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『ゴールデンタイム 』
松本・太一8504
「松本君には女装してもらいまーす」
 部長が椅子ごとぐるぐる回りながら垂れ流す。
「いや、でも、この前私のじょ、女装は全面的に禁止って方向で」
 おどおどと抵抗する松本・太一だったが……ぴたり。回転を止めた部長がデスクの上に肘をついて深刻そうな顔を彼に向け。
「これ、業務命令だから」
 要するに太一の勤める会社も参加している商工会から要請があったというわけだ。商工会で毎年行っている餅つき大会にコンパニオンを差し出すようにと。
 なぜコンパニオンが必要かといえば、商工会の役員がおっさんばかりだからだ。同性のみの集まりは争いが絶えないもの。ゆえに男は女を欲するものなのだ。
 まあ、そのあたりの理屈は先日の修羅場で十二分に思い知っていたので、太一も反論する気はない。ただ、そこでなぜ自分が再びの女装を!?
「組合がね、正月に女子を駆り出すのはGender discriminationだって」
 見かけは豆狸のくせにいい発音で「性差別」を発音する部長。
 この会社の労働組合は基本的に自称女子社員に乗っ取られている。あの社長ですら組合の圧には勝てやしない。
「それで、私ですか……」
 自らを指し示す太一に、部長が渋い顔をうなずかせる。
「なんせ実績があるからねぇ。組合から強い推薦もね。多分、この前の意趣返しのつもりもあるんだろうけど」
 部長はデスクに置いてあった豚の貯金箱を太一に差し出した。
「でね、今回は本気でやってほしいんだよね。商工会のメンツ潰しちゃうとウチの会社、結構やばいことになっちゃうからさ」
 これ、みんなでカンパした女装補助費。いいCosmetics買っちゃって。
 結構な重さの陶器豚を両手に乗せられた太一は独り、途方に暮れるよりなかった。


「ってことなんですけど。私、どうするべきなんでしょう?」
 トイレの個室に閉じこもり、自らの奥底に棲まう“悪魔”へ問いかける太一。
“悪魔”は『はん』と息を吐き、おもしろくもない声で応えた。
『そなたが守るべき第一がなにか、それだけのことであろうがよ』
 守るべきもの。この場合はもちろん、会社の立場だ。
『ならばおのずと選ぶべき答は定まろう』
 ですよねー。太一は深くため息をつき、貯金箱の中身を魔眼で確かめた。総額47805円。誰だ英世どころか諭吉まで突っ込んだのは。
『どのみちただで済む話でもあるまい。肚を据えてかかるのだな』
 戦う敵は外ばかりでなく、内にもあるというわけだ。
 太一はもう一度ため息をついて立ち上がった。


 今年の仕事はつつがなく納められ、町に門松と琴の音があふれる正月が来たる。
「肚を据える、ですよね」
【女子控え室】なる実に大雑把な札を貼りつけられた雑居ビルの一室、太一は辺りに人の気配がないことを確かめてスーツを脱ぎ落とした。
 こんな日にまでスーツしか着るものがないあたりが社畜丸出しだなと思いつつ、スーツさえ着ていればいい毎日がどれだけありがたいものかを思い知る。
『肚を据えたのではなかったか?』
“悪魔”の茶化す声に太一は漏れかけたため息を「据えましたってば」の声で吹き飛ばし、ネクタイを、ワイシャツを、ズボンを、さらに下着を脱ぎ去って慎重にバッグへ詰め込んだ。男物の衣服が見つかったらえらいことになる。しかしそれ以上に、これから彼がしようとしていることが見つかったらもう、社会的に死ぬ。
『なにを恐れている? 情報操作すればよかろう?』
 そういうことじゃないんだよなー。太一は今度こそ幾度めになるか知れぬため息をついて目を閉じた。そして。

 自分という“情報”を探査し、把握する。
 遺伝子の螺旋が織り成す松本・太一をほぐし、織りなおして置き換えていく。
 骨が形を変え、その内に守られた臓器が再構成されて配分を完了、血を巡らせ、肉で包み込み、その一部がすべらかな脂肪を成して――
『今日はちょっとサービスしとかないとなんでしたっけ』
 ――胸部と臀部を盛り上げた。

 かくて松本・太一ならぬ夜宵が顕現した。そう、常の夜宵よりもさらに豊麗さを増した、夜宵・色気バージョンとして。
『会社というものはそなたにとってずいぶんと重い枷なのだな』
 感心したように漏らす“悪魔”に答えず、夜宵は用意しておいた下着を手早く身につけた。いつもとサイズがちがうので、意外に手間取る。特にブラは、胸まわりの肉を集めるのが大変だ。
「女性は毎日こういうことをしてるんですよね……尊敬します」
『知らぬわ』
 あきれる“悪魔”に「うう」、力なく返して夜宵がさらに自らの情報に手を加えていく。
 黒髪の色素を抜いて金へと換え、大きく波打たせた。これならウィッグに見えないこともないだろうし、ウィッグのようにズレて落ちることもない。
 さらに瞳の色をそろいの金へ。色素が薄まることで光への耐性が下がるのは辛いが、時間が長くなりすぎなければなんとか行けるだろう。
「さて、問題はここからですよね」
 体の情報は書き換えられても、化粧は実際に手を使って後書きする必要がある。塗ったり重ねたりぼかしたり、あれこれと。


