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『Chou a la creme 』
エレアノール・プランタジュネ8802
 ふぅ、すぅ、ふぅ、すぅ。実に規則正しい、でも実に苦しげな呼気と吸気が繰り返されて、こってり太ましい足がゆっくりどっしり階段を踏みしめる。
 あと少し、あと少しで、あと三階分です!
「ふぅ」と「すぅ」で一段上へ足をかけ、「ふぅ」と「すぅ」で一回休み、「ふぅ」と「すぅ」で気力を溜めて、「ふぅ」と「すぅ」で一段上がる。
 ふぅすぅ四セットで一歩分の上昇……なんとも緩慢な進み具合ではあるのだが、“彼女”の姿を見れば誰もが「あー」と納得するだろう。
 丸いのだ。ぶっちゃけて言えば、超太っている。いや、太っているんじゃない。まことに福々しくあらせられる。が正しい。
 言葉を正さずにいられない高貴さが“彼女”にはあった。
 当然だ。“彼女”はそう、五年前まではフレネガンド王国第三王女――本物のお姫様だったのだから。

 フレネガンド王国は滅亡の危機に瀕していた。
 ただ国が滅ぶというばかりではない。その地に住まうすべての命の滅びを必定とする危機である。
 王は手を尽くして危機を遠ざけようとしたが敵わず、ついには伝承と共に封じられてきた禁呪へすがったのだ。
 勇者召喚。
 異世界より危機を打ち払う力を備えし者を呼び寄せる、まさに救済の術だが、これまで封じられてきたことには理由があった。
 勇者の質を選べないのだ。力さえ持っていれば、どのように邪悪な者であれ、人外の化物であれ呼び寄せてしまう。数百年前の危機に際し、顕現した勇者は……
 ともあれ、王の覚悟と決意をもって召喚された勇者は、なんとも言えない好青年だった。
 ニホンという異世界の国から来たという彼は頼りなさげで、実際頼りなくて。しかし純粋な勇気と不屈の闘志をもって危機へ向かった。その戦いを後方から支えたのが、他ならぬ“彼女”――第三王女エレアノール・プランタジュネである。
 エレアノールは自らの手で衣食住を整え、いつ戻るとも知れぬ勇者をあたたかく出迎え、力強く送り出した。彼女の献身は戦いの中で折れかけた勇者の心を繋いで補強し、いつしか積み重ねられて形となった想いは勇者の戦いに意味と意義を与えるようになった。
 かくて危機を打ち払い、王国を救った勇者はニホンへ還る。
 ただひとつ願った宝物たるエレアノールをその手に抱いて。

