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『孵化』
松本・太一8504


 物心ついてから48歳の今まで松本太一は、安定のみを追い求め、冒険を徹底的に避けてきた。
 冒険など、学生の頃に遊んだRPGの中だけで充分であった。
 ゲームにおいては、主人公のあらゆる能力が数値化されていた。体力、知力、腕力、運の良さまでも。
 現実世界における自分の能力値は、いかほどか。時折、太一は考えてみたものだ。
 体力、腕力は壊滅的。知力は、良くて人並み。
 幸運の数値はどうか。試した事がないから、わからない。
 運試しとは縁のない人生であった。
 幸運にすがる生き方だけはするまい、と思い太一は、中学生の頃にはもう公務員の道を志していた。
 それも警察官や自衛官のような、危険な仕事ではない。教師も御免だった。
 役所で、安全な仕事を地道にこなして月給を得る。それが太一の希望進路であった。
 実際、公務員試験にどうにか受かって市役所勤務を始めてみると、まあ想像以上の激務ではあったが、運が悪ければ死ぬ、などという事はなかった。
 幸運の数値があるとしたら、それは運試しをすればするほど減ってゆくような気がした。
 幸運は、使わずに貯めるもの。それが太一の生き方であった。
 そして今、温存してきた幸運を一瞬にして使い果たしてしまった、と太一は思う。
「あら、お帰りなさい。今日は早かったのね」
 家に帰ると、妻が笑顔で出迎えてくれる。
 彼女のウェディングドレス姿は、この世のものとは思えぬほど美しかった。
 こうして普通にエプロンなど着ていても、同じくらいに似合っている。
「家族みんなで、一緒にご飯を食べられるわ」
「そ、そうだね」
 仕事中の愛想笑いに近いものを、太一はつい浮かべてしまう。
 自分はこの先、一生、妻には頭が上がらないのであろう。
 母と妻が、楽しげに夕食の支度をしている。
 母があれこれ教える必要もなく、妻は家事を完璧にこなした。特に料理に関しては、50年近く家庭料理を作り続けてきた母の方が時折、教えを乞うほどである。
「なあ太一。俺もな、また働いてみようと思うんだが」
 居間でくつろいでいた父が、そんな事を言っている。
「高齢者でも出来る、公共の仕事か何かないか?」
「……もう働くのは御免だって、お父さん言ってなかったっけ? 定年の時に」
「金は要る。どうやら孫が出来るのも時間の問題だしな」
 父が、ニヤリと笑った。
「ああ別に、何か聞こえてるわけじゃないから安心しろ」
「嫌だわ、お父様ったら」
 微笑みながら、妻が卓上に食器を並べている。父が頭を掻きながら、いくらか下品に笑う。
 自分と同じだ、と太一は思った。父も母も、この女性に対しては頭が上がらない。
 妻がその気になれば、女帝の如く振る舞う事も出来るはずだった。舅も姑も夫も奴隷として扱いながら、松本家の預金・貯金を食い荒らす。その程度の事は容易いであろう女性が、義両親を立て、夫を立て、良妻として慎ましく振る舞っている。夜も、太一に尽くしてくれる。
 何か企んでいるのか、などと太一はつい訊いてしまいそうになる。
 その度に妻は、ちらりと太一を見つめ、その目だけで笑うのだった。


