▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『再び、誰もいない街へ』
イアル・ミラール7523


 じっくり、たっぷりと、半世紀以上は可愛がった。
 硬い船首像と化した肉体の中、心は柔らかく蕩けきって、快楽を求める欲望のうねりに変わった。それは、もはや心ではない。
 響カスミは、人の心を失ったのだ。
 人ではなく物として、所有者に愛でられる。その運命を、彼女は受け入れたのだ。
「己の宿命を受け入れる、という事とは少しばかり違うんじゃのう。これが」
 そんな事を呟きながら、少女は魔本の中から現実世界へと帰還した。
 店の中である。少女が、わかる客のみを相手に細々と営んでいる古物屋だ。
 半世紀以上を、魔本の中で過ごした。店内での時間経過は、しかしせいぜい数分である。
 その数分の間に1人、客が来ていた。
 制服姿の、女の子である。神聖都学園の、女子生徒であろう。
 自分のように無理やりな若作りをしているわけではない、見た目通りの年齢と思われる、その女子高生が言った。
「1度ね、試してみたい事があるの。石化した人間を、粉々に打ち砕いてから生身に戻す。一体どうなるのかしら」
「わし、それやった事ある。お掃除が大変になるだけじゃ。やめとけ」
「他にもあるわ、試してみたい事……頭蓋骨をね、綺麗に切って蓋みたいに開けるの。で、脳みそを外気に晒す。そうすると人間って何時間くらい生きていられるのかしらね。ああ、時空の歪みに放り込んでみるのも面白そう。手足は江戸時代に、はらわたは古代ローマに、頭は白亜紀に飛ばされて生首の化石になるの」
 小さなアミュレットを片手で弄びながら、彼女はじっと眼差しを向けてくる。
 狂気の眼差し、ではない。正気を保ったまま、この女子高生は、こんな事を言っているのだ。
「わかっているのかしら? 私、貴女にね……死に方を、選ばせてあげているのよ」


 一見、愛らしい幼い少女である。自分が男であれば、優しく接しなければ、などと思うのだろうか。
 とりあえず口調だけは出来るだけ優しくしよう、と影沼ヒミコは思った。
「とりあえず氷像にでもなってみる? 半分くらい溶けたところで元に戻してみましょうか」
「まままま待て。初対面の相手に、そうトチ狂うた事を言うものではない。正気で言うておるなら尚更、落ち着かねばならんぞい」
 少女が、慌てふためきながら愛想笑いを浮かべる。
「おぬしもアレか、イアル・ミラールの関係者なのじゃな」
「ママを返しなさい。あとまあ、ついでにカスミ先生も」
 言いつつ、ヒミコは御守りを片手で弄んだ。
 これを己の意思で投げ捨てた瞬間、封じられていた力が解放される。この世界そのものが『誰もいない街』と化す。
「大人しく返してくれれば、身体の中身と外側をひっくり返すだけで勘弁してあげるわ」
「ママ……か。なるほど、のう」
 少女が、何やら感慨深げな顔をしている。
「家族。それなら、何とかなるやも知れんな」


 未完成の魔本であるのは、見ればわかる。
 完成させるつもりなど、この少女にはないのだろう。今後さらに様々なものを追加しながら、商品にはせず自分だけで愉しむ。そのための魔本だ。
 あちこちにそびえ立つ、裸足の王女の苔むした巨像。そんな光景を自慢げに指し示しながら、少女が言う。
「イアル・ミラールしかおらぬ世界! ふふっ、どんなもんじゃ」
「うわあ素敵、ママがいっぱい! なぁんて言うとでも?」
 少女の小さな身体をヒミコは、首根っこを掴んで吊り下げた。
「悪趣味なオブジェと違う、本物のママに会わせなさい。あとカスミ先生にも」
「イアルを悪趣味なオブジェにした事なら、おぬしだってあるのではないのか」
 減らず口を叩く少女を放り捨て、ヒミコは歩み寄った。
 本物のイアルは、先程からずっとそこにいる。視界に入る前に、臭いがしたのだ。
「ぐるっ……がぅるるるる、がぁう!」
 首輪と鎖に繋がれ、吠え立てるイアルを、ヒミコは躊躇なく抱き締めた。
「ママ……」
 語りかけてみても、返って来るのは、獣の唸り声と獣臭さだけである。
「わ、わしイアルを元に戻そうと頑張ったんじゃぞ。しかしのう、そやつ獣としての己の中に引きこもってしまっておる。わしもまあ半分くらい、ここに引きこもっておるようなものじゃからのう。上から目線の説教で元に戻してやる、なぁんて事が出来るワケでもなく」
 言い訳を口にする少女を一瞥もせず、ヒミコはただ命じた。
「……カスミ先生を、ここに連れて来なさい」


