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『その花言葉は 』
星杜 焔ja5378

 ああ、澄んだ青い空が見える――十二月、真冬の澄んだ青い色が。

 パニックを孕んで走ってゆく人の流れを掻き分けるように、星杜 焔(ja5378)は進んでいた。
 拡声器で「落ち着いて避難して下さい!」と声が聞こえる。彼はそれに従わなかった。
 誰もが恐怖で切羽詰まった顔をしているのに、焔だけは気持ち悪いぐらいに笑っていた。笑う顔しか彼の顔は動かせなかったのだ。だけど、幸いだろうか、今ここに焔の顔に意識を割く暇がある者はいないらしい。ぶつかられ足を踏まれ、それでも焔は逆走を続けていた。

『焔兄ちゃんが作ったカレーが食べたいな』

 同じ施設の仲のいい少女がそう言って。
 焔は町へと出かけたのだ。
 今日も、なんてことない、いつもと変わらない日だったのに。
 これは何か悪い夢だと早打つ心臓が叫んでいる。

(大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫――)

 乾いた笑顔に血の気は失せて、唇は乾いて震えていた。
 大丈夫、きっと大丈夫だよ、帰ったらすぐカレーを作らないと。そうだクリスマスも近いからプレゼントだって用意したんだ、あの子の為に。そうそう、お肉が安くいっぱい手に入ったから、今夜はお肉たっぷりの豪華なカレーだよ。きっとみんな喜んでくれる。ニンジン嫌いな子だって、焔兄ちゃんのカレーのニンジンならって美味しく食べてくれるんだ。大丈夫。ほら、帰って早く作らないと。
 正気を保つように、焔は買い物袋を後生大事に抱きしめていた。人混みで潰れたり落としたりしてしまわないように。

(大丈夫、大丈夫、大丈夫、)

 ほらもうすぐ施設が見えてくる。思い出の家が。
 立ち入り禁止のテープを潜って、「危険です!」と自分を止めようとしてくる手を振り払って。

(大丈夫、……)

 冷え切った空気が喉を伝う。
 焔の足は止まっていた。
 結界の境界線。
 ちょうど施設を取り囲むように。

 ねえ、嘘だろう。
 こんなの嘘だろう。
 きっと悪い夢だろう。

 なんで、どうして、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ――


 ――大切に抱えていた買い物袋がアスファルトに落ちる。
 袋からこぼれたのは赤いリンゴ。隠し味の為に買ったそれは、ごろごろ地面を転がって、……







 叫んだのだろうか。
 それとも無言のままだったのだろうか。

 赤い色を鮮烈なほど覚えている。
 薔薇のようだと感想を抱いた。

 白い色を鮮烈なほど覚えている。
 蝋燭のようだと感想を抱いた。

 赤と白。
 それが、焔が抱きしめている少女を彩る、二つの色。
 胴体を中心にべったりと塗れた鮮血の赤。
 刻一刻と血が流れ続け、命を失いつつある肌の白。

 熱いぐらいに温かい。
 なのに、寒いぐらいに冷たくて。

 名前を呼んでも動かない。
 虚ろに開かれた少女の瞳は、冬の空を映したまま。

『ライラックの花言葉って知ってる?』

 いつか彼女が笑って言った記憶が蘇る。
 微笑んだり、名前を呼んでくれたり、たくさんお話してくれた彼女の唇は、もう、動かない。
 乾きつつある血に時を止められて。

「……」

 守れなかった。
 無力だった。
 どうして、なぜ。
 なぜ、また、俺だけが生き残って。

「――――――」

 ああ。
 笑いが止まらない。
 肩が震えて、天を仰いで、白い息を吐いて。
 焔の唇には血が掠れるように付いていた。
 彼の腕の中の彼女が、死の間際に重ねた唇。それによって付いた赤。
 どんどん冷たく、そして硬くなってゆく少女の骸を、焔はきつく抱きしめる。そのぬくもりが消えてしまわぬよう足掻くかのように。

