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『温泉へ行こう 』
アリア・ジェラーティ8537)&石神・アリス(7348)&デルタ・セレス(3611)
「温泉……?」
 アリア・ジェラーティはかくりと首を傾げて繰り返した。
「ええ、温泉です」
 二度めとなるセリフをていねいに綴り、石神・アリスがうなずいた。
「なるほど、温泉ですか」
 ふぅと息をついてデルタ・セレスも同じ言葉を口にした。
 ここは石神家の倉庫で、アリアがここにいるのは美術品の整理を手伝ってほしいとアリスに頼まれたから。
 そしてデルタは中学校生活の傍ら彫刻専門店で働く男子であり、その関係で美術館を営む石神家とも懇意にしている。ようするに美術品を出汁に下働きを頼まれたわけだ。
「石神家の所有する別荘へご招待させていただきたく思いまして。先日設備が整ったばかりの温泉で、今日の疲れを取っていただければと」
 アリスはにっこりとふたりへ手を伸べた。
「え? でも、別荘ってそんなすぐ行けるような場所じゃないんじゃありませんか?」
 疑問符を飛ばすデルタにアリスはかぶりを振ってみせる。
「車で一時間もあれば着きますよ。今からでかければ日帰りもできますよ」
「……わーい」
 表情からは今ひとつ感情が伝わってこないが、アリスにはアリアが喜んでいることがしっかりわかる。――と同時に、罪悪感も感じてしまう。
 先にあやまっておきます。わたくしアリアさんに日帰りでお帰りいただくつもりはありませんから。ええ、愛ゆえに!
「石神さんの別荘って、彫刻もいっぱいあるんですよね?」
 デルタの問いにアリスがうなずいた瞬間。
「ぜひお供させてください! 未知の彫刻との出逢いは見逃せませんから!」
 鋭い踏み込みでアリスに迫ったデルタが、彼女の手をぐっと握り締めた。
「え、ええ。ただ問題がひとつだけ。男湯女湯で分けていないので、混浴になってしまうのです、けど」
 アリスはデルタを見る。
 確かに男子ではあるが、小柄でメイド服もよく似合うデルタはオトコという感じもしなくて。
「えっと、僕は別に温泉に入らなくても彫刻さえ見せていただけたら大丈夫ですし」
 と、考え込んでいたアリアが顔を上げ。
「なにか……もんだい?」
 本気でわからない顔をアリスに向けた。
 まあ、アリアもこう言っているし、いざとなってもデルタなら大丈夫だろう。
「問題、特にないようですね」
「いえ、ですから僕は温泉には」
「温泉だー。温泉ー」
「ちょっとアリアさん――だから僕はぁーっ!!」


 石神家の別荘は、歴史を感じさせながらモダンな佇まいを見せる洋館だった。
「すごい……ね」
 ぽやぽや目をしばたたたくアリア。
 こんな近場に山があって、そのただ中に別荘がある。しかも温泉まで湧いているというのだから、それこそ夢みたいだ。
「まずはお部屋へ。ウェルカムドリンクは……ええ、わたくしがお持ちしますから。デルタさんはリンゴジュースでいいですか?」
「リンゴをいただけましたらぜひ丸のままで! あと、彫刻のことなんですけど」
「落ち着いてからにしましょう。それこそ彫刻は逃げたりしませんからね」
 アリアの手を引いてアリスは格子門の内へと踏み入り、デルタがその後を追った。

 上海租界時代のシノワズリで整えられた客間の中心で、アリアは腰に手をあて牛乳を呷る。
「牛乳ってお風呂に入ってから飲むものじゃ……?」
 首を傾げながら剥きリンゴをかじるデルタ。甘さの裏から飛び出すピリリと締まった酸味は紅玉ならでは。紅玉は意外なほど旬の長い品種なので、お菓子作りにばかりでなく、冬の果物として重宝される。
 と、ここで。ノックと共に入ってきたアリスがふたりに語りかける。
「お待たせしました。お風呂の準備はできているようですので、そのままどうぞ。申し訳ありませんけど脱衣所がありませんので」
 アリスの言葉が終わらないうち、アリアがもそもそと服を脱ぎ始めた。恥じらいもデルタへの配慮もなにもなく、ただただ必要だからやる的な風情で。
「わーっ、アリアさん!! 僕外に出ますからそれまで」
「アリアさんいけません! まだカメラの準備が」
「え?」
 デルタがアリスを見る。
「まだ、デルタさんの準備ができていないと言いたかっただけです。それだけです」
 いろいろと不穏な含みを感じ取ることなく、小首を傾げたアリアは脱衣を再開するのだった。