 人の精神状態が、最も凶暴になるのは一体どういう時か。
 怯えている時だ、という事が今ならばわかる。
 怯えながら、イアルは牙を剥いていた。
 獣の牙で噛み砕く事など出来ぬほど巨大なものが、自分を脅かしていたからだ。
 それを目の当たりにせずに済むよう、イアルは獣であり続けた。
 獣としての自分が、しかし今、蕩けてゆく。
 熱い、そして懐かしい、快楽によってだ。
 ママ。
 影沼ヒミコの愛らしい唇が、そんなふうに動きながら、イアルの最も獣臭い部分に吸い付いてくる。
 唇だけではない。繊細な五指が、柔らかな胸が、イアルのたぎる獣欲を優しく包み込む。
 優しさと柔らかさの中で、イアルは猛り狂い、蕩けていった。
 その柔らかさが突然、石の硬さに変わった。
 石の唇、石の繊手、石の胸。
 その冷たい硬さが、熱くたぎるイアルの獣欲を、程良く冷ませてくれる。
 熱くなったり涼しくなったりしながら、イアルは果てていった。
 獣としての己が、消え果てる。
 それは、人として何かと向かい合わなければならない事を意味する。
 怯えながらも、蕩けてゆく自分を抑えられないイアルに、ヒミコはずっと囁きかけてくれた。
「ママ……わたしがいるよ、ママ……」


「家族……そう、結局それだったんじゃのう」
 幼い女の子、の姿をした賢者の老女が、瓦礫の上にちょこんと腰掛けたまま言った。
「血の繋がりの有る無しに関わりなく、そう家族じゃ。宿命と向き合うのは己自身、じゃがそれを支える存在としては家族しかおらん。イアル・ミラールよ、おぬしが本当に必要としておったもの。それは家族だったんじゃのう」
「そんな事よりも」
 イアルは言った。
 まずは入浴をしたい。だがそれよりもまず、解決しなければならない問題がある。
「カスミを、元に戻しなさい。そうしてくれないと私、ヒミコをいつまで抑えておけるか自信がないわ」
 船首像となったまま横たわるカスミ。その近くでヒミコが、相手の身体の中身と外側を裏返してしまいかねない眼差しで、女賢者をじっと睨んでいる。
「駄目よヒミコ……貴女が、そんな事をしては駄目。やる時は、私がやるから」
「な、何をやるんじゃイアル。わし、おぬしに何をされてしまうんじゃ」
 女賢者が、愛想笑いを浮かべた。
「心配せんでも、響カスミは元に戻るとも。家族たる、おぬしらがおるんじゃものな」
 家族。そう、自分には家族がいる。イアルは、ふと思った。
 血ではないもので繋がった家族が、ここにいる。
 血で繋がった家族も、いる。
 遠い昔に失われてしまった、1人の少女の面影が、イアルの胸の内に蘇っていた。


ORDERMADECOM EVENT DATA

登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/外見20歳/裸足の王女】
【NPCA021/影沼・ヒミコ/女/17歳/神聖都学園生徒】
【NPCA026/響・カスミ/女/27歳/音楽教師】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月20日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.