 妹のようだと思っていた。
 妹なんかではなかった。
 口付けられて、最期の最期で、ようやっと理解したんだ。

 でも、もう、遅い。
 なにもかもが遅い。

 両親だったモノの血肉が飛び散る様を、「きれい」だなんて言ってしまった醜い己には。
 行く先々で気味悪がられ、嫌われ続けてきた己には。
 ……きっと、愛を寄せる者などいない。
 そうやって決めつけた。怖かった。もう嫌だった。愛されたくて受け入れられたくて近寄ったのに、これでもかと拒絶され尽くされるのは。愛なんて自分の世界ではきっとフィクションなのだと諦めた。
 そうやって――彼女の心からも、目を逸らし続けていたのだ。

『ライラックの花言葉って知ってる? 友情、思い出……』

(それと、初恋)

 いつかの記憶。いつかの言葉。
 もうあんな風に語らうこともできないんだ。
 これで最期というのなら。せめて彼女が安心して旅立てるよう、笑い続けていよう。

『皆を元気付けるために笑顔でいるのよ』

 彼女は焔の顔に貼り付いてしまった笑顔を、気味悪がらずに受け入れてくれた。
 だから焔は、この施設で居場所を得られた。
 ありがとうって言えばよかった。
 彼女の気持ちにもっと早く気付ければよかった。
 こみあげるありとあらゆる感情は、笑いとして昇華される。
 乾いた空気、笑いすぎて喉が痛い。
 空が青い。なんて青いんだろう。ああ。ああ。

 さようなら。

 さようなら、大切な、大切な――本当の家族に成り得たひと。







 どれほど笑っていただろう。
 もう声も枯れ果てて、抱きしめていた彼女の体も氷のように冷え切っていた。
 嗚咽とも咳とも判別がつかぬ笑い声はまだ、血の付いた唇から白い息と共に漏れている。

 気付けば随分と辺りが静かだ。
 撃退士達の仕事は終わったようで……遠巻きに焔を見守っていた撃退士の一人が、彼に声をかける。
 その時、焔はようやっと気付いた。己の異変――体に纏う虹色の炎。
 それはまるで、虹の橋を渡る彼女を弔うかのような色で……。


 ……それから、半ば気絶のように虚脱状態となっていた。
 倒れてはいない。だけど、記憶がゴッソリ抜け落ちたような。

 気付けば焔は病院にいた。
 手が冷たい。掌についていた血は洗い落とされていた。服も病衣に着替えている。
 焔はベッドに座り込んでいることに気付く。
 顔を洗わないと……ボンヤリした意識を目覚めさせるために、彼は立ち上がり洗面台へ。
 蛇口をひねった。冷たい水。両手ですくう。
 ばしゃ。凄く冷たい。目を開けた。顔を拭う。
 ふ、と。顔を上げれば、目の前に鏡。

「……あ、れ?」

 見覚えのない色がそこにあった。
 銀色だった髪は緑色に。
 青色だった瞳は紫色に。
 変わってしまっていた。

「は、は」

 それでも表情は、やっぱり貼り付いたような笑顔だった。
 濡れた手で鏡に触れれば、鏡の向こうの焔の顔が水に濡れて、雫が伝う。それはまるで涙のようで。
 水を止め忘れた蛇口からは延々と水が流れ続けていた。真っ暗な排水溝に、ゴボゴボと冷えた水が流れ続けてゆく音。

「は、は、ははは、はは……」

 焔は鏡から目を逸らせない。水が流れ続ける。
 銀の髪と青い瞳。それは焔にとって特別な色だった。死んでしまった母親の色。死んでしまった親との絆を感じさせてくれた色。
(母さん、)
 焔は失ってしまったのだ。母親から継いだ色さえも。
 鏡の向こうの少年は笑っている。笑い続けている。見知らぬ色をそこに湛えて。

「誰だろうね……これ」

 俯いた。ポッカリ空いた排水溝の闇だけが焔を見つめ返していた。
 暗い。暗い。黒い。穴。
 ここに堕ちて、どこでもない場所に流されてしまえればいいのに、いっそ、いっそ、いっそ。

 ああ、でも。
 ああ、これは。

 ああ、全て、罰なのだ。



『了』




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星杜 焔(ja5378)/男/18歳/ディバインナイト
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2018年01月09日

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