「……おふろ。大きいね」
 アリスによってバスタオルでぐるぐる巻きにされたアリアが、温泉を見てシンプル極まりない感想を述べた。
 造りは館のそれと異なり、和風である。
 自然石を組み合わせて配置し、荒々しさの中に繊細さを魅せる。
 そしてその岩肌をなめる湯だ。含まれている鉱質の効果か白く泡立ち、まさに海岸へ打ち寄せる波のようで。
「アリアさん、タオルは落とさないでくださいね。……この温泉、海をモチーフにしてる。内陸に海……侘び寂びよりも数寄を見せるなんて、設計者は大胆だったんですね」
 なぜかアリアと同じく胸までバスタオルで巻き隠したデルタが深いため息をついた。
「波の寄せかたも計算されています! 一定のリズムで逆巻いて、ランダムに小さな渦を作るように! すごい」
 彫刻を識るうちに磨かれた彼の美術眼は、温泉にしかけられた意図を読み解いていく――のだが、その目はあるものを見つけた途端、あっさりと曇りきった。
「彫刻! うわ、この海のスケールからしてアンバランスだけど、これもあえて崩してるのかな!? まるで生きてるみたい。お湯につける像を鉄で造る? ここで侘び寂び出そうとしたのかな? それにこの衣装は海女じゃないし、ああもう、作者の意図が知りたい! どこに問い合わせれば……こんな大事なときに限ってアリスさん、どこ行っちゃったのかな」
 あほ毛をぴんと立てて盛り上がるデルタを見やりながら、アリアはやれやれ。
「デルタちゃんは、男の子だね……」
 アリアは大人を気取り、しずしず温泉へつかる。
 氷の女王を始祖とするアリアはあたたかさが少し苦手だ。でもお風呂の熱は好き。体に染み入って、凝り固まったなにかをほぐしてくれる気がする。
「おちつく」
 口元まで湯につかってじっくりと、体の芯まで熱を通す。
 気持ちいい。溶けそう。溶け――
「――ない?」
 ばしゃり! あわてて立ち上がろうとしたアリアはバランスを崩してへたり込んだ。
 体が動かない。
 つま先から染み入った湯が足を、脚を内側から固め、アリアの自由を奪いつつあるのだ。
「アリアさん!!」
 アリアの異変に気づき、駆け寄ろうとしたデルタもまた大きく体を泳がせ、湯船に倒れ込む。
 僕もアリアさんもどうして気づかなかった!?
 外から固められたからじゃない。中から固められていったせいだ。鉱泉の成分が浸透してまず骨を固めて、それから――って、そんなこと考えてる場合じゃない!
「アリアさん、冷気を!」
「……うん!」
 必死で叫ぶデルタにうなずき、アリアは氷雪を巻き起こす。しかし、湯はその冷気を吸い取って温度を下げつつも後から後から沸き出しては熱を取り戻し、ふたりの体に染み入ってくるのだ。
 あたためられて拡がった血管を伝い、湯に含まれているなんらかの成分がふたりの体を巡る。より多くの成分を肉に届け、端々でわだかまって――固めていく。
「指……」
 動けないアリアが両手の指を見た。染み入った成分が内から徐々に染み出してきて、その肉を硬い鉄へと変じさせる。
 そう、鉱泉がアリアへもたらしたものは鉄分。骨を、肉を、血すらも置き換えて、そのすべてを固めていく。
「アリア、さん」
 デルタは弱々しくアリスを呼ぶ。もう、手の先どころか肩まで固まってしまっていて、もがくことすらできやしない。
 迂闊というよりなかった。いつものデルタなら、もっと早く異変に気づけたはずなのに。
 つい夢中になっちゃったんだ。この温泉に配置されてた彫刻がすごく出来がよくて。でも――
 ここにある像が元々なんだったのか、彼は今になって思い知る。この一体一体が、別荘で働いていた人たちなのだと。
 かくてデルタのあほ毛が天を突いたまま固められ、動きを止めたと同時。
「アリスちゃ」
 空へと伸べたアリアの手が、言葉と共に止まり。
 湯が岩と、そして内に置かれた鉄像へ当たる音だけが残された。

