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『公務員のお仕事』
松本・太一8504


 そろそろ死語なのかも知れないが『お局様』と呼ばれる人々がいる。
 侮蔑的な呼称ではあるが、彼女たちがいなければ職場が回らぬ場合も多く、時には社長でさえも太刀打ち出来ない相手であったりする。
 彼女が、そうであった。
 48歳の松本太一よりも幾つか年下で、しかし年長者の太一をまるで後輩のように扱ってくれたものだ。
 口うるささに辟易させられる事もなかったわけではないが、仕事の出来る女性で面倒見も良く、苦笑混じりに陰口をきかれても憎まれてはいなかった。
 太一が勤める市役所の、裏の顔役とも言える女性であった。
 そんな彼女が、今はアクリル板の向こう側にいる。
「後悔はしてない、わけじゃないけど」
 疲れたように、彼女は苦笑した。
「でも今更ジタバタしようって気はないから。松本さんもね、何か訊かれても別に……私に有利な証言とか、してくれなくていいからね」
「……貴女がいなくなったせいで、このところ残業続きですよ」
 太一は言った。
「何かね、いつかこんな事やらかすんじゃないかって思ってましたよ。貴女、役所勤めのくせに妙にざっくばらんなところありましたから……いつかじゃなくて、もうやらかしていたんですね」
「断れなかったのよ。世間の人たちから見れば、引きこもり気味の犯罪者……でも私にとっては、放っておけない姪っ子だから」
 その姪御には、存在しない息子がいた。
 息子のおかげで母親は数年間、様々な手当を受給する事が出来た。
 先日その母親が暮らしていたアパートの押し入れから、乳児の白骨死体が発見された。生後間もなく死亡したらしい。
 死亡届を握り潰し、各種手当の給付に関する手続きを済ませてしまったのが今、太一とアクリル板を挟んでいる女性である。
 親族ではない太一が、しかしどうにか面会の許可を得る事が出来た。
「庇うわけじゃないけど、あの子も色々あってねえ……両親、って要するに私の兄貴とその嫁なんだけど、ちょっと問題ありな夫婦でね。そいつらから逃げるように結婚した相手も、子供が出来た途端、逃げちゃうような男で。その子供はまあ生まれてすぐ死んじゃったわけだけど」
 死因も定かではない。疑われているのは当然と言うべきか母親で、今は別の場所に収監されている。
「役所で仕事してるとね、案外いろんな便宜が図れちゃうのよ。でも大抵、後でバレてこんな事になっちゃうから……松本さんも気を付けなさいね。あの綺麗な奥さんにおねだりされて、使っちゃいけないお金に手を付けたりしないように」


