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『初恋と結婚』
松本・太一8504


 48歳。独身。長男である。
 幸い、弟が結婚して家庭を築いている。子供は一男一女。これで松本家の血筋が、少なくとも自分・太一で途絶える事はなくなった。
 弟には、本当に感謝をしなければならない。
 思いつつ松本太一は、車を家の車庫に入れた。
 仕事帰りである。勤め先は、市役所だ。
 公務員としての安定した収入があるからこそ、まあそこそこ大きな顔をして実家暮らしを続けていられる。
 それでも、弟が家族を連れて帰省した時などは、いささか肩身が狭くなる。
「ただいま……」
 太一が家に入ると、両親は居間でテレビを見ながらくつろいでいた。夕食も入浴も済ませ、後は寝るだけというところだ。
 父も母も70代である。頭も身体も、しっかりしている。今のところは、だが。
 飼い猫の背中を撫でながら母が、ちらりと太一の方を向いた。
「お帰り。ご飯は?」
「適当に食べるよ。何か、あるよね」
 言いつつ居間を通り過ぎ、台所へと向かおうとする太一を、父が呼び止めた。
「なあ太一……あれ、少しは考えてくれたか?」
「……勘弁してよ。あんなの、考えるまでもないじゃないか」
 太一は一応、立ち止まって会話に応じた。
「私なんかが精一杯、着飾って、あの人と並んでいるところを想像してごらん。滑稽な事にしか、ならないよ」
「先方は、お前さえ良ければと言っているぞ。もちろん、お前の写真も見せてある」
 父は言った。
「俺もなあ、駄目で元々という気持ちだったさ。親の目から見ても、お前は、真面目に働くくらいしか取り柄のない男だものなあ」
「お父さんに似たんだよ」
 言い残し、太一は台所へ向かった。
 父の、声だけが追いかけてくる。
「先方いわく、真面目に働ける以外の事は一切、求めないそうだ。会うだけ会ってみたらどうだ」


