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『光射す方へ、翼合わせて 』
クィーロ・ヴェリルka4122)&神代 誠一ka2086


 虫の知らせ?
 阿吽の呼吸?
 腐れ縁?
 似た者同士?
 第六感?
 いや、どちらかというとこれは『経験則』。

 ――これは、とある依頼を終えた日の、夜のお話――


 コトコト。クツクツ。
 一人で食べるには何故か多めのトマトベースのポトフが、鍋の中で完成を今か今かと待つように煮込まれている。
 家主であるクィーロ・ヴェリルは、鍋の中を時折軽くかき混ぜながら首を軽く捻った。
「作りすぎたかな……」
 最初は自分で食べる分だけを作る予定だったのだが。
 気づいたら何故か。本当にいつの間にか量が増えていたのだ。
 普段のクィーロからはあまり考えられないのだが、何故か作らなければならない気がしてしまって。
 野菜と鶏肉を煮込んだいい香りが漂う。
 ふらりと街を散策した時に買ったおいしそうなバゲットがあったはずだ。
 あれに少しのオイルをつけて食べても美味しいだろうし、焼いただけでも美味しいかもしれない。
 バゲットを取り出して、自分が食べる分だけ――そう思ってカットしていたはずなのに。
 またもカットしたバゲットは一人で食べるにはやや多めで。
「これはいよいよ、何かあるかな」
 苦笑を一つ。いっそここまで来たら誰かに差し入れするのもいいかもしれない。
 相手は……食事に無関心というか、気づいたら食べることを疎かにしてしまう『誰か』が、へらりと笑った顔でぽん、と脳裏に浮かんだ。
 思わず噴き出して、さてどうするかとクィーロが腕を組んだ次の瞬間。

 玄関扉から響く、聞きなれた調子のノック音。
 鍋の火を一番弱くしてから、扉を開ければそこには。
「よっ。飯、食わせて」
 数分前に自分の脳裏に登場したときと同じ、へらっとした笑みを浮かべた相棒。
 神代誠一が、酒を片手に立っていた。


 多めに作ったポトフと、バゲットは焼いたものとそのままのものと両方準備。
 酒のつまみになるだろうと、前から作っていた小魚を少し辛めに煮付けたもの(誠一は以前これを見た時に「佃煮」と言っていた)
 肉が必要だろうかと思案して、太いサラミを取り出して薄く切ったものも追加する。
 両手に色々と皿を乗せて配膳すれば、リビングのローテーブルの前で持ち込んだいくつかの酒瓶を置いた誠一が勝手知ったるなんとやらでくつろいでいた。
「おー旨そう」
「全く。自分でも少しは料理する気になってくれればいいんだけどね」
「またまた。俺がそんなこと出来ると思うか?」
 軽い口調で笑う誠一の横っ腹を軽く小突いて、クィーロも座り込む。
 軽く食事の前の挨拶をして、静かな酒盛りが始まった。


