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『理想あるいは妄想』
松本・太一8504


 42歳、童貞である。
 文句があるか、という気分に私はなっていた。この歳になると、諦めと言うか開き直りにも等しいものが湧いて来る。
 私の妄想の中には、何人もの理想の女性がいる。皆、天使であり、妖精であり、可憐なお姫様であり、凛々しい戦闘ヒロインであり、妹であり、幼馴染であり、一緒に巨大ロボットに乗ってくれるパートナーであった。
 そんな私専用の娼婦たちとは、根本的に異なる存在なのである。現実の女性という生命体は。
 この歳になれば、いくら童貞でもその程度の事はわかる。わかっていない輩もいるようではあるが。
 あれは、だから現実の女性ではないのだ。
 私の……あるいは私のような誰かの妄想から飛び出して来て実体化した、美しく可憐な魔女。
 仕事帰りの路地裏で私は、そんな存在を見かけてしまったのだ。
 可愛らしい顔は、幼いとさえ言えた。だが身体つきはなかなかに挑発的で、ドレスのようなレオタードのようなものに豊かな胸を押し込めて深い谷間を作り、左右の太股をムッチリと露出させて躍動するその様は、私の煩悩を大いに刺激してくれたものだ。
 私が彼女を『魔女』と認識したのは、まずは濃い紫色のとんがり帽子。そこから溢れ出してサラサラと光を振りまく黒髪は、幻想的ですらあった。
 実際、彼女は、光のようなものを振りまきながら戦っていたのだ。何だかよくわからぬ形をした、巨大なものと。
 超能力あるいは魔法としか思えぬ力を振るい、化け物と戦うヒロイン。魔女、としか思えなかった。
 帰宅してからずっと私は、スマートフォンを見つめている。動画を、撮っておいたのだ。
 もちろん隠し撮りである。彼女にばれたら、あの化け物と同じく、光の魔法で滅殺されるかも知れない。
 構わない、と思いながら私は、スマートフォンの中で光を振りまき躍動し続ける、美しく可憐な魔女の姿に見入っていた。
 アップロードなど無論しない。この動画は、私1人が見て愉しむためのものだ。


