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『夜明けの後に 』
柏木 千春ka3061)&マリエルka0116

「ちーちゃん!」

 マリエル(ka0116)の声が、白い病室に響いた。
 シン、と静かな個室は返事をしない。カーテンが見えた。きっとベッドを囲っているものだ。マリエルは息を弾ませたまま整える間もなく、そのカーテンを勢い良く開ける。
 ちーちゃん――柏木 千春(ka3061)の名前を今一度呼ぼうとして、マリエルの喉がヒュ、と詰まった。
 ベッドに横たわっていたのは、あまりに痛々しい姿の千春。いや、これは、本当に千春なんだろうか? 包帯と、たくさんの管が、彼女の体を隙間なく埋めていて……まるで、まるで包帯で包まれた芋虫のようではないか!
 あの戦いで、千春が仲間を庇って重体となったことは――目の前で見た、見てしまった、凄まじい灼熱に鎧の中を丸ごと焼かれ、倒れることすらできないほど凄惨な傷を負った瞬間を。けれど。改めて見る友の深く傷ついた姿に、マリエルは言葉を失ってしまった。
 これで、面会許可が下りるほど回復したというのだから――その以前はどうだったというのか。駆けつけたばかりのマリエルの心臓が痛むほど震える。

 ひゅー……。
 ひゅー……。

 ゆっくりと、胸と思しき部分が上下している。それだけが、千春が生きていることを示している。
 もぞ。ベッドの上の千春が、わずかに顔をマリエルへ向けた……のだろうか? 顔まで包帯塗れで、かつての花のように可憐なかんばせは見る影もない。でも、視線が合った気がする。
「ちー、ちゃん……?」
 冷え切った唇で、震えた声で、マリエルは友人の名前を呼んだ。
「……」
 包帯で包まれ、千春という外見情報が一切失われた人物は相変わらず返事をしない。顔の部分の包帯が、わずかに動いた気がした。少女は焼け爛れた顔で、表情を作ることすら苦しいだろうに、笑みを浮かべていたのだ――いつもの愛らしい笑みを!
「……、……」
 喉まで焼けている千春は、言葉を上手く発することができず、ひゅうひゅうと呼吸音だけが声の代わりになっている。声が出ない分、千春は精一杯の笑顔で、友達がお見舞いに来てくれた嬉しさを表現していた。
 その無垢な笑顔に、マリエルはいっそう心が苦しくなる。たくさんの思いがこみ上げて、胸が張り裂けてしまいそうになった。
「ッ、」
 口を開く。言葉の代わりに空気が漏れて。友が横たわるベッドのシーツを、マリエルは手が白むほど握りしめていた。

「……何を、してるんですか」

 ようやっと形になったのは、そんな言葉で。
 怪我人で、頑張ったのも知っていて、労わってあげたいのに……もっと優しい言葉をかけてあげたいのに。言葉が想いと一緒に溢れ出て、止まらない。
「一歩間違えば死んでたんですよ? 無茶しすぎです、いつも!」
 マリエルが振り絞る声は、あまりに悲痛な色を含んでいた。今にも泣いてしまいそうだった。震える心をなんとか堪えてマリエルはこうべを垂れる。

 あの戦場で、マリエルは同じ戦場にいた。治療役、支援役だった。
 もっと、うまくすれば、彼女を守れたのではないか? 彼女を治せたのではないか?
 過去を悔やんだところでどうにもならないことは、マリエルにだって分かっている。分かっている、けど、でも、後悔しなければ心がどうにかなってしまいそうだったのだ。

「一人で危ない所に行ってしまうし、どんな状況でも逃げないですし」
 千春が何も言わない――言えないから、マリエルの言葉は止まらない。卑怯なことだと、マリエルは自らに批難を抱く。
(ちーちゃんはこんなに頑張ったのに)
 言葉が詰まる。静寂が訪れる。少女の形をした包帯は、ひゅうひゅうと息をしている。点滴がゆっくりと、雫を絶え間なく垂らしている。

 その姿に、普段の勇猛さなど哀しいほどなくて。
 あまりに、あまりに、無力だった。

(ちーちゃんは普通の女の子なのに……この小さい肩にどれだけ背負っているの……)

 病院のにおいの中。マリエルは佇むほかに何もできない。
 千春は、そんな友人をじっと見つめているようだ。幸い、あの熱線が彼女の視力まで焼き潰すことはなかったらしい。
(マリエルちゃん……)
 包帯とガーゼに包まれた視界は白いばかりで、何も見えない。
(思いっきり、心配かけちゃったなぁ……)
 マリエルの言葉に、千春が嫌な気持ちを抱くことはちっともなかった。寧ろ、大事な友達に不安な気持ちを抱かせてしまったことに、申し訳ない気持ちがあった。千春だって、マリエルに心配をさせたくない。
(でも、私は……)
 守られることで、皆に迷惑をかけたくない。そんなこと許されない、許されるはずがない。守られるべきは私なんかじゃない。もっともっと、守られるべき価値のある人がたくさんいる。そう、だから、

(この傷を負ったのが、私でよかった)