 結婚式を、思い返してみる。
 太一の方は親族一同の他、職場の同僚や上司、学生時代の友人といった人々が普通に招待されて集まった。
 妻の方はどうであったか。
 義両親も出席していたはずだが、どうも顔を思い出せない。
 印象に残っているのは、妻の友人たちだ。
 皆、女性で、妻ほどではないにせよ美人揃いであった。各テーブルに酒を注いで回ったり、子供がいれば一緒に遊んであげたりと、異様に面倒見の良い美女の集団。彼女らのおかげで、披露宴も二次会も異常なまでに盛り上がった。
 妻の両親や親族といった人々は、その盛り上がりに呑まれたかの如く、いつの間にか姿を消して……
 否、と太一は思い出した。妻の両親など、最初から結婚式には参加していない。出席者一同、誰もそれを不審に思わなかった。まるで夢の中のように。
「今もまだ夢の中……なぁんて、思っているのよね? あなた」
 妻の、美しい声が聞こえる。
「御安心なさいな、愛しい旦那様。あなたと私はね、夢でも幻でもなく本当に結婚したのよ」
「私は……君の御両親に、お会いしていない……ような気がする」
「私たちはね、人間のように生まれる存在ではないから」
 妻の声は聞こえても、美しい姿は見えない。確か、床を共にしているはずなのだが。
 何も、見えなかった。
 目を開けようとしても、開かない。と言うより、目蓋も眼球も存在していない。
「あの結婚式に集まったのはね、夜会の連中よ。私とは、まあ腐れ縁ね」
 妻が、何を言っているのかわからない。
 他人の言葉を理解する脳味噌が、頭蓋骨もろとも失われている。
 手足もない。胴体もない。
 人間の形を失った何かとして太一は今、たゆたっていた。容器の中の、液体のようにだ。
 とてつもなく強固な容器である。この中にいる限り、何が起こっても自分は安全だ。そんな気がする。
「この世界でもね、あなたと私は……こうなる運命なのよ」
 妻の声は、容器の外から聞こえてくるのか。
「この運命というものはね、私たちの力をもってしても変える事は出来ないの」
 容器には、蓋がされている。
 いや、蓋などない。最初から密閉されているのだ。外へ出るには、容器を破壊するしかない。
 形なくユラユラとたゆたっていた自分の身体が、次第に固まってゆくのを太一は感じた。
 このままでは、形を獲得してしまう。
「どの世界でも、どれだけ情報改変を行っても……あなたと私の、この運命は変わらないのよ」
 妻のたおやかな腕が、容器もろとも太一を抱いている。愛おしげに。
 自分が何をされているのかは、わからない。ただ、覚えのある感覚ではある。
(そうだ、これは……昔よくやったゲームの、キャラクターメイキング……)
 名前を登録し、ポイントを振り分けて能力値を決める。
 このポイントというのは大抵7とか8で、10を超える事は滅多にない。が、ごく稀に20、30といった数値を獲得出来る場合がある。入力した名前で決まるのか、完全なランダムであるのかは不明だ。
 高ポイント獲得を目指し、キャラクターを作成しては削除する。無論、初期所持金を剥奪してからだ。
 それを繰り返すプレイヤーが大多数であったわけだが、太一はポイント10未満のキャラクターを地道に育て上げるプレイで、このゲームを何度もクリアーしたものだ。
 綺麗事にこだわった、わけではない。削除されるキャラクターの、悲鳴が聞こえるような気がしただけだ。
 今の自分が、まさしくそれなのではないか。
 自分は今から1人のキャラクターとして誕生し、高確率で削除され、悲鳴を上げながら消えてゆくのではないか。
「私はね、あなたがどんなポンコツでも削除したりはしないわ」
 妻が、太一の心を読んだ。
「大切に育ててあげる……レベル1の新米魔女から、宇宙も世界も改変自在の大魔女へと」
 妻が何を言っているのかは、わからない。だが1つ、わかった事はある。
 自分は今やはり、この世に新しく生まれようとしているのだ。
 自分を包む、この強固な容器は、卵の殻だ。
 それが、ひび割れてゆく。
 覚悟を決めて、生まれ出なければならない。
 形を獲得しつつある腕を、太一はゆらりと動かした。
 細く、たおやかな腕。元々、確かに筋肉は少なかったのだが。
 卵の殻が、砕け散った。
 胸の膨らみが、殻の破片と羊水の飛沫を弾いて揺れる。
 薄い胸板が豊麗に膨らみ、それを強調するが如く胴体は綺麗にくびれて、その魅惑的な曲線が尻、太股へムッチリと続いてゆく。安産型のボディラインをなぞるように、羊水の雫がつたい落ちる。
 48歳の、干からびかけていた男の肌が、瑞々しく若返っていた。
 謎めいた副作用を伴う、若返りであった。今まであったものが失われ、なかったものが生じている。色々とだ。
 そんな身体に、濡れた黒髪が貼り付いている。
「わ……私、一体……」
 可憐な唇が、声を紡ぐ。高く澄んだ、女の子の声だった。
「何……なんですかぁ、これって……」
「ようやく会えたわね。私の、夜宵の魔女」
 妻が、微笑んだ。
「徹底的に冒険をしない人生で、あなたが今まで温存してきたもの……これから大いに解き放ってもらうわよ」


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登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年01月05日

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