 自室で1人スマートフォンに見入っている中年男性の姿が、水晶球から空中に投影されている。
「ほらほら、ばっちり見られて撮られちゃってるわよ新米ちゃん」
「ううっ、恥ずかしい……」
 松本太一はそう感じたが、しかし今は自分より、この中年男性の方が恥ずかしい目に遭っている。
 自室で1人、妄想に耽っているところを盗み見られ、魔女たちの酒の肴にされているのだ。
 1人暮らしの男にとって、これに勝る恥辱はない。
「も、もう、やめてあげましょうよ」
「情報改変とか記憶消去とか、今回はやってないんだ?」
『めんどい』
 応えたのは、太一の中にいる1人の女性である。
 悪魔族の女、と本人は自称している。
『何かもう目撃者1人1人に私の力使うの、億劫になっちゃって』
「ふふん、あんたも年って事じゃないの?」
 魔女の1人が言った。
「それにね、あんた1人の力じゃないでしょ。今はもう半分くらい、この子の力なんだから」
『……まあ、そうなのよね』
 女悪魔が、あっさり認めた。
『最近ね、貴女の身体を通してじゃないと私、いまひとつ上手く力を使えないのよ。知らないうちに気付いたら随分と、貴女に依存していたみたい。ふふっ、頼りにしてるわよ?』
「……私なんて、貴女がいなかったら単なる中年サラリーマンですよ」
 太一は苦笑した。
 無論、今は中年サラリーマンではない。うら若き『夜宵の魔女』として、この夜会に参加している。もちろん強制参加である。
 魔女という生き物は、とりあえず夜会を開きたがる。やたらと飲み会を開いては新入社員たちを辟易させる上司が太一の会社にもいるのだが、それと一緒にしてはならないのだろうか。
 共通点はある。とにかく参加してしまった以上は飲むしかない、という事だ。
「まあね、もう誰かに見られちゃうのはしょうがないって思います。よくわからない怪物が街中にも出て来るようになっちゃったし。だけどやっぱり恥ずかしいですっ、こんな格好!」
 謎めいた生き物の肉を、揚げた後で甘辛く煮付けたものを、太一はガツガツと食らった。それを、酒で一気に流し込んだ。
「でもねっ、戦闘モードに入ると、どうしてもこの格好になっちゃうんですよおっ!」
「魔女だからねえ」
 同じ酒を感慨深げに、ちびちびと飲みながら、魔女の1人が言った。
「魔女っていうのは、こういうもの。あんたの中に、そういうイメージが出来ちゃってたんじゃない? そいつに取り憑かれる前からさ」
「それは……確かにそう、かも知れません……」
 太一が幼い頃。絵本や童話の中で色々と悪事を働いていた魔女たちは、ほぼ例外なく醜い老婆であった。
 やがて漫画やアニメで、若く美しい娘の魔女たちを見かけるようになった。
 今では、魔女と言えば、老婆よりもそちらが主流なのではないだろうか。まあ当然ではある。老婆では、客を呼べない。
 相変わらず場所がよくわからない、この夜会の会場を見渡してみても、視界に入るのは若作りをした魔女ばかりである。
 自分も似たようなものだ、と太一は思う。50歳近い男のサラリーマンが、このような格好をした若い娘に化けているのだ。
(何の事ない……私が1番、たち悪かったりして)
 ここにいる魔女たちは、魔法で無理やりに若さを保ってはいても、性別までは変えていない。
『……本当に、そう思う?』
 女悪魔が、そんな事を言っている。
 声には出さず、太一は訊いてみた。
(え……あの、元々は……男だった人とか、いるんですか? 私の他にも)
『ふふふっ。さて、どうかしらね』
 女悪魔が曖昧な事を言っている間にも、魔女たちは畳み掛けてくる。
「変えたいと思う? その恥ずかしい格好。だっさい芋ジャージとかに着替えればいいだけだよ?」
「なぁんだ、新しいコスチュームが欲しいんなら言いなさいっての!」
「特注品のスクール水着あるわよ! 人によっては、着ると『深き者ども』になっちゃうんだけど」
「ナースゾンビになれるナース服!」
「触手服もあるよー」
「い、いいです遠慮します。この格好、恥ずかしいけど不満というわけではないですから」
 酔っ払いながらも、太一は愛想笑いを浮かべた。
「不満なんて持つ資格ないです。この格好……結局は、私の妄想の産物みたいなものなんですよね。それも、男の私の」
『本当に変えたいと思うのなら』
 女悪魔が、いくらかは真面目に考えてくれているようだ。
『魔女というものを、貴女が再認識するしかないわね。もう少し恥ずかしくない格好をした魔女を』
「人間の、それも男の妄想っていうのはね、刷り込まれちゃってるものなんですよ。子供の頃、思春期の頃から、無意識のうちにね」
 魔法を使う美少女たちが大活躍する、あるいはそれに準ずる内容の、アニメも漫画もゲームも小説も、今や日本じゅうに溢れかえっている。毛嫌いして避けていても、どこかで目に入ってしまうほどに。
 そして太一は別段、そういったものを毛嫌いしているわけではなかった。
 魔女とはこういうもの、ヒロインとはこういうもの。
 そんな理想と言うか妄想が、太一の中で数十年間も培われてきたのだ。
 それが50歳近い今になって無意識下より現出し、もはや消し難いものとして顕在化したのが、この姿である。
「無意識を変えるなんて、そう簡単には出来ません。いくら柔軟な思考や強い意志があったとしても」
『……無理でしょうね。無意識の改変は、私たちの力を持ってしても至難の業』
 自室で、スマートフォンを見つめながら妄想に耽っている男を、太一はじっと見つめた。
 まるで、自分の私生活を覗き見ているかのようであった。
「ねえ、もう本当に……消してあげましょう、これ」


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登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月24日

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