 こうして愛する夫と不慣れな日本での生活を開始したエレアノールだったが、なにより驚いたのは文明の有り様のちがいだった。
 王国では石と煉瓦の建物に亜麻と羊毛の衣をまとった人々が暮らし、暖をとったり煮炊きするには薪で火を熾し、涼と得るには川などの流水に脚を浸すのが当然だ。なのに、この日本では多くの選択肢が存在し、生活を彩っている。
 その上、“スーパー”である。
 季節を問わず数百数千の食材がそろえられ、エレアノールを魅了した。
 冬なのにしなびたカブや塩漬けの肉じゃない、新鮮な食材が手に入るなんて!
 それだけではない。胡椒や白砂糖といった高価な調味料を始め、見たことのない物々が信じられないほどの安価で売られているのだ。
「私、いろいろ試しますから!」
 姫君という枠を越えた家事能力を備えるエレアノールは燃えた。
 予算の許す限り、料理や菓子を作りまくった。
 同じ料理でも、作りかたや調味料の組み合わせを変えるだけでまったく別の味わいを見せるのがおもしろかったし、なにより夫の顔がほころぶのがうれしかった。
 試行錯誤、味見、研究、味見、考察、味見。
 繰り返される味見は、わずか一年で彼女の身に十五キロの“福”をもたらした。もともと清楚な美女だったエレアノールだが、さすがに胸まわりならぬ腹まわりの成長に気づかされるレベルの増量である。
 まあ、ここでやめておくべきだったのだろうとは自身でも思う。
 しかし。
 この世界で出逢った豊富な食材は、彼女の料理心を加速してやまなかった。
 さらには生来のんびりした性格ということもあり、「ひと口くらいなら」も止まらなくて。結局体重も加速して、気がついたときには大台たる百キロを越えてしまっていたわけだ。
 出逢いは人を変えるものですから。
 感慨深くうなずくエレアノール。そう、出逢いだ。出逢いが彼女の体重を変えたのだ。そして心もまた――夫との出逢いで、変わった。
 エレアノールは嗜みと称して料理や菓子を作り、刺繍を憶える名目で裁縫の腕を磨き、見合いでのアピールポイントになると押し切って洗濯や掃除を学んできた。すべては窮屈な王宮暮らしへの反発から始めたことだったが、勇者との出逢いで「誰かのために為す」喜びを知ったのだ。
 生活の場が王宮から集合住宅へと移った今も、その喜びは薄れることなく、むしろいや増して彼女の心を浮き立たせる。
 ごはん、作るごとにうまくなるね。
 この味ほっとするなぁ。
 こんな組み合わせがあるかぁ!
 じゃあ、メインディッシュを食べさせてもらおうかな……エレアノール。
 なんて感じで、夫はいつもうれしそうにエレアノールのごはんを食べてくれて、エレアノールを愛してくれていた。結婚五年とは思えないほどの勢いでだ。
 あの人は私のことを大切にしてくれる。
 私も同じくらいあの人のことを大切にしたい。
 そのためにも、もっとあの人好みの味を学んで工夫して、もっともっと喜んでもらおう。それは私自身の、無二の喜びでもあるのだから。
 ……ダイエットもきちんとがんばってみようかしら。あの人に私をもっとおいしく召し上がっていただきたいですものね。
「よし」
 自分に気合を入れて、エレアノールは階段を上がる。
 今日は不幸にも集合住宅のエレベーターの点検日で、夕方まで動かない。百四キロの自重とおよそ六キロの食材が詰まったエコバッグ、計百十キロを少しずつ押し上げて、目ざすは最上階の角部屋――愛の巣だ。

「ふぅぅぅぅ」
 ドアをくぐって玄関にエコバッグを置いたエレアノールは長い息を吐く。
 階段の段を数える趣味はないので不明だが、ずいぶん時間がかかったし、汗もたくさんかいた。“メインディッシュ”の嗜みとして、夫が帰ってくるまでにシャワーだけはすませておくべきだろうが、その前に。
 疲れているとは思えない足取りでキッチンへ向かい、冷蔵庫にしまっておいたジャスミンティーの蓋付ピッチャーを取り出す。水出しの茶はもちろんノンカロリーで、増量の心配はない。
 大きなコップを亜麻色のジャスミンティーで満たし、エコバッグのいちばん上から回収済みの包みを開けた。
 中身は大きなシュークリーム。
 皮がパリパリのタイプじゃなく、たっぷりと詰め込まれたカスタードクリームの水気でしなしなになったタイプのものだ。
「皮の歯ごたえを楽しませてくれるものも悪くありませんけど、疲れた体にはやわらかさこそ正義ですからね」
 うむうむ、神妙な顔でうなずいて、エレアノールはシュークリームを口へ運ぶ。
 とろりと舌を押し包むカスタードの濃厚な甘み。皮はふにゃりとしていながらしっかりとした食感と風味を伝えてきて、カスタードにひと味を加えてくれる。
 こんなに手がかかっておいしいものを、子どもが買えるほどの値で売っているなんて……うれしいけど悔しい。
 疲れはどこかへ吹き飛んでいた。
 週末は私もシュークリームを作成して、あの人に食べていただきましょう。お夕飯の準備をすませたらさっそく研究開始です!
 急いで新たなシュークリームを頬張って、エレアノールは丸々とした手を強く握り締める。
 ……ということで、彼女のダイエットは無事お預けとなったのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【エレアノール・プランタジュネ(8802) / 女性 / 23歳 / 元・異世界のプリンセス】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 出逢いは彼女にもたらされし福。
  
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年02月15日

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