「おかしい」
 先に温泉へアリアとデルタを送り出したアリスはひとり、館の廊下で首を傾げていた。
 ここには多くの非売品たるコレクションが飾られている。使用人は身長に選別されていたし、だからこそこの有様――全員がコレクションの手入れや掃除を放棄し、館を留守にするような事態はありえない。
 が、実際に今、そのありえないことが起きているのだ。
「トラブル、でしょうね」
 できうることならアリアとデルタが気づく前に処理してしまいたかったのだが、手がかりがない以上どうしようもなくて。ここまで来れば別れたふたりの安否も気になるばかりで。
「おふたりの様子を見に行かないと」
 いかにもデルタ好みの彫刻にうっすら積もった埃から目を逸らし、アリスは温泉へと急ぐ。もちろんその手には耐水性のデジカメを携えて。

「アリアさん、デルタさん」
 応えはなかった。
「まさか、のぼせてしまったのでは……?」
 念のためにカメラを構え、温泉場へ踏み込むアリス。慎重に歩を進め、そして。
「……初夢、でしょうか?」
 救いを求めるように手を伸べるアリアの像と、アリアへ駆け寄ろうとしているのだろうか、膝立ちのまま叫んでいるようなデルタの像を発見したのだった。
「って、夢を見ている場合じゃなくて! おふたりとも、どうしてそんな」
 どうしてそんなことになったのかはわからない。しかし、ふたりの像の完成度だけは、磨きあげた鑑定眼が思い知らせてくれた。
 水は美術品にとって大敵だ。絵も像もすべてを侵し、その価値を損なわせる。しかしこの多湿な日本においては、それすらも取り込んだ美が生み出されてきた。風雨や苔むす時間による侵蝕をもって完成させる、侘び寂び。
 石でないのは気に入らないが、湯に侵される鉄のアリアとデルタは、その儚さをもって最高水準の侘び寂びを魅せていた。
「悔しいけど、美しい。デジタルよりフィルムのカメラを用意してくるべきだったわ」
 歯がみしながら、希有な美を撮り続けるアリス。その足は自然と湯に踏み入り、ふたりへ近づいていった。
「デルタさんのあほ毛、意外な陰影を落とし込んで……悪くないわね」
 男子を超えたかわいらしさが、あほ毛のアクセントをもって完成されている感がある。
 そしてアリアだ。
「いったい誰の名前を呼んだのかしら?」
 わずかに開いた口が成す音は「あ」。それだけならデルタかもしれないが、目線が温泉の外へ向けられていることからそうではないことが知れた。とすれば、言い切れなかった呼称? アリアはいつも「ちゃん」づけだし、この場にいなかったのはアリスだけ。
 にやけかける口元を引き締め、アリスはさらにシャッターを切ろうとして――ようやく気づく。
「体が」
 脚が動かない。手指が重くなり、シャッターを押すことができなくなっていた。いや、先ほどからその兆候は感じていたのだ。鉄像に魅入られ、意識から押し出してしまっていただけで。
 気がつけば、周りに建つ彫刻はすべて、この別荘の使用人で。すべてを理解したアリスは逃げることすらできなくなった自分を呪いながら、鈍り始めた頭脳を必死で回転させる。
「温泉のせい――だとしたら、別荘のコレクションも」
 コレクションの中には見事な動物の像がいくつもあるが、それもまたこの温泉によって変じさせられたものなのかもしれない。
「計画は、大事ね。今度は、きっと」


