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『 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)
『新築しました』
 SNSにあげられた写真に映るのは、先日粘液状の魔法生物に家を占拠され、シリューナ・リュクテイアへ救いを求めてきたあの魔女の笑顔だった。
「魔法の無駄遣いね……」
 書斎のプレジデントチェアに背を預けたシリューナは、皺の寄った眉間を揉みほぐしつつため息をつく。
 はずかしい写真をSNSで拡散された意趣返しに、パソコンごと家を破壊し尽くしてやったのが一週間前。
 その直後からネット上のあらゆる場所でシリューナの魔法薬屋がディスられ、野次馬を巻き込んだ大騒動に発展したのをなんとか鎮火できたのが三日前。
 魔女との手打ちの儀がネット越しに完了したのが昨日。
 そして。シリューナの攻撃を心配する必要がなくなった今日、魔女は魔法の力で一気に家を新築してみせたというわけだ。
「前のお家と変わらない感じがしますけど……」
 シリューナの後ろからひょいとモニターをのぞきこんだのは、彼女の魔法の弟子にして魔法薬屋店員、なによりも大切な妹分たるファルス・ティレイラだ。
「魔力を効率的に流したり留めたりするには、魔法使いそれぞれの最適解があるものよ。彼女の場合はあの家の形がいちばん使いやすいということでしょうね」
「なるほどー」
 ティレイラはふむふむうなずき、笑みを輝かせた。
「私、このお家が大好きです! だからきっと、お姉様のお家が私の最適解ですね!」
 まっすぐなティレイラの言葉に、ほろりと薄笑むシリューナである。
「光栄ね。……夜に彼女が納品物を届けに来るそうだから、倉庫に場所を作っておいてくれるかしら?」
「そんなに大きいんですか?」
「いつもより量が多いのよ。お値段は据え置きでね。手打ちを飲んだ理由のひとつはそれだから」
 ティレイラはぴしりと敬礼し、「了解です!」。さっそく倉庫へ駆けていった。


「どぉもぉ〜」
 コンコンコンコンコン! 打ち鳴らされるノッカーの騒がしい音の向こうから、おっとりした声がやってくる。
「のんびりしてるのか忙しないのかわかんないですね」
 あわてて来訪者を迎えに出たティレイラが、シリューナの待つ書斎へ魔女を導き入れた。
「ヘイ、シリちゃん久しぶりぃ」
 垂れたまなじりをさらに下げたゆるい笑顔で魔女が言う。
「おつかれさま。一週間と少し前に会ったわ。あんなことがなければ来月までは会わずにすんだのだけれど」
「あらぁ、冷たい」
 ティレイラは魔女が持ち込んだ商材を倉庫に運んでいる最中だ。量が多いので、もう少しかかるだろう。
「ティレが戻ってきたらお茶を出すわ。ちょうど年代物のプーアルの緊圧茶があったわね」
 長く熟成させた茶葉からはカフェインが抜ける。それだけ覚醒作用も薄れるので、夜飲むには適している。
「夜はこれからなのにぃ。あ、ちょっとおトイレ借りるわねぇ」
 いそいそ出て行く魔女。
 後にシリューナは悔いることとなる。
 あの魔女を、ボディチェックもなしに三分間も野放しにしてしまった自分の不明を。


「すみません! 私、明日ちょっと早いので」
 歓談の最中、時計を見たティレイラが声をあげた。
 明日は彼女の本業である配達の仕事があるのだが、薬屋の仕事に影響を出さないため、早朝に出発することとなっているのだ。
「ここはいいから、先にお風呂を使って休みなさい」
「そうしてそうして。あたしとシリちゃんはもうちょっと飲んでるからぁ」
 書斎の応接卓には、茶器に代わってブランデーの瓶とグラスが並べられている。こうなると魔女も、しばらくは帰るまい。
「じゃあ、甘えちゃいますね。洗い物は明日しますからそのままにしといてください」
 ティレイラは一礼し、風呂場へと向かった。
「かわいいお弟子さんよねぇ。なんでもしてあげたくなっちゃうわぁ」
 ほぅと息をついてその背を見送った魔女がシリューナへ流し目を送り。
「シリちゃん、あたしのお弟子さんにならない?」
「教えを請う間もなく後始末に飛び回るのはごめんよ」
 シリューナの冷めた言葉に、魔女は苦笑した。
「あたしにはシリちゃんもあの子も、なんでもしてあげたくなっちゃうかわいい子なんだけどなぁ。もうしてあげちゃったけどねぇ」
「ちょっと待って。今なにか、不穏なことを」
 !?
 声なき絶叫が書斎に届く。それはもうまちがいなく風呂場のほうから。
「ティレ!?」


