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『偽りのアラビアン・ナイト』
松本・太一8504


 とある不幸な母娘と、関わった事がある。
 母親が病に罹り、周囲の村人たちに冷たく扱われていた。
 私の知り合いの魔女が、その母娘を人狼に変えた。人間が罹る病気なのだから、人間でなくしてしまえば治る、という発想である。娘まで変えてしまったのは、母親と一緒にいたいという本人の希望によるものだ。
 結果、母親の病気は治った。
 だが母も娘も、人間ではなくなった。肉体のみならず心までも、人狼のそれに変わってしまったのだ。
 己の身を、お互いの身を守るためとは言え、平気で人間を喰い殺せるようになった。
 善し悪しの問題ではない。人間という脆弱な生き物は、肉体が異形のものと化してしまえば、心もそれに合わせて変わってしまうものなのである。
 外見は変わっても本質は変わらない。怪物と化しても心は人のまま。人間は、そういうお話を好む傾向にある。まあドラマやエンターテインメントとして楽しむ分には、私が文句をつける筋合いではないから、人は姿に合わせて心も変わってしまうのだ、などと得意げに語ったりはしない。
 姿形に合わせて心も変わってしまった人間が、ここにも1人いる。
「深きものに変わっちゃうスクール水着に、ナースゾンビになれるナース服……ですかぁ」
 夜宵の魔女……松本太一が、呟いた。
「もちろん着てみたくはないですけど、ちょっと興味が湧いちゃう自分がいたりします。やんなりますね、もう」
『どうかしら。心まで変わらずにいられる自信は、ある?』
 私は訊いてみた。
『ゾンビや深きものども、に変わっちゃったとしても』
「無理ですね」
 太一が即答する。
「私、今まで色んなものに変わって、と言うか変えられてきましたけど。多分、人の心なんて保ってなかったと思います。開き直って心まで牝獣やら海竜娘やら宇宙怪獣やらになってました。じゃないと、やってられなかったから」
『楽しんでいた、という解釈でいいのかしら』
「……サラリーマンの仕事だってね、本当に無理矢理にでも楽しさを見出さないと長続きしませんから。それと同じ……なのかなぁ、うーん」
 サラリーマン・松本太一と、この『夜宵の魔女』松本太一は、別人である。
 48歳の冴えない万年平社員が、うら若く可愛らしい魔女に変身した瞬間、心までもが変わってしまうのだ。くたびれた中年サラリーマンから、活動的だが恥ずかしがり屋の乙女へと。
『まあでも、良かったわね』
「何がですか」
『外見は可愛い女の子、心は中年男のまま……なんて、気色悪い存在にならなくて』
「その逆だったら、もっと悲惨ですよね」
『今度やってみる?』
「お願いですからやめて下さい。誰が喜ぶんですか一体」
 太一が暗い声を発した。
「……まあ私もね、姿形は変わっても心は人のまま、なんてベタなお話は嫌いじゃないですけど。外見に合わせて心も変わっちゃうっていうのは、悪い事ばかりでもないと思いますよ。場合によっては貴女のおっしゃる通り、気色悪い事にしかなりませんし」
『貴女はどう? 気色悪い、と言うより……恥ずかしい?』
「……正直そうです。でも何だかんだ言って私」
 深く柔らかな胸の谷間も、むっちりと豊かな太股も、凹凸のくっきりとした体型も、全てがごまかしようもなく露わな魔法装束。己のそんな姿を見下ろしながら、太一は言った。
「これ以上の……理想の魔女、みたいなもの、私の妄想力じゃ思いつかないんですよね。この格好に慣れちゃった、っていうのもあると思いますけど」
『夜会に出て来る連中も基本、こんな感じだものねえ』
 あの魔女たちも、強大な力を持っていながら、類型化された『魔女』という姿に捕われてしまっているとは言える。
『まあでも試しに妄想してみましょうか。今の貴女の心を維持したままでいられる、新しい魔女の姿』