 像になっている間、ずっと意識だけは保たれていた。だからアリアはアリスの声を聞いていた。
 自分に向けて彼女は問うたのだ。いったい誰の名前を呼んだのかしら?
 いつもていねいでクールなアリスが、素だとあんな感じだなんて。
 頬を両手で覆って、くしゅん。
「?」
 アリアはぶるりと震えて自分を見下ろした。
 体が生身を取り戻している。
 そして、温泉が枯れていた。
「お湯……どこいっちゃったんだろ?」
 このときのアリアに知る由はなかった。メンテナンスを失った温泉汲み上げ用のポンプが故障し、湯の供給が止まったのだということを。そして湯の効力は、それに触れていなければ減じ、やがて滅するのだということを。
 わからないことだらけだったが、悩むのはアリアの性ではない。彼女はデルタが未だ像から戻っていないことを確かめ、そしてアリスを見た。
 ため息をついたのだろうか。かすかにとがった唇と、あきらめたように閉ざされた目。
 座り込んだその体には水分に晒され続けたことで赤錆が浮き上がり、アリスが描くすべらかなラインを静やかに飾っていた。
 氷像のアリスとはまるでちがう、まさに寂びた美がそこにはあった。
「アリスちゃん」
 思わず立ち上がろうとしたアリアの体がぐらりとよろける。同じ姿勢で固まっていたことが、彼女から体の自由と平衡感覚を奪っていたのだ。
 あ、でも、このままだったら。
 倒れ込みながらアリスの硬い唇へ、自分の尖らせた唇を向かわせる。アクシデントを装った、キス。全部アリスちゃんがいけないんだから。そんなにかわいくて、困った顔で。なぐさめてあげたいし、がまんもできない!
 その瞬間。
「わわっ」
 生身に戻ったデルタが声をあげた。
 これまでの状況を見てはいた。像のままなら、見なかったフリをすればよかったのだが、よもやこのタイミングで!
「僕見てませんから! なんにもぜんぜん大丈夫です!」
 まだ自由に動かせない手足で這い、遠ざかろうとするが。
「……デルタちゃんの、えっち」
 えっち!? えっちなのはむしろアリアさんじゃ――
 ようやく鉄気が抜けたデルタの体に冷気が浸透した。血肉どころか細胞まで瞬間冷凍され、そこに四つん這いの氷像が顕現する。
 そして。
 アリアは幸せなキスをした。


「とりあえず温泉は封鎖して、お湯の調査を進めることになりました。この度はわたくしどものせいで、すみませんでした」
 帰りの車の中でアリスがアリアとデルタに詫びる。
 正直、もっともっとアリアの像を愛でたかったし、アリアにキスされてしまったことは、うれしい気持ちもあったがやはり逆の立場で味わいたかった。
 でも、それよりもなによりもアリアが、そしてデルタが無事だったことがうれしく、危険な目に合わせてしまったことが申し訳ない。
「いえ、僕は彫刻見せてもらえる約束してもらえましたからそれで」
 ほくほくとうなずくデルタ。
 アリアはウインドウの向こうに遠ざかる別荘を見やり、小さくため息をついた。
「アリアさん、怒っていますか?」
 恐る恐るたずねたアリスに、アリアは大きくかぶりを振って。
「温泉……いっしょに入りたかった、ね」
 像ではなく、アリアとアリスでいっしょに。
「――そうですね。近いうちに、かならず」
 アリスは花のように笑み、強くうなずいた。
 やれやれ。僕、ちょっとお邪魔虫じゃないですか。
 取り残されたデルタは苦笑、ふたりの少女が交わす笑みをながめてその瑞々しい美しさを堪能するのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【アリア・ジェラーティ(8537) / 女性 / 13歳 / アイス屋さん】
【石神・アリス(7348) / 女性 / 15歳 / 学生(裏社会の商人)】
【デルタ・セレス(3611) / 男性 / 14歳 / 彫刻専門店店員および中学生】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 飾るも語るも、互いあればこそ。
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東京怪談
2018年01月09日

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