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『Bitter・Sour・Sweet 』
ソーニャ・デグチャレフaa4829
「チョコレート、か」
 ソーニャ・デグチャレフは、元カルハリニャタン共和国日本大使館にして現カルハリニャタン共和国亡命政府臨時本部の執務室で独り言ちた。
 応接卓の上にあるのは、60センチで成長を止めた彼女がやすやすと抱えられる大きさのダンボール箱。内には亡命政府領内で暮らす国民すべてに行き渡るだけのチョコレートの材料がある。
 たった、これだけだ。
 我が同胞は、たったこれだけの量でまかなえるほどの数しか残されていないのだ。
 苦い思いを飲み下し、ソーニャは箱から数種類のドライフルーツとビターチョコレートの塊を取り出した。
 ドライフルーツ入りのチョコレートと言えばロシアの定番品だが、共和国でもメジャーな茶菓子として流通していた。これは過去、ソ連の隣国であった共和国が、文化様式においてその影響を色濃く受けていることによる。
 と、彼女の手がひとつの袋を取り上げた。
 干し山査子。さわやかな酸味を持つその味を思い起こし、ソーニャはしばし浸る。
「祭りの日には派手な色味の菓子に目を奪われたものだが……」
 なぜあのとき、干し山査子のチョコレートを食べておかなかったのか。
 この山査子は当然のごとく祖国の産ではない。中国からの輸入品だ。たとえ味は同じでも、けしてあの味わいには届かない。
「詮無いことだがな」
 材料の確認を終えたソーニャは元のとおりに箱の蓋を閉め、ガムテープで封をした。これ以上思い出が漏れ出してこないよう、厳重に。

 バレンタインデー。
 部下と事務官、一部の英雄を動員して完成させたチョコレートが集会場に持ち込んだソーニャは、集まった国民へ言葉をかける。
「異郷で苦難の日々を過ごされる皆々様へせめてもの慰みをと、祖国の味を用意させていただきました。統合軍の武辺どもの手製ではありますが、そもドライフルーツと溶かして固めるばかりのチョコレート、味の保証は彼奴らに負わせて構いますまい」
 覚えのある老人たちは笑い、子どもたちは興味深げにチョコを凝視する。
 ソーニャははたと思い至った。
 共和国のチョコレートは紅茶やウォッカに添えることの多い菓子で、子どもよりも大人の食べ物だ。実際ソーニャも、チョコよりわかりやすい菓子を求めたではないか。子どもにとって、これは馴染みの味わいなどではないのだ。ましてや甘味溢れる日本で育つ彼らにとってはなおさらに。
 国家の先を担うはずの子らにとって、共和国はすでに祖国ですらないのではないのか。
 小官が――軍人が――なにを為すこともなくここにいるがため。
 ソーニャの懊悩を知らず、老人たちは思い出の味を語り合い、子どもたちは珍味を口にした興奮に声をあげる。
 なんとも言えない万感を胸に立つソーニャへ、ひとりの老人が歩み寄ってきた。
「そういえば祖国は……霊廟はどうでした?」
「は。我らが開祖の廟は健在でありました」
 ソーニャは応えながら肚を据えた。
 彼女が先日、開国の英雄カルハリの霊廟を訪れたことはすでに全国民へ知らされている。当然責められるだろう。未だ祖国を奪回できぬ軍人の不甲斐なさを。
「――そうですか。縁に建っておったのがよかったんですなぁ」
 皺に埋もれた両目をすがめ、老人は思いを馳せる。彼は今、在りし日の祖国の情景を思い描いているのだろう。
「おゆるしください。かならずや、小官が」
 老人はかぶりを振り、ソーニャの言葉を止めた。
「どうか無理だけはしないでください。あなたの人生を我々の思い出のためにすり潰すことはないんですよ」
 老人たちがうなずいた。
 彼らの目には達観があった。閑念があった。悲哀があった。そして、慈しみがあった。
 ソーニャの視界が歪む。思わず壁に手をつき、残された左眼を固くつぶる。その耳を、子どもたちの甲高い笑い声が突き刺した。