「きょ、今日は、よろしくお願い、し、ます……」
 黒のタイトスカートと白ブラウスに赤のパンプスを合わせた夜宵が、テントの下に集うおっさんたちに頭を下げた。
「これは……」
 ざわり。おっさんたちがざわめいた。目を見開いたままパイプイスから立ち上がり、ふらふら夜宵へ近づいて。
「松本さんって言いましたっけね」
「は、はい」
 なにか怪しいところでもあっただろうか? いや、化粧や見かけと服装が合っていないのはわかっている。その中で少しでも正月らしくと思って選んだ赤のパンプスが問題だったり?
「すごくいい!」
 おっさんどもが一斉にサムズアップ。
「ささ、これを着てくだされ!」
 差し出されたのは赤い法被。
「ボディコンがよかったなぁ。ボディコンだったらなぁ」
 それが流行ったのは30年近く昔なんですが。コンパニオンといえばボディコンというあたりはさすがおっさんだ。そしてそれがわかる夜宵も当然、(中身は)おっさんなのだった。
「茶とか飲むかい酒とか! 冷やしかないけど升酒は正月の基本だしね!」
 って、茶はどこへいった? 酔わせる気まんまんかおい。
「餅つきは合いの手頼んでいいんですよね!? おじさん張り切っちゃうぞー! よいしょよいしょよいしょ」
 なぜ手じゃなく腰を動かすんだおっさんおいおっさん!
『存分に“応援”してやるのだな。ここで得るそなたの評価がそのままにそなたの帰属する場の評価となるのであろう?』
 そうなんですけどね。まったく“悪魔”さんのおっしゃるとおりなんですけどね。なんでしょうね、まったく気力が湧いてこないんですよねぇ。
 太一は引き攣る紅い口の端を無理矢理引き上げ、迫り来るおっさんから一歩退いた。そして当然のごとく、一歩詰め寄られるのだった。
「お餅つきの準備を!」
“思い出す”と“焦燥”の情報を乗せた声音でおっさんを散らし、夜宵はようやく息をつく。
『減るものではないのだ。やらせてやればよいではないか』
 先日と同じようなことをけしかけてくる“悪魔”にかぶりを振って、夜宵は大きく張り出した双丘をげんなり揺らした。

「よいしょーよいしょーよいしょー!!」
 すごい勢いで餅を突くおっさんに合わせ、あわあわ餅を返す夜宵。
「呼吸を合わせましょう! よいしょ、はい、よいしょ、はい――」
“沈静”の情報を送り込み、次いで“拍子”を擦り込んでおっさんの勢いを制御する。男ってやつはなぜこう、エロスが絡むと絶望的な力を発揮するのだろうか。
 それもアレだが、周りだ。どこから這い出してきたのか知らないが、猛烈な勢いで集まってきたおっさん、おっさん、おっさん。ここは曲がりなりにもビジネス街で、住民自体はそれほどの数いないはずなのに。
 だとすれば、コンパニオンがえろいという情報を受け取ったおっさんどもは自主的に正月を返上し、ここに集まってきたことになるのだが……家族はどうした家族は。
『邪魔なら蹴散らせ。恐怖なり苦痛なりを情報としてばらまいてやれば一瞬で空くぞ?』
 簡単に言ってくれる“悪魔”。そうできるものならそうしたいに決まっているが、しかし。
「今年は大盛況ですな! 大成功!!」
 がははーっと笑い合うおっさんたちのことを考えれば、下手なことはできない。たとえ笑い合う間に尻や胸をガン見されたとしても、弊社のためにこらえなければならないのだ。
『乳バンドを外して揺らしてやればどうだ? さらに成功の度合も深まろうよ』
 乳バンドっていつの時代の用語だろう? 苦い顔を振る夜宵の眼前、つきあがった餅を必要以上に力強い動作で作業台の上へ運びあげたおっさんの腰から稲妻がはしった。
「え?」


「すまないけど松本さん、後は任した……」
 交代しながら杵を握ったおっさんたちがもれなく腰を押さえて転がっている。張り切りすぎたのだ。夜宵にいいところを見せようとしすぎたせいで。
 夜宵はひとりつきたての餅に打ち粉を振り、丸める。
 そして八方から迫るおっさんに投げる。
 わーっとおっさんが餅へ殺到する。
 うん、そこそこ以上に生き地獄。
 かくて我が身を守るためになるべく遠くへ餅を投げる夜宵と、餅を奪い合ってはまた詰め寄せるおっさんとの攻防戦は、30分以上も続いたのだった。


「じゃあ、社長さんにはよーく言っとくから!」
 ばちーんとウインクした商工会長が夜宵の手を取り、そのまま動きを止めた。
「よ、よろしく! お願い! しますっ!」
 なんて力だ、引き抜けない!
「これから打ち上げだから! お酌しろとか言わないよー。私らでお酌するからね!」
 ひぃぃ! 夜宵は音にならない悲鳴をあげる。
 そう、まだまだ生き地獄は終わらない。むしろ本番はこれからなのだ。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8504 / 松本・太一 / 男性 / 48歳 / 会社員/魔女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 盛るがゆえに男は盛る。此は道理なれば。
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年01月05日

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