 母親が作り置きしてくれたものを食べ終えてから、太一はとりあえず自室に戻った。
 先日、父から一方的に押し付けられたものが、机の上に放置してある。
 お見合い写真であった。
 ぞっとするほど美しい女性が、その中で婉然と微笑んでいる。
「こんな人と、お見合いなんて……私は一体、何を喋ればいいんだ」
 仮に結婚したとしても、自分は一体どのようにして、この美しすぎる女性に夫として接し続ければ良いのか。
 結婚とは、結婚式と新婚初夜だけで終わりではないのだ。その後の方がずっと長く険しい道なのだという事は、両親を見ていればよくわかる。
 その道を、それまで赤の他人であった人間と一緒に、ずっと歩み続ける。
 想像を絶する事態である、としか言いようがない。
「無理に決まっている……」
 それに、と太一は思う。
 自分には、すでに心に決めた相手がいる、というわけではない。ただ、初恋の相手が心の中で生き続けている。幼い頃から、48歳の今日に至るまで、ずっと。
 その女性とはしかし、決して結ばれる事はないのだ。太一が今後、結婚というものに対して、どれほど積極的になろうとも。
 何故なら彼女は、絵本の中にしか存在しない。
「今見れば、何という事はない単なる漫画絵の絵本なんだろうけど……うん?」
 太一は気付いた。部屋の隅に、おかしなものが置いてある。
 大型のティーポット……ではない、ランプである。まさしく「アラジンと魔法のランプ」に登場するような、あの代物だ。
「どうして……こんな物が?」
 あの絵本に登場したアラジンは、魔法のランプの中から美少女の魔神を呼び出して使役し、何の苦労もなく栄達を遂げた。
 魔法のランプが欲しい、と幼い頃の太一は夢見たものだ。別に栄達は望まない、ただ彼女が自分の所へ来てくれるなら。
「……その夢が、今になって叶ったとでも? ははは、馬鹿馬鹿しい」
 太一は、ランプを揺らしてみた。油は入っている。灯芯も出ている。
 その灯芯に、太一はチャッカマンで火を点けた。
「熱いー!」
 火ではなく、女の子が出て来た。
「熱い、あつい! あっちちちちち、あーつぅいいいいいッ! ちょっと、いきなり何するんですか!」
「え……何、って……」
「魔法のランプって普通、優しく擦るもんでしょう! 何で火ぃ点けちゃうんですか! 髪の毛、焦げたらどうするんですかあっ!」
「……ランプは照明器具ですよ。むしろ擦る理由がわかりません」
「それは……そうですけどっ」
 のたうち回っていた女の子が、じっと太一を睨む。
 顔は可愛い。だが太一は何故だか、鏡を見つめているような気分になった。こんな綺麗な女の子が、自分のようなくたびれた中年男と似ているはずはないのだが。
 その髪は、まるで夜空だ。星のような宝石と、満月のような造花で飾り立てられた、艶やかな黒髪。
 胸の膨らみは実に立派なもので、宝石で留められたビキニブラに閉じ込められて深く柔らかな谷間を作っている。
 胴体は綺麗にくびれて、うっすらと形良く腹筋を浮かべている。人様に見せられるお腹を維持するのはさぞかし大変であろう、と太一は思った。
 腰から下にはきらびやかなスカートが巻き付いているが、むっちりと豊麗な尻や太股の曲線を、さほど隠してはいない。
 幼い頃に絵本で見た、彼女と同じ格好ではある。
 だが彼女は、ここまで胸が大きくなかったような気がする。深く柔らかな谷間にちらちらと視線を向けながら、太一はそんな事を思った。
 ランプから現れた娘は、その視線に気付いているようだった。
「……最初に言っておきますけど私、貴方の初恋の相手とは別人ですよ。こんな胸が大きくなかった、とか思ってるでしょう」
「な……何故、それを……」
「私ね、貴方の事は大抵わかります。知ってるんですよ。その、むっつり何とかな所もね」
 こほん、と彼女は咳払いをした。
「さて御察しの通り、私はランプの魔神です。お約束通り、3つの願いを叶えてあげましょう」
「私は……あれですか。自分では何もしないアラジンと、同じ扱いを受けているわけですか今」
「あくせく働く必要もなく、何もしないでお金持ちになれるんなら、それが一番いいに決まってるじゃないですか」
「まあ、そうですね……じゃ、お金持ちにしてくれますか?」
「はいはい、宝くじね。貴方の、ほとんど唯一といっていい趣味ですもんね。いいですよー、ドドーンと当ててあげます」
「な、何故それを……!」
 先程と同じ事を言いながら、太一は青ざめた。
「貴女は本当に、私の事を……ご存じ、だと……」
「世の中にはね、信じられない事があるんです。さ、2つ目の願い! いってみましょう」
「……健康、ですかね」
 太一は言った。さほど言う必要があるとも思えない、正直な部分まで。
「私も両親も、いい年でして。近頃は老老介護なんて嫌な言葉もありますし、せめて食事やお風呂トイレくらいは自分で出来るくらい、家族揃っていつまでも健康でいられたらと。あと猫も飼っておりますので」
「はい、猫ちゃんも込みで無病息災ね。うん、思った通りの小市民」
 ランプの魔神が、どこか生温かい微笑を浮かべている。
「で……最後のお願いは? これは私にも想像つきません」
「そうですね……」
 熟考、というほどの事でもない。少しだけ思案した後、太一は、机の上の写真を手に取った。
「……私、この方とお見合いをする事にしました。願わくば、良い結果を」
「ほうほう、綺麗な人じゃないですか。アラジンみたく最後にはお姫様と結ばれ」
 言いかけながら、ランプの魔神は青ざめた。
「こ……この人は……」
「どうか、しましたか? 無理なら無理で一向に」
「いえ……そうですか、この人と結婚ですか。って……ちょっと、この人って……こちらの世界の、貴女じゃないですか……」
 ランプの魔神が、太一ではない誰かと会話をしている。
「一体、何を考えて……そうですか、こちらの世界では男の私を、お尻に敷こうというわけですか。まあ、いいんですけど……お、おほん! ああ大丈夫、私が何もしなくても」
 魔神が、可愛らしく愛想笑いを浮かべた。
「貴方は、この人となら……まあ、上手くやってゆけると思いますよ。ええ、私たちもそんな感じですし……じゃ、またね! 宝くじと健康の方は何とかしておきますから!」
 愛想笑いと共に、魔神がランプの中に消えてゆく。
 優しく擦ってみたら、また出て来てくれるのか。太一はそう思ったが、呼び出してみようとは思わなかった。
 今の魔神の姿が、役所で愛想笑いを浮かべながら仕事をしている自分の姿と、重なってしまうからだ。


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登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年12月26日

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