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『11月の激 』
松本・太一8504
「松本さんマジっすか? 松本さんガチっすか?」
 首元からネクタイを引き抜いてゴミ箱にダンクシュート。若めのおっさんが呆然とつぶやいた。
「いやいやおかしいですよ。うんうんおかしいですね。ありえないありえない……」
 目を塞ぐつもりがなぜか耳を塞いでしまったため、自分の発した疑問が聞こえない有様のおっさんがかぶりを振る。
「ボクはね、松本君ならやれると信じてたよぉ」
 この課の部長であるそろそろおじいさんが感無量のサムズアップ。
「あー、はは。その、なんでしょうね? え、宴会芸に、なり、ます、か?」
 松本・太一は今、夜宵の姿で女子社員用の制服に身を包み、おっさんたち(おじいさん含む)の視線になめまわされているのだった。


 事の起こりは一週間前。張り切りすぎた営業部がぶんどってきた大小とりどりの案件により、太一にとっての「弊社」は深淵へと突き落とされた。
 女子(自称)社員たちは、事態を把握するやいなや若手男子社員を引きずって慰安旅行へ行ってしまった。
 会社が数十人もの社員に突きつけられた十日間の有給申請を受け取ってしまったのは、ひとえに女子社員の政治力と戦闘力に押し切られたからなのだが……それにしても。
 残されたおっさんたちは途方に暮れた。
 圧倒的に、戦力が足りない!
 しかしそれでも。おっさんたちは戦い続けた。腹が減れば社食で糖質と脂を補充し、意識が薄らげばデスクの下でいびきと寝言を垂れ流し……残業代は天井を突き破り、「うちの会社は一週間前からみなし残業制になりましたぁ!」と叫ぶ社長をプチプチクッションで簀巻きにし、風呂代わりのウェットティッシュと気付薬代わりのインスタントコーヒーを大量消費しつつ、今日という日を迎えたわけだ。
「ぶっちゃけた話、ほとんどなんにも終わってないんだけどね★」
 部長がいい笑顔で言い切った。
 おっさんたちもはにかんでうなずいた。
 気力も体力も、ついでに理性も限界を超えていた。
 飢えたおっさんたちは虚ろな目をさまよわせる。この修羅場にほんのりでいい、癒やしの光を――できれば女子、自称じゃない女子の――いや、こうなれば自称どころかフェイクでもかまわん。
「そういえばさ、松本君って女顔だよねぇ? ほら、クリスマスにさ、イベントやるじゃない? 予行練習ってことで……あとは、わかるよねぇ?」
 かくて太一は夜宵となった。


「松本さん、お茶お願いしまっす!」
「わ、わかりました。煎茶でいいですか?」
「なんでもいいっすよ、松本さんが淹れてくれたらなんでも」
 おっさんの目が怖い!
 太一は丸盆で胸元をガードしつつ後じさるが、おっさんの湿った視線は執拗に追ってくる。まわりのおっさんたちの目も、どこまでも、どこまでも。
 いや、怯えてはいけない。異常事態だからしょうがないのだ。でも、精神的にきつすぎた。今日の朝までは私もあっち側のおっさんだったのに!
「松本さん、いい匂いがしますね……」
 ひぃ! 振り向けばそこにガタイのいいおっさんが!
「真実の愛、か」
 ぽつりと言い残してデスクへ帰っていく彼の背には、本気と書いてマジと読む決意が漲っていた。
「あ、あの、私、みなさんにお茶、淹れてきま、す」
 いい。なんか声もいい。
 くびれ。くびれてんだよなぁ。
 パンプスよりハイヒールで。
 うおあええいぎぎぐぐげ。
 低く粘りついた声音を振り切り、太一は給湯室へ逃げ込んだ。
『悪魔さん! やっぱり夜宵になるのはダメだったんじゃないんですか!?』
 脳内で叫ぶ太一へ、彼の内に在る“悪魔”はあくび混じりのセリフを投げ返した。
『女を装うはイヤだというから、なればいっそ女になればよかろうと助言したまでだ』
『確かに女装じゃなくなりましたけど! みなさんの目がっていうかみなさんがおかしい!』
 すがってくる太一を“悪魔”は面倒臭げに蹴り離し、肩をすくめてみせた。
『別に減るものでなし、悦ばせてやればいい。女を識ることはそなたにとっても得るものがあろう』
『仕事にならないじゃないですか! いやそれよりも私にその気がないです! シャワー浴びてないし!』
『そなたの意外なやる気に我も驚愕を隠せぬわけだが……ならば焦らせ。思わせぶりに誘って紙一重でかわし、男どもを引き回して操るのだ』
 そんな立派な悪女をやれるくらいなら、もっとうまく人づきあいができている。
 言い返そうとした太一だが、はたと思いついた。
『誘導して、かわして、操る。それなら』