 料理に舌鼓を打ちつつ酒を呑む。
 交わされる会話は他愛もないもので、料理の美味を褒める言葉やここに来るまでの道すがらであったこと。
 そんな変哲もない会話と美味しい料理、酒を楽しみながら過ぎていく時間。
 ある程度腹が満たされれば後は、のんびりとした酒宴だ。
 誠一はグラスに注いだ琥珀色の酒をぼんやり眺めていた。
 突然訪れた自分に対して、相棒は特に何かを言うこともなく受け入れてくれている。
 聞きたいこと、言いたいこと。それが全くない筈でもないのに。
 それでもクィーロは何も言わない。
 一緒に食べ、飲み、ちょっとした雑談に相槌を打つだけ。
 その気遣いに、いつもいつも救われている。
 誠一は小さく笑うと、酒を呑み干した。
「なんか、さ」
 空になったグラスのふちを撫でながら、ゆっくり口を開く。
 脳裏に過るのは、今日の朝終えたばかりの依頼に関連する、その前から続く任務でのこと。
 精神的に凭れるように、誠一は胸中を訥々と語る。
「血を吐く思いで戻ってきても、どっかで自分のこと補助輪程度に思ってたんだよな……」
 眼鏡の奥の瞳が、揺れる。
 迷いと、戸惑いと、痛みと。
 前髪をぐしゃりと掴んで、自分を嗤うような表情を浮かべて。
「ヴェラに全力で張り叩かれたわ」
(知ってるよ)
 クィーロはその場にはいなかった。けれど実は、近い場所にはいた。
 だから知っている。
 月明りの下、少し肌寒い風が吹く多様な草花が咲く庭で、誠一と絵本作家の女性は、二人で会話をしていた。
 見られていたわけではない。でも、空気と気配で分かることもある。
 乾いた音は聞こえてきたし、存外あの絵本作家の激昂した拙い罵声は静寂の庭に響いた。
 誠一はあの時の、自分の頬を張り『ばか』と拙く自分を罵った彼女の顔を、忘れられない。
 それまでにも2度、目の前で泣かれたことがあるが。
 今回は、今までとは違う『何か』が込められていた。そんな気がして。
「悩んで、手放して……自分で決めたくせに、痛みに苦しんで」
 本当は薄々勘づいてはいたのかもしれない。
 けれど誠一は、それを真正面から受け取ることが、どうしても難しかったのだ。
 馴染みの絵本作家が自らを愛称で呼ぶことを許しているのは、長年傍にいたあの灰色狼と呼ばれるハンターと、自分の教え子。そして自分だけ。
 特別な呼称を許され、慕われ。言葉を紡がれて。
 センテッドゼラニウムと共に告げられたあの時の彼女のセリフは、今も忘れていない。
『勿論、私も傍にいるわ。だって私、セーイチのこと大好きだもの』
 いつだって真っ直ぐに言葉を届けてくる彼女の態度や想いに、誠一の心が揺さぶられるのは事実だ。
 でも。どうしても、幸せになることが、躊躇われる。
「たまに……ほんとにたまに、だけど」
 眼鏡の奥の瞳が、苦痛を隠すように伏せられた。
「衝動的に、消えたくなる」


 横目で誠一を見つつ、クィーロはグラスを傾けていた。
 いつだっておおらか。誰にでも気さくで場の空気を大切にする年上の相棒は、こと自分のことに関しては怖がりだ。
 少なくとも、クィーロにはそう見える。
 けれどそうなったのは誠一だけのせいではない。
 誠一が今まで歩んできた人生。そこでの出逢いや別離が、彼をそうさせているのだと知っている。
 自分に凭れるようにしている誠一を、クィーロは拒まない。
 拒むわけがない。なぜなら、自分は彼とこういう関係にこそなりたかったのだから。
 戦闘でもそれ以外でも、頼り頼られ、信じ信じられたい。そういう、対等な関係でいたい。
 それがクィーロの望み。
「誠一、僕は君の隣にいるよ」
 グラスから口を離し、身構えることもなくすんなりと落ちる言葉。
「消えたいのなら……それなら一度、消えてみる? 何もかも投げ捨ててさ」
 クィーロの言葉に、ゆっくりと誠一が瞳を開ける。
「誠一、君が望むなら僕は、君の抱えてるもの全てを吹き飛ばすように君を攫ってみせるよ?」
 自分へと視線を向ける誠一へと小さく笑いかけて、思いを紡いだ。
 その傷ついた心に染み込むように。痛みを少しでも癒せるように。
 ついと目線を誠一の首元へと落とす。
 ――片翼のペンダントが、揺れていた。
「そのペンダントの形、忘れてない?君には僕の翼があるんだよ。片翼で飛べないなら、僕も一緒に飛んであげる」
 悩むなとは言わない。悩むことで前に進めるのなら、クィーロはその背をそっと押すだけだ。
 いつか、羽ばたけるように、誠一の片翼として待つだけだ。
「ここから逃げるかい?『お姫様』」
 付け加えられた軽口は、一瞬でその場の重い空気を軽く変えていく。
 グラスをぐっと握りしめた誠一が、泣きそうな顔で
「俺は姫じゃねぇっつの。でも……」
 笑った。