 小官は責めてすらもらえぬのか。
 すべてをあきらめた先人らと確たる思い出すら持たぬ子らの誰ひとり、祖国の奪還など望んでおらぬと。このまま異郷に間借りした異邦人として潰えてもいいと。ならば小官はいったい……どうすればいいのだ。
 ソーニャの胸中に秘められた祖国の情景が割れ砕け、虚無の底へと落ちていく。まるで愚神に見せられた薄っぺらい幻灯さながら、その欠片はもろく、儚くて。

「あたしチョコ嫌い」
 子どもたちの内では年かさの、今は日本の中学校に通っている女子がぽつり。
「マーチ(お母さん)、いっつも中に山査子入れるの。栄養あるからって。でもあたし、酸っぱいのがやで食べなくて……もう、二度と食べられないけど」
 山査子入りのチョコを飲み下すことができぬまま、彼女は顔を歪めた。涙がこぼれ落ちないよう、必死で。
「子どもにはあまり受けのよくないお菓子だったわねぇ。せめて外のチョコレートに甘みをつければいいのだけれど、ついついマーチに習ったとおり作ってしまうから」
 淡い笑みを湛え、老婦人が女子の背をやさしくなぜた。
 そこから、老人も子どももひとつの輪になって、いろいろな話が行き交った。
 あのときは。
 そういえば。
 昔はね。
 その中で、小さな子どもがうつむいて。
「アチェーツ(お父さん)とマーチにあいたい」
 場の空気が――崩れた。
 重い絶望が溢れだし、人々の心を押しつけて沈めていく。
 ソーニャはあらためて思い知った。誰もが誰かを失った末、ここにいるのだ。
 小官は、いったいなにを迷っていた? 国と民のために命を尽くすが軍人ではないか。
 それに。
 これまでの経験から、ソーニャはひとつの推論を得ていた。
 ドロップゾーンの維持にはライヴスが必要となる。祖国を侵した愚神は今なおドロップゾーンを展開し、居座っているのだ。だとすれば――あの深淵と化した祖国の地には、今なおなんらかの形で踏みしだかれた国民は生かされ続けているのではないか?
 これまで、甘い期待を抱くまいとあえて考えずに来たが……もしかすれば。
 ソーニャは山査子入りのチョコレートを手にした。
 甘みはチョコに混ぜる砂糖ならず、内の果実でまかなうのが祖国流だ。甘みが苦手な彼女でも苦にせず味わえるビタースイートが、酸味と共に口中へ拡がった。
 甘いばかりの夢は見ぬが、しかし。希望を信じることすらも封じては踏み出せぬ。
「その苦渋、その辛酸、すべては小官の責であります」
 ソーニャがその重き体をもって人々の沈黙を押し割り、ただ中に立った。
 驚きの目が、不安な目が、悲哀の目が、やがてひとりですべてを担う顔で語ったソーニャへ憤りとなって殺到し、打ち据える。
 そうだ。そうでなければならない。軍人とは盾だ。軍人とは矛だ。先人に在りし日を、子らに在るべき先を返すため、守るべき国土を、民の意により取り戻す。
 文民よ、貴公が怒りを小官に。
 気づかいも慈しみもいらぬ。
 ふがいなき我が鋼に熱をくれ。
 奥歯の上に残る苦く酸いほろ甘さを噛み締め、ソーニャは敬礼する。
 ああ、ソーニャ・デグチャレフよ。この身を返すべきそなたに、思わぬ禍根を残すことになりそうだ。だからとて詫びはせぬよ。そなたもまた軍人である。ならば先の苦渋はそなたが担え。今の苦渋は、小官が担う。

 後日、亡命政府に国民一同からの要請書が届く。
 そこに記されたものは、速やかなる祖国奪還。
 統合軍大将兼亡命政府代表より話を聞いたソーニャはただうなずいた。
「小官は祖国と婚姻を結びし者。離縁されぬをいいことに夫を放っておくは、妻として面目も立ちますまい」


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ソーニャ・デグチャレフ(aa4829) / 女性 / 13歳 / 鋼の決意】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 鋼熊が意、今こそ熟せり。
 
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2018年02月27日

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