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『時蕎麦 』
ニノマエaa4381
「……明日は正月だぜ? 風呂入って寝てやがれ」
 大晦日の宵五ツ(20時頃)。
 ニノマエは脛まで埋める雪に足半を突き込み、「死出ノ御剣」を八相に構えて吐き捨てた。
 返ってくるのは、しゅうしゅう。猿とも鬼ともつかぬあやかしが吐く邪気。
 ここは確かに江戸のただ中であるはずなのに、あるものはただただ雪と、それを白く浮かびあがらせる上弦月ばかりで、通りすがる人はない。
 解せぬ話だが、あやかしとはかくもそうしたものであるらしい。行き会わせる者というのはある意味で才持つ者であり、だからこそ他者が行き会わぬものとしょっちゅう出くわすことになる。
 そしてこのニノマエもまた、そのような才に恵まれし者なのだった。
「来ねぇなら行くぜ」
 足裏の前部のみを覆う足半は、必然踵をつけることがかなわない。つま先立ちを保つだけに脚力を求められるが、代わりに体重を一点に集中させることで滑りを封じてくれる。踏み固めた雪であれ、これならば――
「らあっ!」
 ――均衡を損なうことはない。
 突き立てた右足を支えとし、ニノマエが御剣を振り下ろした。
 使い手の生気を吸い、霊力の刃となすこの剣。ふとしたことで手に入れて以来、常に彼の手に在り続け、あやかしを斬り続けてきた。
 しゃ! あやかしが鳴き、なまくらの剣身からあふれ出す破邪の金光をやすやすとかいくぐった。
 当然だ。ニノマエの剣は無手勝流。どこぞの道場で手ほどきを受けたわけでも、なにかしら開眼した技でもありはしない。
 ただ踏み込み、斬り下げ、横薙ぎ、斬り上げる。
 愚かしく直ぐな彼の兵法は、相棒たる三味弾きがいてこそ功を奏するものなのだが……生憎と今夜、相棒は所用で出かけているのだった。
 ま、お釈迦様でもあるめぇし、こんなとこでこんなもんと行き会うたぁ思わねぇやな。
 数十回の空振りを重ねる間に、幾度となく黄に濁った爪で肉をえぐられ、乱杭歯に噛み裂かれていた。
 迅ぇな、おい!
 筋と骨だけをかばいつつ、ニノマエは奥歯を噛み締めた。
 どっかにあやかし封じの札があったはずなんだがな――これじゃ懐さぐってる暇がねぇ。って、あやかしが術使ってきてるわけでもねぇのに、俺がインチキしてどうすんだよ。粋じゃねぇや!
 と。
 ニノマエが胸中で迷いを振り切った、そのとき。
 あやかしが歯を剥きだしてみせた。
 そして今の今までだらりと下げていた左腕を持ち上げ、ニノマエの右腕へ叩きつけたのだ。
「っ!?」
 それは霊力封じの札だった。
 あやかしが封じられていた祠にでも貼られていたものか……力はずいぶん薄れているようだが、それでもニノマエを封じるほどの効力が残されていた。
「ち!」
 ニノマエの腕から生気がかき消え、その先に握られた刃の金光が失われた。
 空に残った金光も、札から漏れ出しているらしい法力に吸われ、夜闇へ飲まれていく。
 剥がそうにも、さすがは法力による札。左手ひとつの力では剥がせそうにない。
 ここぞとばかりに襲い来るあやかし。
 左手に持ち替えた御剣であやういところをしのぎ続けるが、長く保たぬことはニノマエ本人が誰よりも知っている。
 ついに抱え込まれ、大きく開かれた乱杭歯に首筋を噛み裂かれる――
「俺の右手がついてんのかついてねぇのかわかんねぇからよ」
 青ざめた頬に冷めた笑みを刻み、ニノマエが痺れた右手を持ち上げて。
「確かめてくれよ、なぁっ!」
 あやかしの口へ思い切り突っ込んだ。
「アガアアア! ナン、デェ!?」
 喉を焼かれて叫ぶあやかし。
「しゃべれんならハナっからしゃべりやがれってんだ。……首にかぶりつかれちまったら俺が死ぬだろ。だから使いもんになんねぇ右手喰わせてやった。ついでに、てめぇみてぇなの封じる札だぜ? 効いてあたりめぇじゃねぇか」
 そればかりではない。あやかしを封じる札は“内側”へ効くよう作られている。しかし、先ほど刃の残光が吸われたのを見てニノマエは確信したのだ。今、この札の効力は内ばかりでなく、外へ漏れ出しているのだと。
 あとはもう、思い切りだけの話である。
 あやかしの霊力を吸うのにいそがしいのか、札がニノマエの腕から剥がれ落ちた。代わり、札に喉の奥へ貼りつかれたあやかしは息もできぬ有様である。
「終いだぜ」
 光を取り戻した御剣を、右手と差し替えて札の向こう――あやかしの腹の底まで差し込み、ニノマエは一気にひねりあげた。