 拘置所を出ると、駐車場で妻が待っていてくれた。
「迎えに来て、くれたのか?」
「お買い物のついでに、ね。乗って? 私が運転するから」
 導かれるまま、太一は助手席に乗り込んだ。
 いくらか年代物の国産車を、妻が軽やかに発車させる。
「……かわいそうな、お話だったのね」
「まあね。だけど同情するべきではないと思う」
 助手席でネクタイを直しながら、太一は言った。
「人ひとりの死亡を揉み消した上に、税金を使って不正な事を」
「それよ。私がかわいそうと言っているのはね、揉み消された赤ちゃんの事」
 綺麗な繊手で危なげなくハンドルを転がしながら、妻が言う。
「死亡という情報を改竄されて、まだ生きている事にされてしまった……ある意味、単純な人殺しよりも大それた悪事よ。ほら見てごらんなさい」
 そう言われても、車の外を流れて行くのは、東京などと比べて特に緑が多いわけでもないがどこか鄙びた感のある、ありふれた地方都市の風景だけだ。
 ……否。大き過ぎて、最初は見えなかった。
 巨大な手が、足が、頭が、丸みのある腹部が、建物を押し潰す。いや潰せず、すり抜けてゆく。
「今の貴方なら、見えるはずよ」
 妻が、車を止めた。
 幻覚としか思えない、だが幻覚ではなくなりつつあるものが、四つん這いで街を徘徊している。
 半透明の、巨大な赤ん坊だった。
「あれは……」
 太一は息を呑んだ。
「幽霊……か?」
「そんな可愛いものじゃないわ。死を無かった事にされた赤ちゃん……改竄されたままの、情報の塊よ」
 妻が言った。
「数年間、生きている事にされて、そろそろ実体化を始めようとしている」
 建物をすり抜ける巨体が、実体を得る。街が破壊される、という事だ。
「貴方の上司、とんでもない情報改変能力の素質を持っているわね。私のような存在にもし出会ったら、手に負えない大魔女に化ける可能性がある……面会のついでに、この世から消しておいた方が」
「今、消さなければならないものは別にある!」
 太一は、助手席の扉を開けて飛び出した。
 妻が、微かに目を細める。
「……私に任せてくれても、いいのよ?」
「上司の不始末、という事だろう。私が、何とかしなければ」
 太一は言い放った。
 細い身体が、キラキラと光をまとう。
「私は公務員。市民に関する情報が改竄されたままならば、放置しておくわけには……いかないんですっ!」
 口から、若い女の声が出た。
 細い身体が、さらに嫋やかに絞り上げられ、だが胸と尻周りは柔らかく膨らんでゆく。
 黒髪がふわりと伸び、煌めきを振りまく。
 光の粒子の乱舞の中、くたびれた男性用スーツが、ぱりっとした女性用スーツに変化していた。
 むっちりと張り詰めたタイトスカートからは、ふくよかながら引き締まった太股が溢れ出している。
 48歳の中年男性公務員が、若く初々しい新人女性公務員に変身を遂げていた。
 夜宵の魔女。
 妻がそう呼ぶ姿で太一は佇み、実体化寸前の怪物をじっと見上げた。
「誤った情報は、正しく改めなければ……」
 巨大な赤ん坊が、無邪気に笑った。玩具を見つけた、とでも思っているのか。
 このまま放置すれば、市街地そのものが玩具となり、破壊される。
「お役所仕事をさせてもらいますよ、赤さん……情報、改変」


 巨大な赤ん坊は、消え失せた。と言うよりも、最初から存在しなかった事になった。
 あるべき状態に戻った、とは言える。
 ぐったりと助手席に沈み込んだ夜宵の魔女を、女悪魔は気遣った。
「お疲れ様……ふふっ、大したものね。絶対、私の力が必要になると思っていたけど御立派。1人でやり遂げて見せてくれたのね」
「赤ちゃん……赤ちゃんがぁ……」
 夜宵の魔女が、ぽろぽろと涙をこぼす。
「女だから赤ちゃんが好き、母性本能がある、なんて……セクハラめいた男の勝手な思い込みだって、私ずっと思ってましたけど……やっぱり、きついです。凹みます、心が折れます。赤ちゃんを……だって殺しちゃったようなもんじゃないですかぁ……」
「あなたは正しい状態を作り上げただけよ。公務員として立派なお仕事だったと思うわ……私の、自慢の旦那様」
「私、公務員として……お母さんと赤ちゃんが幸せになれる、そんな世の中にしてみせますっ!」
「あなたは……お母さんになるの? お父さんの方がいい?」
 女悪魔の優美な細腕が、夜宵の魔女に絡みついてゆく。
「私、どちらにもなれるわよ……ふふっ。今夜はそうね、性別を逆にしてみましょうか?」


「……こんな事、言ってますけど」
 初恋の相手……魔神の美少女の姿のまま、松本太一は水晶球を見つめ、言った。
「出来るんですか? その……性別を逆にして、あんな事こんな事」
『興味津々ねえ。試してみる?』
「やめて下さいやめて下さい」
 太一は即座に拒絶した。
「それよりも。こんな覗きみたいな監視もうやめませんか? この後の展開、興味ないわけじゃないですけど」
『私も興味あるわ。と言うより、この監視の目的はまさにそれ』
 目に見えない女性が、太一の中でギラリと目を輝かせたようである。
『私たちと人間との間に……一体どんなものが、生まれるのか』


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登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年01月24日

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