 シリューナが風呂場に駆けつける二分前に時間は遡る。
 クラシカルな調度をそろえられた脱衣所で服を脱ぎ、ティレイラは浴室へ踏み込んだ。
「〜♪ ん?」
 魔力で温度を保たれた湯が満ちた浴槽。
 湯は当然、透明であるはずだった。
「どうしてピンク色?」
 小首を傾げるティレイラ。夕方過ぎに湯を張ったのは彼女である。シリューナがいつでも入れるよう、湯に含めた魔力の調整をしにたびたび立ち入ってもいた。ほんの数十分前まで、なんの変哲もないただの湯だったのはまちがいない。
「ま、いっか!」
 なにやらいい匂いもするし、魔力も感じるし。きっと魔法的な効能のある入浴剤をシリューナが加えてくれたのだろう。細やかな気づかいを表に出さず、さらりとしてくれるのがシリューナだから。
「たまには言ってくれてもいいんですけどねー」
 まずは体を洗い、心身の準備を整えて、ティレイラは浴槽にその身をつけた。
「わ」
 香りがふわりと立ち、彼女の肢体を包み込む。とろりとした肌触りが心地いい。
「んー、疲れ飛んじゃう! ありがとうございますお姉ばっ」
 ずるり。唐突に形のいい尻が浴槽の底にすべった――ちがう。引きずり込まれたのだ。肌へまとわりつく湯に。
 いや、これは湯ではなかった。魔力に満ちた液体は意志を持つようにうねり、彼女をさらに自らの奥へと飲み下そうとする。
 覚えがあった。この感じ、あの魔女の家をジャックした魔法生物と似ている!
「っ!」
 とっさに火魔法を発動したティレイラ。その体が炎に包まれ、まとわりつく湯を蒸発させた。
 しかし湯は後から後から押し寄せては蒸発し、水分を失って硬化していく。
 まずい。だめだ。このままでは、閉じ込められる! 焦るティレイラだったが、その体からは逆に力が抜けていくのだ。
 なんだか気持ちいい。体だけじゃなくて、心まで揉みほぐされてくみたい。これはマジックハンドなエステティシャンさんにも負けてないよね。
 うとうととブラックアウトしていくティレイラを、薄桃の湯がやさしく包み込んでいく――


