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『背徳のピュグマリオン』
イアル・ミラール7523


「浦島太郎、とかいう奴がおるじゃろ。あやつ何故、玉手箱を開けてしまったんかのう?」
 幼い少女、の姿をした賢者の老婆が、そんな問いかけをしてくる。
 涙ぐんだまま、響カスミは答えた。今の自分ならば、浦島太郎の気持ちがわかる。天女の水浴びや鶴の機織りを覗いてしまった、男たちの気持ちも。智恵の実を食べてしまったイヴの気持ちも。
「乙姫様が……開けてはいけない、と言ったから……?」
「そうゆう事じゃな。見てはいけない、食べてはならん、話してはいかん、そう言われるとつい見てしまう食らってしまう喋ってしまう。そんな連中ばっかりじゃろ」
 女賢者の経営する店である。わけのわからぬ品物ばかりを取り扱っており、本当に客が来ているのか、などと他人事ながら心配になってしまうカスミではあるが、魔本を売っているなら通い詰めても良いか、とも思わなくはない。
「あやつらの話の教訓、カスミ先生は一体何じゃと思うておる?」
「してはならない……そう言われた事は、やっぱりしてはいけないんです。悲しい結果にしか、ならないから……」
「それが出来れば苦労はない、とも思うておろう?」
 女賢者が、ニヤリと笑った。
「禁止されればされるほど、やらずにはいられなくなってしまうのが人間というものじゃ。わしものう、魔本禁止令が出た時には大いに燃え上がったものよ。わしが今もまだ魔本を書き続けておれるのは、あの禁止令のおかげじゃと言って過言ではない。イアル・ミラールには感謝せんとのう」
「私もイアルには感謝しています。イアルを……愛して、いるんです」
 知り合って間もないと言うのに、このような相談が出来てしまう。
 この少女の姿をした老婆には、得体の知れぬ包容力のようなものがあった。
 実はとてつもない詐欺師なのではないか、と思える時もある。それでもカスミは、悩みを打ち明けずにはいられなかった。
「イアルの嫌がる事なんて私、したくないんです。人を物として扱う! イアルが嫌がらなくたって、最低の行為です。なのに、なのに私……」
「おぬしはのう、乙姫や天女や鶴女房や造物主に禁じられたのではなく……己自身で、禁じてしまったんじゃのう。物としてのイアルを、愛でる事に」
 女賢者の口調に、眼差しに、慈愛に似たものが宿った。
 薄汚い虫けらを哀れむ目だ、とカスミは思った。
「ならば、いっそ愛でるが良い。物と化した裸足の王女を、心ゆくまで、気が済むまで……飽きが来て、嫌になるまで。おぬしがの、その妄執から解放されるには、それしかあるまいて」
 泣き崩れるカスミの肩を、女賢者の小さな手がぽんと叩く。
「やめさせたい、のであれば禁じてはならん。それが、あれらの話から我らが得るべき教訓なのじゃよ」


 イアルは、とにかく魔本というものを毛嫌いしている。
 わからなくはない、とカスミは思う。だが、やはり自分には魔本が必要なのではないか、とも思う。
「だって……本物の貴女は、こんな事させてくれないでしょう……イアルぅ……」
 イアルが、石像ではない、得体の知れぬオブジェと化していた。
 緑色の、よくわからぬ何かに塗り固められ、まるでエメラルド製の女人像のようになっている。
 その緑色の何かの上から、カスミは愛撫を仕掛けていった。
 女人像が、砕けてしまいそうにガタゴトと揺れた。
「ふふっ、反応しちゃってるのね……いけないイアル……」
 エメラルドのような、あるいは腐った植物のようでもある塗着物の内側で、女としては有り得ぬものが暴れている。そして、劣情をぶちまける。
 牡の生臭さが、腐った植物のような臭いと混ざり合って、凄まじい悪臭となった。
 それすらも愛おしくカスミは今、愉悦の境地に至りつつある。
「ふふっ……イアルの匂い……イアルの、臭いぃ……」


 自分が魔本の中にいると自覚出来てしまうようでは、魔本としては二流以下なのじゃ。
 女賢者は、そんな事を言っていた。
 物書きとしては不本意じゃが、この魔本は、であるからして手抜きの品じゃ。とても売りには出せん、わしの自己満足用なのじゃ。おぬしが気をしっかり持っておれば、現実との境は保たれる。魔本に呑み込まれる事もあるまい。
 お願いじゃから、呑み込まれて廃人になったりせんでくれよ。そうなったらわし今度こそ本当に、イアルに殺されてしまう。
 女賢者が前もってそう言っていたのでカスミは辛うじて、ここが魔本の中であると認識する事が出来た。
 今ここにいるイアルも、本物ではない。幻影のようなものだ。
 悶え苦しみながら石化した、女戦士。凹凸のくっきりとした魅惑のボディラインを嫌らしくなぞるように、植物が絡みついている。
 カスミの手も同じくらいに嫌らしく動いて、女人像としては有り得ない部分を弄り回していた。
 苔むした女戦士の石像。その中で唯一、生身のまま屹立している部分を、カスミは手指だけではなく唇で、胸で、愛撫し続けた。
 石像が、激しく振動している。
 噴出したものを全身に浴びながらカスミは、このままでは自分は本当に廃人になってしまう、と思った。
 そうなればイアルは怒り狂い、あの女賢者を殺してしまうのだろうか。
「ねえイアル……賢者さんはね、悪くないの。悪いのは私……こうやって、いけない事をしているのは私……」
 陶然と微笑みながら、カスミは涙を流していた。
「だから、ね……殺すなら私を……わ、わたし……イアルに、ころされるぅ……」
 イアルと同じものが自分にも生えていたら、破裂せんばかりに膨張・屹立しているところだ、とカスミは確信した。


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/外見20歳/裸足の王女】
【NPCA026/響・カスミ/女/27歳/音楽教師】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年12月08日

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