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『火花が火事を引き起こす』
イアル・ミラール7523


 影沼ヒミコは、足を止めた。
 声を投げてみる。
「ヴィルトカッツェ、と言うより鼠ね。こそこそと私を尾け回して一体、何を突き止めようって言うの?」
「……何も。私は貴女に、何もしない事を望んでいる。そのための監視だから」
 電柱の近くで、風景が歪んだ。空気が、空間が、小柄な人の形に歪んでいった。
 光学迷彩が、解除されたのだ。
 姿を現した1人の少女に、ヒミコは冷たく微笑みかけた。
「IO2の凄腕、にしては気配の隠し方が全然駄目ね。と言うよりそもそも気配を隠すつもりもなかった? 殺気を丸出しで、小鼠ちゃんが牙を剥いて私を噛み殺そうとでも?」
「それが最良の選択、かもね。貴女が何か、やらかす前に」
 茂枝萌のたおやかな右手が、良い感じに脱力している。いつ高周波振動ブレードの抜き打ちが来ても、おかしくはない。
「最凶最悪の心霊テロリストが……誰もいない街を捨てて、一般人として生きる? 一体誰が、それを信じると」
「別にね、IO2の鼠ちゃんに信じてもらおうという気はないの。私はただ……ママを、迎えに行くだけよ」
 イアル・ミラールが、響カスミと一緒に、あの女賢者の店に呼ばれて行った。何でも、魔本の執筆を手伝って欲しいとの事であった。
 そのついでに一体どういう事をしているのか、想像はつく。少しくらいなら仕方ないが、止まらなくなっているようであれば行って止めなければならない。
「……わかってるよね、本当は」
 萌は言った。
「イアル・ミラールは、貴女の母親なんかじゃ」
「その先を言わないで。私、これを捨てなきゃいけなくなるから」
 ある1人の女性にもらった御守りを、ヒミコは握り締めた。
「あの人をね、裏切るような事……出来れば、したくないのよ」
「それなら、もっと慎ましく生きなさい。イアル・ミラールの私物化は、許さない」
「そっくり、お返しするわね。その言葉」
「…………」
 萌は黙り込んだ。愛らしい唇をしっかりと引き結び、その内側で小さな歯を噛み鳴らしている。
 ヒミコも、もはや何も言わなかった。ここから先は、言い争いでは済まない。
 言葉を発したのは、いつの間にかそこに立っていた3人目の少女である。
「そこまで、そこまで。わしの店の近くで、あまり血生臭い事をされては困るぞい」
 幼い少女、の姿をした賢者の老婆。
 ヒミコが、萌が、同時にそちらを睨む。
「私たちが殺し合うとしたら、貴女もその原因の1つよ。わかってるんでしょうね? ママに、またおかしな事をしたら……」
「貴女はIO2の特A級監視対象……ここにいる影沼ヒミコと同じく、ね。自分の立場、わかってる?」
「わ、わかっとる。わかっとるとも。わしブラックリストに載っておるんじゃのう。光栄じゃのう」
 幼く見える女賢者が、愛想笑いをした。
「まあ落ち着け、おぬしらが殺し合ったらまず誰よりもイアルが悲しむ。落ち着いて、ちょっとお茶でも飲んでいかんか」