「ティレ! 大丈夫!?」
 果たして浴室に踏み入ったシリューナが見たものは。
 湯船から立ち上がったティレイラの全身を押し包み、硬い輝きを放つ薄桃の結晶だった。
「材質は、水? 分子が凝縮して結び目が詰まって、ティレを押し固めたのね。でもこの魔力は」
「あらあらまあまあ」
 探知魔法をはしらせるシリューナの後ろから、魔女がのんびり声をあげた。
「この魔力、あなたのよね? 意趣返しのつもり?」
 苛立つシリューナにふるふるとかぶりを振ってみせ、魔女は答えた。
「入浴剤よぉ。シリちゃんとファルちゃんの疲れがとれてほかほかしますようにって思いながらまぜまぜしたんだからぁ。これ、仲なおりの印なんだからねぇ」
 ようするに、この魔女は先日のスライム騒ぎを悪気なく再現してしまったわけだ。おそらくは乾燥した状態のものを持ち込んだのだろうが、それに水分を与えたがゆえに魔法生物化し、ティレイラを取り込んだ。
「文言的には大丈夫そうだけれど……」
「うん。濃縮しちゃってるから多分、すっごい疲れとれるわぁ。結果オーライ?」
 結晶からは甘い香りが立ち、シリューナの怒気をやさしく解していく。
 効能については確かなのだろう、結果が迷惑なだけで。それに。
「これはこれで、悪くはないものね」
 あわてた顔を上向けるティレイラは、結晶に悪意がないためか実に表情が瑞々しい。かすかに上気して見えるのは結晶の色味ばかりのことではなく、ヒーリングの熱に温められているからなのだろう。
「拘束と弛緩。相反するふたつの表現がどちらを殺すこともなく両立している。これは香りの効果もあるのかしら。囚われているはずのティレがリラックスしていること、感じずにいられないもの」
 多数の花から抽出されたと思しき香りは実に繊細だ。まったく、この調合センスがなければすぐにでもこの天然魔女との縁を切ってやるのに。
「あらぁ、ファルちゃんとあたしの入浴剤のコラボ! SNS映えするわぁ」
 どこに隠し持っていたのかデジカメを取り出し、アングルを求めて狭い風呂場を行きつ戻りつする魔女。
 シリューナは誓う。この天然SNS蝿、後でどれほど困ることになっても、縁もろとも命の糸を断ち斬ってあげるわ。


 いつしか魔女は、浴室の戸口にもたれて眠っていた。リラックス効果が彼女までもを侵した結果である。
 ブランデーグラスを手にしたシリューナはわずかな時間その様を見下ろし、視線を浴槽へと向けた。
 ライティングを整えられる場所へ、ティレイラの封じられた結晶を移そうかとも考えた。しかしこれはあくまでも“湯”であり、そうである以上はあるべき場所にあってこそだと思いなおしたのだ。
「私もこうしてリラックスできているわけだしね」
 馥郁たる香りに包まれたティレイラ。その表情は焦りから安らぎに変わっていた。そのゆるやかな表情の変化は、まったく見飽きることはなかった。
 それに、香りももちろんだがこの指触りだ。元が湯ということもあってか、硬いくせにあたたかい。つるりと弾くくせにさらりとした心地よさを残す。
 さながら鉱質に恵まれ、硬さの内にやわらかさを含むに至った上質の湯のような……そんな感想が意味を成さぬほどにシンプルな“ぬくもり”が、指先から染み入ってくるかのようだ。
「この熱はティレの魔法」
 そういえば、いつもティレイラは湯に保温魔法をかけてくれていた。不規則な生活をしているシリューナがいつでも湯を使えるように心配りをして。もちろん、ティレイラはそんなことを言わなかったけれども。
 そんなティレイラの思いがあればこそ、これほどまでにシリューナはくつろげる。体ばかりでなく、心まであたためられ、蕩けさせられる。
「ひとつだけ悔しいのは、彼女とティレイラのコラボレーションがこの芸術を生み出したということよね」
 シリューナは掌であたためたブランデーに思いを含め、ひと息に飲み下した。
 私とティレの魔力を合わせて生み出せるものはないかしら。
 誰も聞いていないのはわかっていたが、やはり言葉にするのは気恥ずかしくて。シリューナはばつの悪い目をティレイラから逸らした。
 そこにあるのは寝こけた魔女。
「……あなたにはお礼を考えておくわよ? お返しはきっちりとしておかないとね」
「んぐっ」
 不穏な圧を察したのか、魔女はびくりと身をすくませる。そのまま悪夢を見ればいい。
「夜はもう少し続くから。それまであなたを楽しませてね、ティレ」
 シリューナは空のグラスを傾け、その向こうにある薄桃を透かし見た。
 湯に浸り、ため息をつくようなティレイラの表情がグラスを、そしてシリューナの心を満たしていくのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【シリューナ・リュクテイア(3785) / 女性 / 212歳 / 魔法薬屋】
【ファルス・ティレイラ(3733) / 女性 / 15歳 / 配達屋さん(なんでも屋さん)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 浸かる時、其は至福。
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東京怪談
2017年12月13日

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