 なんとか誠一は持ち直すだろう。痛みも苦しみも抱えて、それでも相棒は前に進むことを止めないのだから。
 今回のことはそうだ。少しの寄り道。休憩。
 誰だって、不眠不休で走り続けることは出来ないのだから。
(でも……僕も偉そうなこと言える立場じゃない、のかな)
 ふと、クィーロは思う。
 誠一がその胸に重いものを抱えているのと同じように、クィーロもまた、囚われている。
 それは誰しもが持つ『記憶』を持っていないこと。
 いや、持っていないことが怖い、というのではない。
 ――『記憶』が戻ったとき、今ここで彼と酒を酌み交わし背を預け合う自分は、どうなってしまうのかということ。
「よくね、夢を見るんだ」
 落ち着きを取り戻した誠一がクィーロを見れば、そこには小さな苦笑を浮かべた年下の相棒の姿。
「記憶を取り戻した時に『僕』という存在が消えてしまう夢をね」
 記憶を取り戻したその後、そこに存在するのは果たして『自分』なのだろうか。
 『自分』は記憶がない間の仮の存在であって、戻ってしまえば『元からなかったかのように』消えてしまうのではないか。
 この不安に名前を付けるとしたら、恐怖。
 消えてしまえばそれは……今いる自分の死と、同義なのではないか。
 それが怖くて怖くて、しようがない。
「僕は……どうなるのかな……ってね」
 ふふ、と小さく笑うクィーロのグラスに、無言で酒を注いでから誠一は口を開いた。
「前に『他の誰かと』って言ったの覚えてっか?それは過去のお前も含めてだから」
「過去の僕……」
「ああ。記憶取り戻して、もしお前が消えるようなことになっても、俺がまた相棒になりに行くよ」
 何食わぬ顔をして。初めまして、って挨拶の一つでもして。
 そうして言ってやる。と。
「そんでもいっかい相棒になろうぜ」
「誠一……」
「あぁ、ただやっぱちっとは悔しいかもしれないから、軽く肩を小突くくらいは許してくれよ?」
 笑う誠一のその言葉が、どれだけクィーロを救うものなのか、彼は分かっているのだろうか。
「僕が、きみをわすれても?」
「おう。とーぜんだろ」
 なんたって相棒なんだから。
 自分のグラスをクィーロのものにカチンと当てて、誠一は当然だと笑う。
(さっきと立場が逆転しちゃったかな)
 泣きたくなる。こんなにも居心地のいい場所を、絶対に手放したくないと。
 強く強く思う。
「なぁ。『それ』なかなか外れねーだろ?」
 誠一が指さしたのは、自分の腕につけられたバングル。
 大切な相棒から『自分』への贈り物。
「そうだね……まだ外せないよ」
 照れくさそうに、クィーロは笑った。


「ま、それを自在に外せるようになるまでお前は間違いなく『お前』だって」
「?どういう意味だい?」
「だってクィーロ。お前も俺と同じだろ?」
 『負けず嫌い』
 二人が共通する頑固ともいえる一面。
 顔を見合わせて、小さく噴き出す。
「まったく。負けるよ、相棒」
「そりゃ俺の台詞だっつーの、相棒」
 グラスを掲げ、打ち鳴らす。

 互いの胸中には、まだ暗く重いものがある。
 それでも、一人で飛ぶことが出来ずとも二人なら。

 光射す方へ、互いの翼を合わせれば、きっと――


 END
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka4122/クィーロ・ヴェリル/25歳/銀の左翼】
【ka2086/神代誠一/32歳/新緑の右翼】
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2017年12月25日

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