆殺しにして、この世界そのものを『誰もいない街』に造り変えても良い。それでイアルを、見つけ出す事が出来るのなら。
 思いつつ、ヒミコは足を止めた。
 小さな、恐らくは店であろう。
 看板は読めない。何を売っているのかも、わからない。
 わかる事は、ただ1つ。
 かつての『誰もいない街』と共通する何かが、店内から悪臭の如く漂い出しているという事のみである。
 かつての自分に似た何者かが、ここにいてイアルを捕えている。
 根拠も理由もない、それはヒミコの直感であった。
 生かしてはおけない。
 それだけを思って、ヒミコは店内に足を踏み入れた。


ORDERMADECOM EVENT DATA

登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/外見20歳/裸足の王女】
【NPCA021/影沼・ヒミコ/女/17歳/神聖都学園生徒】
【NPCA026/響・カスミ/女/27歳/音楽教師】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月17日

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