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『裸足の王女と人魚姫』
イアル・ミラール7523


 まるで、魚であった。
 猫がひょいひょいと壁を上って行く様を、イアルは見た事がある。
 今、ヴィルトカッツェと呼ばれる少女が壁上りをしているのだが、その動きは猫と言うより魚だ。
 色とりどりのホールドを力まずに掴み、あるいは軽やかに踏みつけ、壁を上って行く、だけでなく斜めに、横に、高速移動をする。重力など存在しないかのように。
 空中を泳いでいる、としか思えぬその動きを、イアルは呆然と見送っていた。まるで虫の如く、壁にしがみつきながら。
 茂枝萌が、優雅に泳ぐ魚であるならば、自分は無様に這いずる虫でしかない。
 マットの上にふわりと着地しながら、萌は言った。
「……以上、これがボルダリングの基本。イアルなら、見ればすぐ出来るようになると思うよ」
「いや……無理でしょ」
 イアルは、そんな事を言うしかなかった。
「人はね、そう簡単に猫になったり魚になったりは出来ないのよ。まあ、やってはみるけど笑わないでね」
 落ちないように移動するのが、イアルは精一杯だった。
「た、例えば……断崖絶壁にしがみつくような状況で、萌と戦う事になったら……私なんて、ひとたまりもないわね」
「……やってみようか今度。IO2の戦闘訓練に参加してみる? そういう訓練場いくつもあるよ」
 あながち冗談とも思えぬ、萌の口調であった。
「正式にIO2のエージェント試験を受けてみる気はない? そうすれば私も……訓練にかこつけて、いくらでもイアルを虐める事が出来るから」
「い、今も何だか……虐められているような気分よ」
 言いつつイアルは、ひたすら壁の上を這いずった。やはり、虫の動きにしかならなかった。


 ボルダリングも出来る、こうしてプールで泳げもする、スポーツ系のアミューズメント施設である。
 駄目元で誘ってみたところ、萌は迷いもせず一緒に来てくれた。
 結局は、身体を動かすのが大好きな少女なのだ。その身体能力を余すところなく発揮して、猫になったり魚になったりしている。
 そして今、魚から人魚に進化した。イアルの目には、そう映った。
 引き締まった肉体が、ぴっちりとレンタル水着を貼り付けたまま水飛沫を飛ばして躍動する様は、まさしく人魚である。
 スリムに伸びた裸の両脚は、尾鰭の如く水を蹴りつけ、まるで獲物を襲うシャチのような推進力をもたらすのだ。
 水着を可愛らしく膨らませた胸を見て、イアルは思う。自分の胸は、いささか大き過ぎるのではないかと。
 大きければ良いというものではない事が、萌を見ているとよくわかる。
(泳ぐのに、邪魔……)
 イアルは辟易していた。
 水中で身体を動かす度、自分の胸は不必要なまでに水の抵抗を受けてしまう。それさえなければ、もう少し速く泳げるのだが。
「こんな言い方は何だけど」
 イアルの近くで、萌が水中から顔を出した。
「イアルって……思ったより、泳げるね。装備があれば、普通に水中戦も出来るんじゃない」
「水の中で……戦った事、確かにあるわ」
 魔女結社との一連の戦いには、水中戦もあった。
「もっと……萌みたいに泳げれば、ね。今でも悔いが残る戦いよ」
 その時、施設内のBGMが変わった。
 イアルもよく知る少女が歌う『ひとりかくれんぼで君を見つけた』が流れ始める。
 あの戦いは、人魚に変わってしまった彼女を助けるためのものでもあった。
 自分が萌のように戦えなかったせいで、あの少女を長らく酷い目に遭わせる事になってしまった。
「……大勢の人を助けるために、戦っているんだよね。イアルは……」
 言いつつ、萌が泳ぎ去って行く。
「誰もイアルを……独り占めなんて、出来ないんだよね……っ」
「あ、ちょっと萌……」
 イアルが追いつける速度ではなかった。


 家族風呂まで備え付けられたアミューズメント施設である。スポーツで汗を流したカップルに、もう一汗かかせようという魂胆を、イアルはどうしても見出してしまう。
 わかっていながらイアルも萌も、その魂胆に乗って汗を流した。どうにか、一線を越える事もなく。
 イアルが辛うじて自制を保つ事が出来たのは、萌が一生懸命、手や口を遣ってくれたからである。たどたどしいテクニックが、逆に新鮮だった。
 何しろ萌の身体であるから、例えばあの女教師のように、胸でイアルを悦ばせる事が出来ない。それもまた愛おしかった。
「私……石に、ならない」
 イアルに抱かれたまま、萌が呟く。
「少し不安だったけど……良かった。石化の成分、なくなったんだね」
「どうかしら。私も今、自分のこれが……一体どういう状態にあるのか全然、把握してないから」
 イアルは、萌の頭を撫でた。
「不安なら、してくれなくても良かったのよ?」
「不安は、もうない……不満なだけ。私だけ、イアルと……一線、越えていない」
「あ、貴女だけじゃないわ。一線を越えるとか、軽々しく言うのはやめなさい」
 イアルは慌てた。
「私や他の子たちが、うっかり石になってしまったら……萌に、元に戻してもらうしかないのよ。石化の解除には……お、乙女の、その、聖水が必要なんだから」
「……私に、それをやれって? 私1人が」
「1つのアドバンテージ、だと思いなさいな」
 萌はもはや何も言わず、拗ねたように、イアルにしがみついてきた。


ORDERMADECOM EVENT DATA

登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/外見20歳/裸足の王女】
【NPCA019/茂枝・萌/女/14歳/IO2エージェント】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年12月15日

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