 心の底から、千春はそう思うのだ。この傷のことを千春はさして気にも留めておらず、「もう二度とこんなことしない」などとは正反対のことを思っていたのだ――「次は倒れないようにもっと上手くやらなければならない」と。
 ある種の頑固さ、責任感の強さ、そして、自己評価の低さ、なによりも盲信めいた自己犠牲精神。それが、柏木千春という人間を形作るモノだった。

「ちーちゃん、……」
 そんな千春の人間性を、マリエルがどこまで理解しているのか、千春は知らない。千春の白い視界に、友人の声が響く。
「あなたという人は、本当にっ……他人のことは心配するのに、自分のことは全然気にかけてないっ!」
 もっともっと、千春は千春自身を大事にして欲しい。マリエルは痛切に願っていた。千春の『誰かを守る』という戦闘姿勢や心意気を決して否定はしないけれど、それにしたってもっとやりようがあるはずだ!
「私は、」
 火傷に障るだろうからと、千春の手を握りたい気持ちをマリエルはグッと堪える。本当なら、手を握りたい。抱きしめたい。繋ぎ止めていないと、いつかどこかに消えてしまいそうで。不安で。怖くて。だから彼女がここにいることを、この掌で確かめたくて。でもそれはしちゃ駄目だ。だから、せめて言葉を絞り出す。

「ちーちゃんが死んでしまったら、私はどうすればいいんですかっ!」

 半ば、それは叫びだった。
「もっと頼ってくれたっていいじゃないですかっ。私、これでも貴方の友達なんですよ。なのに なのにっ、いつもいつも、いつもいつもいつもっ……私の気持ちなんか知らないで、っ……私がどれほど、どれほど……」
 心の根っこを吐き出すにつれて、どんどんマリエルの声が震えて潤んでゆく。いつしか涙がとめどなく、マリエルの頬を濡らしていた。子供のようにしゃくりあげていた。少女の嗚咽が、壁にしみこんでゆく。
(ああ――)
 こんなことを言ったらまたマリエルに怒られるだろうけど、千春は「私にはもったいないほど、素敵な友達だなぁ」と思いを抱いた。
「……っ、ふ 」
 千春は声を出そうとした。でも、変に息が漏れただけ。マリエルが弾かれたように顔を上げる。
「っ、……が、……っ、ッ、」
 感覚の薄い手をどうにか少しだけ動かして――痛いけれど、たいしたことではない――千春は必死に思いを伝える。しゃがんで、と言いたいのだ。「傷に障ります、喋っては……」とマリエルはそれを止めようとしたが、ややあって意図を察したようだ。
「……しゃがめば、いいんですね?」
 言葉と共にマリエルはしゃがんでみせる。声の位置が低くなったことで、千春は意図が伝わったことを感じた。そのまま、包帯で包まれた手を精一杯持ち上げて――マリエルの頭を優しく撫でる。
「ご、 め、ん、ね」
 困ったように笑いながら、そんな一言を友達に。

 ごめんね、ごめんね、たくさん心配をかけてごめんね。
 泣いちゃうぐらい辛い思いをさせてごめんね。
 無茶をしないって約束できなくてごめんね。
 ごめんね……。

「ッ……ちーちゃぁん……」
 折角止めようとしていたマリエルの涙が、また溢れ出してくる。しゃがんだまま、ベッドに顔を埋めて、マリエルはわんわん泣いた。頭の上には千春の手が置かれたまま。あの火傷だ。手を動かすだけでも、喋るだけでも、笑うだけでも、辛いだろうに。しなくっていいんだよ、と言いたい気持ちはあるというのに。その手の感触に、改めて千春が生きていることを確信できて、マリエルは心に嬉しさと安堵を満たしていたのだ。

 よかった、よかった、大事な友達が生きていて、大事な友達がいなくならなくって、本当に……よかった。







 面会時間が許す限り、マリエルはたくさんのことを千春に話した。千春はその言葉をじっと聞いては、もぞりとかすかに表情を作って返事をしていた。
 でも、楽しい時間はあっという間。窓の外は夕焼けを迎えつつあった。そろそろ時間だ。マリエルが席を立つ。
「また来ます」
 その声は、訪れた時よりも随分と柔らかさを帯びていた。
「早く治すんですよ? では」
 そう言って、マリエルが病室を出て行く。そうなれば病室内は完全な静寂だ。もうすぐ点滴を替えるだのなんだので看護師が来る時間だろう。千春は目蓋を閉じながら思う。
 早く治すんですよ――マリエルの言葉を反芻する。早く治らないかな。せめて、早く喋れるようになりたいな。なかなか、思ったことが伝えられないのはもどかしい。
 ああ、髪まで焼けてしまったから、しばらくはウィッグか帽子がいるかなぁ。ああ、マリエルちゃんにお願いしたら、きっとすごく張り切らせてしまいそうだなぁ。経口の食事ができるようになったら、律儀にリンゴを持ってきて剥いてくれたりするんだろうなぁ。
 ああ、迷惑をかけるなんて浅ましいけれど。お別れしたばかりだけれど――

 ……早く会いたいなぁ。

 そんなことを考えながら――千春は眠りに就いた。



『了』




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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柏木 千春(ka3061)/女/17歳/聖導士
マリエル(ka0116)/女/16歳/聖導士
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2017年12月26日

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