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『モノクロームの世界 』
満月・美華8686


 あの日から。
 この世のどこにも、父母がいなくなった。
 世界はモノクロームに染まって。
 びょうびょうとわめき暴れる風が窓を叩き、私を脅し続けていたのを、よく覚えている。

 ヌケガラのようになった私は、祖父に引きとられることになり。
 新しく住むことになった屋敷は、どこか『不吉』に満ち満ちて見えた。
 私はただ、風にのまれるまいと。
 唇を引き結び、両足を踏みしめていた。


 高校を卒業した後、美華は魔女見習いとして祖父のもとで修行を続けていた。
 ライターとして心霊コラムの雑誌連載もおこなっており、収入もある。
 ――護られるだけのこどもから、自立したおとなへ。
(ここへ来たばかりの頃よりは、世界の色が、鮮明に見えるようになった気がするわ)
 同じころ。
 そんな美華のこころを後押しするように、祖父は、それまでかたくなに立ち入りを禁じていた部屋への出入りを許した。
 屋敷の中でも、特に扱いの難しい魔道書を集めた部屋だ。
 ――出入りを許されたということは、それらを扱う資格があると認められたに違いないわ!
 両親を喪った哀しみはいまなお癒えることはないが、生きていれば、こうして喜びを得ることもある。
 美華はその日からいっそう修行に励み、魔女としての才覚を開花させていく。

 ある日のこと。
 祖父の外出が決まり、美華は一日、屋敷の留守番をすることになった。
 とはいえ、特別なことは何もない。
 いつものように日常の雑事を片づけ、修行の課題にとりかかる。
 祖父の求めた結果を魔術で再現するという課題だったが、何度ためしても実行途中で力が霧散してしまい、うまくいかない。
「あの部屋になら、参考になる本があるかしら」
 期待をこめて魔道書の部屋を訪れるも、課題に役立ちそうな本は、なかなか見つからない。
 そうして部屋中を巡っているうちに、美華は気付いた。
 書架の最下段。
 最も目のつきにくい場所に、箱入りの本が置かれていたのだ。
(これは、封印の施された『禁書』……!)
 屋敷にはいくつかの禁書があると教えられていたが、それらの閲覧許可は、まだおりていない。
 そもそも封印の解除には、魔術師としての一定の実力と知識が必要であり、ふたつが伴わなければ箱を開くこともできない。
 ――なぜ、禁書に触れたのだ!
 叱責する祖父の顔が脳裏にうかび、手にとった箱を戻そうとする。
 しかし。
(この本の中に、課題のヒントになるようなことが、書かれているかもしれないわ!)
 封印が解けないなら、それは己の力不足だ。
 さらに修行に励み、祖父からの許可を待てばいい。
 もしも封印が解けたなら、それは今まで努力してきた修行の成果にほかならない。
(本に触れたことは咎められるかもしれないけれど、封印を解くだけの実力があると、認めてもらえるかもしれない……!)
 それは、なによりも素晴らしい名案に思えて。
 美華はためらうことなく、禁書の箱を手に取った。
 箱を開くべく上蓋に手をかければ、思っていた以上に簡単に、封印が綻んで。
 箱の内に抱いていた宝を、薄暗い電灯の下にさらす。
 革張りの古びた装丁。
 それでいて、荘厳さと存在感をはなつ一冊。
 傷めぬよう丁重に箱から取りだし、気付いた。
(この本は――)
 封じられていたのは、神話において自らの子達によって消された「全ての母」。
 地母神ガイアへと通じる、『ガイアの書』だった。

 禁書に魅了された美華は、その後もたびたび、本を手に取るようになった。
 幾度か、祖父に打ち明ける機会はあったものの。
 結局、己の口から伝えることはなかった。


 数年の後。
 孫娘が禁を破ったことを知らぬまま、祖父は病に倒れ、他界。
 『死』を目の当たりにし、美華の世界はふたたびモノクロームに堕ちた。
 だれもいない家。
 がらんどうの心。
 すぐに、びょうびょうとわめき暴れる風が窓を叩き。
 吹きこんだすきま風が美華のこころを侵食し、瞬く間に、真っ黒に染めあげていく。
 事故で死んだ父母。
 病で逝った祖父。
 この世に生まれおちたその時から、ひとしく訪れる最後の刻。
 振りかえれば今にも、おぞましい『死』が美華の襟首をつかみ、渾沌へと引きずりこもうとしているように思えて。
「いやよ……!」
 ちかしい者たちの喪失を経て、『死』は美華にとって、耐えがたい「恐怖」と成っていた。
 魔道書の部屋へ駆けこみ、すがるように『ガイアの書』を手にとる。
 初めて手にした、あの日から。
 何度も何度も、この重みを感じてきた。
 大いなる存在を、感じてきた。
 願うことに、ためらいはない。
「私の体をさし出します。だから私に、大いなる命を――……!」


 眼を見開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは見慣れた天井だった。
 魔道書の部屋ではない。
 いつもの、美華の部屋だ。
(昔の、夢ね……)
 眠っている間に、ひどく寝汗をかいたらしい。
 首筋にからみつく髪や、冷えた服が肌に貼りつき、不快でしかたがない。
 身を起こそうとして、身体が重たいことに気づく。
 夢のなかの自分にはなかった、大きく膨らんだ腹。
 それは、あの本――『ガイアの書』と契約を交わした結果であり。
 美華はふうと息を吐き、今なお肥大化し続けるそれを、やさしく、撫で続けた。



 了





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8686/満月・美華/女/28歳/魔術師(無職)】



東京怪談ノベル(シングル) -
西尾遊戯 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年12月13日

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