 傷ついた体へ適当にサラシを巻きつけ、血止めしたニノマエが、仮の住処として使っている長屋への道を行く。さすがに人気はなく、見とがめられることはなかったのは幸いだ。
「こんなとこ見られちまったら、俺があやかしだと思われっちまう」
 傷の痛みに顔をしかめつつ、橋のたもとへ目を向ける――いた。
 冬の夜の風物詩、夜鷹そばの屋台である。
 夜闇をかすかに押し退ける灯へ、ニノマエは吸い込まれていった。
「おう、ニノマエさんじゃねぇかい。って、また喧嘩かい?」
 ここの親父とは馴染みというほどの仲ではないが、何度か通ううちに顔を憶えられた。正しくは二度めですでに憶えられてはいた。なにせニノマエはいつも怪我だらけの身で入ってくるから。
「そんなとこだぁな。かけでくれ」
「あいよ」
 七輪にかけた鍋へ切り蕎麦が放り込まれ、寒空へ湯気の白が吹き散った。
「雪の白も悪かねぇが、俺はこっちの白のがいいや」
 火事の多い江戸では、夜間の火の扱いに厳しい制限がある。それは屋台も同様なのだが、さまざまな理由からいわゆるお目こぼしを受けていたりするわけだ。
「揚げが残ってるけどどうだい?」
「いや、ちっと縁起悪ぃからやめとくわ」
 祠がらみと思しきあやかしと殺し合ってきたばかりである。稲荷を連想させる油揚げはさすがに食いたい気分じゃない。
「あんたがいっち縁起悪ぃツラしてんのになぁ。明ける前に厄落としとかねぇとな」
「このザマじゃあ湯屋にも行けやしねぇよ。おとなしく正月明けまで丸くなってらぁ」
 そういえば木戸番にも同じようなことを言われたが、ともあれ出汁をぶっかけたそばの丼を受け取り、すすり込む。
 二八を謳ってはいるが、実際はどれほどの小麦が混ぜ込まれているものか。香りなどほとんど感じられないやわやわの蕎麦であるが――不思議とこの、本節と砂糖をけちった醤油汁と相まってうまい。
 いや、寒空の下、熱いものをすするというこの風情にうまみを感じているだけかもしれないが。
「来年はどうするんだい?」
「今年も来年もねぇよ。今日と明日ってだけの話だろ。くたばっちまうまで、おんなじようにおんなじことするだけさ」
 そりゃそうだなぁ。応えた親父は川を見下ろし、白い息を吐いた。
「……こいつぁおいらの心づくしだ」
 言いながら親父がニノマエの丼へ葱を大盛りに放り込んだ。
「ねぎは“ねぐ”だからよ。ま、来年も生きて会おうぜって祈らしてもらうぜ」
 親父からの思わぬ祝儀にニノマエが笑んだ。
 そうだな。これが俺の年越し蕎麦だ。蕎麦みてぇに長く生きられるか知らねぇが、人の縁だきゃ繋いどきてぇもんだ。
「ごっさん」
 と、食い終えた丼と四文銭を四枚親父へ渡し、ニノマエがふと問うた。
「今何時だい?」
「払っちまってから時そばかよ! 今ぁ? そろそろ夜四ツ(22時頃)じゃねぇか」
「五、六、七――十六だ」
 さらに四文銭を十二枚、親父の手へ。
「おいおいニノマエさんよぉ」
 困惑する親父へ、ニノマエはしたり顔で。
「お年玉だよ。そいつで熱い蕎麦でもたぐってくれ」
 親父は沈鬱な笑みを浮かべ。
「蕎麦なら売るほどあらぁよ」
「だな……」


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ニノマエ(aa4381) / 男性 / 20歳 / 不撓不屈】
【蕎麦屋の親父 / 男性 / 41歳 / NPC】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 あやかしも縁。人も縁。三白眼、縁繋ぎて年を越す。
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2018年01月24日

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