「そうですねえ、とにかくアザトホースもどきになったりするのは勘弁です。腐ったり、触手生やしたりとかしていないの。貴女みたいな悪魔でも、天使や竜娘とかでもいいから基本は人型。けも耳とか尻尾とか翼なんかは許容範囲かな」
 夢見る少女の如く明るく弾んでいた太一の口調が、しかし沈んでいった。
「……どれも大抵、もうやっちゃってますよね。天使なんかは、まだでしたっけ」
『まあ、代わり映えはしないでしょうねえ』
「あ……でも1つだけ」
 太一の声が、また弾んだ。
「私ね、小さい頃『アラジンと魔法のランプ』のお話が大好きだったんです」
『ああ、あれは子供の教育上よろしくないお話の筆頭よね』
「まあアイテムチート万歳なお話ですしねえ。でも私、ストーリーには全然興味ありませんでした。私が生まれて初めて読んだアラジンの絵本はね……何と言うか、ランプの魔神が美少女だったんです。今で言う萌え系の絵柄、だったのかな」
『……時代を先取り、というわけ?』
「先取りにも程がありますよ。擬人化とか女体化なんて概念ほとんどなかった時代……実は密かにあったのかも知れませんけど。でね、私ずいぶん長いことランプの魔神が女の子だって信じてまして。小学校で恥かいた事もあります」
 間違い、とも言いきれない。あの連中は、外見も性別も変幻自在なのだ。
「何にも出来ない主人公のために、何でもしてくれる美少女魔神……ええ白状しますよ、私の初恋の相手です。アラジンは結局、お姫様だか誰だかと結婚したわけですし、彼女は誰のものにもなっていません。次は私のところへ来てくれないかなぁ、なんて思ったりもしてね」
『初恋の相手とは結ばれない……だけどね、貴女自身が初恋のその美少女に変わる事は出来るのよ。
 私は、けしかけてみた。
『今の貴女なら、ね……試してみない?』
「……試してみる、だけですよ」
 夜宵の魔女が息を呑み、軽やかに身を翻す。
 豊かな胸の膨らみが、横殴りに揺れた。
 その胸にはいつの間にか、宝石で留められたビキニブラが巻きついている。
 胸と尻を強調する感じに引き締まった左右の脇腹も、可愛らしい臍の凹みも、丸出しである。
 きらびやかなスカートが下半身に巻き付いてはいるが、桃を思わせる尻の曲線を完全には隠していない。すらりと形良く伸びた脚が、少し動いただけで思わせぶりに見え隠れする。
「これ……これですよ、なってみたかった私の1つ!」
 ジプシー・ダンサーの如く回り踊りながら、太一は嬉しげに黒髪を揺らした。
 その豊かな髪では、色とりどりの宝石が星のように輝き、造花が満月のように咲いている。
 確かに、ジンが好んで変身する姿の1つ、ではある。
 あの連中は、私とは似て非なる存在だ。
 人間から見れば、万能と言える力を持つ。
 だが私は、あの連中と違って、性別まで変える事は出来ない。
 私は、女だ。今までも、これからも。
 宝石のビキニブラに拘束された己の胸を、太一は軽く押さえた。
「まあ……彼女は、ここまで胸が大きくはありませんでしたけど」
『その胸も、貴女の妄想と言うか無意識の結果よ。変えられはしないわ』
 私は言った。
『で……貴女はどう? 何も出来ない、役立たずだけど放ってはおけないアラジンをどこかで見つけて、いろいろ何でもしてあげたいという気持ちはある?』
「……私、恋愛沙汰はもう諦めていますよ。考えた事もありません」
 まあ、私のせいではある。
 太一は、微笑んだ。
「でもね……貴女と出会う前の私、みたいな男がどこかにいたら。何かしてあげたくなっちゃう、かも知れません」


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登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年12月15日

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