 人を、物として扱う。言うまでもなく最低の行為である。
 これまでイアル・ミラールを物として扱ってきた、様々な邪悪なる者たちを、しかし響カスミは責める事が出来なくなった。
 物としてガタゴトと快楽に震える石像イアルの姿を見ているうちに、愛おしさを抑えられなくなったからだ。
 物としてのイアルの魅力に、自分は抗う事が出来ない。
 カスミは唇で、手指で、胸で、イアルをひたすら愛で続けた。
 劣情を噴出させながら、やがてイアルは微動だにしなくなった。
 唯一、生身であった部分までもが石化している。
 イアル・ミラールは、完全な石像となった。
「あれ……イアル……?」
「帰ったぞい、カスミ先生……おわー!」
 女賢者が、何やら慌てている。
「やり過ぎじゃよ! まったく、もう!」
 そんな事を言いながら女賢者が、とっぷりと液体の入ったフラスコを石像イアルの口に当て、傾けた。
「……賢者さん、それは?」
「イアルが散々ぶちまけたものじゃよ。わしの転生用に、いくらか保管してあるんじゃ」
「呆れたものね。これまで何度も転生を重ねて、これからも転生して、一体いつまで未練がましく生きるつもりなの?」
 影沼ヒミコが一緒にいた。IO2の、茂枝萌もだ。
「来て良かったわ。やっぱり何か、止まらなくなってたみたいね? カスミ先生」
「…………」
 ヒミコは冷笑し、萌は無言である。鋭い刃のような眼差しが、カスミ及びイアルにじっと向けられている。
 そんな視線を浴びながら、イアルは生身に戻っていった。
「……カスミ? 私……どうして、ここに……おかしいわ、何だか妙に……疲れている、ような……」
「そ、そうね! それじゃあ帰って休みましょうか」
 カスミは、それにヒミコも、左右からイアルに抱きついてゆく。
「まったく、心配したのよママ? 案の定この連中にまたオモチャにされて……いい加減にしないと私、誰もいない街をもう1つ作っちゃうわよ? そこにママをさらって、2人きり」
「な、何を言ってるのヒミコ……カスミも! 貴女また何かしたんでしょう、私が石になってる間に!」
「な、何にもしてないわよう」
「また縛られたいの!?」
「ママ、それ御褒美にしかなってないから」
 萌が無言のまま、背を向けて店を出て行ってしまった。


「修羅場っておるのう、むふふふふ良いぞ良いぞ」
 女賢者が、面白がっている。
「あやつと同じじゃて。あやつものう、最後の最後でちょっとした二股が発覚してのう。ちなみに、おぬしは何股じゃ?」
「……そういう事がね、起こらないようにしたいのよ」
 女賢者の小さな身体を天井から吊るしてやりたい衝動を懸命に抑えながら、イアルは言った。
 何だかんだで最後にはこうして自分を元に戻してくれる彼女の力に、すがらなければならない。
「私ね、カスミともヒミコとも……その、一線を越えてしまったわ。こんなもののせいで」
 萌が、ようやく機嫌を直してくれたところである。
 あの後、すぐに追いかけて、平謝りにも等しい説得をした。
 私、あの浅ましい人たちとは違う。別にイアルを、私物化したいわけじゃないから。
 そんな事を言いながら、萌は涙ぐんでいたものだ。
 イアルの心は、ときめいた。ときめきにまかせ、自制を失ってしまうところだった。
 辛うじて自制を保ちながら萌を帰らせ、イアルは1人こうして店に戻って来た。ヒミコもカスミも上手い具合に帰った後で、女賢者にこのような相談を持ちかける事が出来た。
「このままだと私、萌とも……一線を、越えてしまいそう」
「他にも何人かおるじゃろ、おぬし」
「だから! そういう事が起こらないように、これを取り除いてくれないかしら? 貴女の力で」
「もったいない。男でも、そこまで御立派なモノを持っておる奴そうおらんと言うのに」
「そう、そんなに御立派だと思うのなら……貴女にもね、してあげましょうか!? 一線を越えてみる?」
「ままままま待て、それは色々まずい。わし、こんな見た目じゃし。いや本当まずいんじゃって」
 女賢者が、慌てふためいた。
「それにのう。それはおぬしの魔力の根源と繋がっておるから難しいんじゃよ。ま、やってやれん事はないが……多分また生えて来るぞい。何らかの理由での」
「そう……かも知れないわね」
 ヒミコが、誰もいない街を犠牲にしてまで除去してくれたものである。それが、無かった事になっている。
 女賢者の力で除去したところで、また何か、これを生やさねばならないような事態が起こるかも知れないのだ。
「難儀な宿命を背負ってしまったのう、おぬし。あやつ以上じゃ」
 女賢者が言った。
「それを思えば……まあ、良いんではないか一線を越えるくらい。あのヴィルトカッツェもな、それを望んでおると思うぞ」


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/外見20歳/裸足の王女】
【NPCA026/響・カスミ/女/27歳/音楽教師】
【NPCA021/影沼・ヒミコ/女/17歳/神聖都学園生徒】
【NPCA019/茂枝・萌/女/14歳/IO2エージェント】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年12月01日

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