「佐藤さん、こちらの案件8は鈴木さんに届けます。田中さんは案件14の資料作成を。案件13はクライエントの返答あるまで待機。小林さんはその間に田中のフォローお願いします」
 太一は自分のノートパソコンに集約した情報を俯瞰で見定め、攻略ルートをはじき出しておっさんたちに指示を出す。普通に考えれば越権行為なのだが、この場で彼に求められているものは“癒やし”を振りまくことだ。声音に薄く“魅了”の情報を乗せて“誘導”し、相手に違和感を与えず動かしていく。
「松本君、ボクはなにすればいいかなぁ?」
 業務が効率的に回りだしたことで手が空いた部長が、夜宵たる太一の肩に手を伸ばすが。
「部長は社食におにぎりとお味噌汁の発注をお願いします」
 チェアをくるりと回して部長へ向きなおり、この手をかわしておいて、笑む。冷静に考えてはいけない。今の太一はおっさんならぬ夜宵で、その笑みには男のやる気を奮い立たせる“応援”が込められていた。
「全力出すよぉ!」
 どうせ出すなら別の機会に出してほしい全力だったが、ともあれ。
「もうすぐ補給が届きますから! その前にコーヒー欲しい人ーっ!」
 どこぞの軍隊さながら、一斉に無数の右手が突き上げられ、おっさん臭が逆巻いた。女子の身には激しく辛い臭いだったが、太一は情報を遮断してこれを封じ、極上の笑顔で立ち上がった。
『尻は大きく振るとよい。靴の踵を左右で変えるのも手だな』
“悪魔”のささやきには耳を貸さず、しかし“応援”の効果を高めるためにモンローウォークを意識して太一は歩いてみた。
 重たい視線がタイトスカート越しに突き刺さるのを感じる。中には妙に鋭い視線もあったりして。
 思わず立ち上がってついてこようとするおっさんどもを“逸らし”て“集中”させ、太一はぱたぱたとオフィスから抜け出した。
『うう! こんな真実、識りたくなかった! ああ、でも! 私もあっち側なんですよねぇ! 人を剥き出しにする極限状態が悪いんだって、わかってはいるんですけどね!』
 脳内で崩れ落ちる太一に、“悪魔”は鼻息をひとつ吹いてみせるばかりであった。

「それじゃあこれからおにぎりを配給します。えー、と。め、メリー、クリスマス?」
 制服からなぜかサンタガールコスに着替えさせられた太一が、ワゴンに乗せられた握り飯と味噌汁を配り歩く。
 衣装もセリフも、「予行練習」を掲げた部長の差し金である。会社員という身分に属する太一にとって、この情報タグはすなわち受け取り拒否不可能を意味するのである。
「俺、この仕事が終わったら松本さんに言うんだ……」
 なにを言う気だ、なにを!?
「18金、いやプラチナ……」
 なぜ私の左薬指の直径を測ろうとする!?
「ボクね、お金はそこそこ持ってるよ……」
 部長ーっ!?
『笑え笑え。そなたの仕事は男どもの心を癒やすことなのだろうが。一時の安らぎが活力を生む。こちらの世では、そう。リフレクトと言うのであろう?』
『それは反射ですよ……リフレッシュです』
“悪魔”にツッコんで、太一は深いため息をついた。
 そして大きく息を吸って、“情報”を張り詰める。
「これを乗り越えたら祝勝会をしましょう! 会社の経費で思いきりの酒池肉林です!」
 社長室からプチプチクッションを貫いて邪気が飛んできた気はするが無視。ありったけの“活力”を“応援”に練り込み、おっさんたちへ注入した。
 心にドーピングをぶっ込まれたおっさんたちは「松本さんの味がする」とか言いながら握り飯を貪り喰らい(注:社食のおばちゃん作です)、仕事の海へと我が身を投げ込んでいった。
 ちなみに、このデスマーチこそが後の社史に語られる「11月の激」となることを、この場の誰も知りようがなかった。


 かくて三日が過ぎ。
 会社につやっつやの顔でやってきた女子社員と、どうにもならないほどしおしおな有様の若手男子社員は見るのだ。
 気力と体力を絞り尽くして倒れ伏す、やけにいい笑顔なおっさんたちの屍を。
 この後、会社に理由の知れない女装ブームが巻き起こり、松本・太一秘密ファンクラブの結成と騒乱、ついには崩壊が演じられることとなるのだが……あえてここでは語らずにおこう。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8504 / 松本・太一 / 男性 / 48歳 / 会社員/魔女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 初冬の戦場に花は咲き、戦士らは喜悦のただ中へ散りゆくばかり。
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年11月29日

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