▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『ブリキと葡萄 』
ラクス・コスミオン1963

 からから、からから、かちん。
 おはようございます。
 一日のはじまり。わたしは今日もねじを巻く。

 ゼンマイが動く間がわたしの稼働時間。朝の九時から夜の五時まで。早すぎず遅すぎず、規定通りにきっちりと。
 さあ、今日もお仕事です。


 例えば、お伽噺の魔女。
 例えば、夜の学校の化学室。
 わたしの職場を端的に紹介するなら、そんな比喩になりましょう。
 つまり不気味ということです。
 私自身は不満を持ちませんが、どうやら魂の根っこ辺りが反応する模様。つまり本能というやつで、この辺割とどうしようもねーなと放り投げています。

 まあ、そこはそれ。
 かちんかちんと愉快な音を立てながら、わたしはぎゅうぎゅうの本棚で出来た迷宮を歩くのです。

「あら、おはようございます」
 おはこんばんちは。びしっと敬礼。
 そんなわたしの回答に(ボディランゲージ、肉体言語というやつです。スピーカーはまだ開発中なのです)、マイマスターは嫋やかに微笑むのでありました。
「では本日もよろしくお願いしますね」
 美しい女性の顔に、たわわに実った果実が二つ。色んな意味でミラクルボディーなわたしの雇い主。
 艶めいた長髪は赤紫色で、なるほど『優美な葡萄』なんて二つ名を考えたヤツは洒落てるぜ。思う存分もぎもぎしたいけれど、ブリキの手では情緒もクソもねえ。
「……あの。なんですか、その変な動き」
 おっといけねえ、つい動きに出てしまったぜ。
 もとい、この場所が心地よすぎて、色んな意味でユルくなってしまうわたしなのでした。

 ブリキの身体に鋼のゼンマイ、目は翡翠で心臓はルビー。
 そんなアナクロなロボットさんがわたしです。正確に言えば『   (なんとか)』ホムンクルスらしいけど、正式名称なぞどーでもいいのであります。

「ええと、それでは。この薬を、右から三つ目の瓶に入れてくれますか」
 だってこんなことで驚くなかれ。ご主人様は、わたしなんかよりも数倍ぶっ飛んだお茶目さん。たわわな胸元の下からはライオンの胴体で、背中からは鷲の翼がぶわーっとでっかく生えているのです。
 つまり人間ではなく、いわゆるひとつのスフィンクス。
 そしてにこやかな笑顔で明らかにヤバい色の薬を入った瓶を渡してくる、筋金入りの魔法使いなのでありました。

 そしてその助手がわたしというわけです。
 スフィンクスの魔女にブリキのロボット。
 うむ、ミスマッチ。


 実際の所、わたしがどうしてこうなったのか、詳しいことは覚えていません。
 というより、記憶が抜けているのです。
 いえ、もっと言うのなら『意図的に忘れている』のでしょう。
 記憶に鍵をかけたことなどないとマスターが言うのであれば、自分自身でしまい込んでいると見るのが妥当です。

 ――『   』の解釈は、多分……合ってると思います?

 多分。

 かつてのわたしは人間だったらしいです。
 らしい、と他人事なのは、やはり記憶が曖昧だからです。
 色々あって死にかけていたわたしの魂を、ご主人がサルベージして、それで色々やったらこうなったんだとか。

 色々とは色々です。
 『   』というのがよく分からない魔導書で、どうやっても発音できず認識もできないという限界まで曰く付きの代物で、それによってわたしがこうなったこととか。
 まあ、『色々』としか言えませんよね。
 説明を聞いてもよく理解出来なかったわたしに、元々そういう素養はなかったのでしょう。

 かちり、こちり。
 ブリキの身体は正確に時を刻みます。

「はい、ありがとうございます。少し眠りますので、一時間したら起こしてください」
 言って、ベッドの上にくるりと丸まって横たわるご主人様。その様は猫のよう、というか胴体はまさしくライオンなのでその通り。
 わたしはちょこんとその隣に腰掛け、一時間の間、のんびりと時を待つのです。

 ――見渡す限り、怪しい薬とか、いかにもなフラスコとか、本だとか。
 うむ、いかにも怪しい魔法使いの工房です。

 つまるところ、わたしは元々人間で、ここで改造されてこんな身体になってしまったのでしょう。
 それはもしかすると、とても悲劇のように見えるのかもしれません。

 けれども、わたしはそうは思いません。
「――――」
 音のない静謐な空間。
 仄かな魔法の灯りが、安心したように眠るスフィンクスの女性の顔を照らす。
 そんな不思議な光景を見て、わたしは気持ちだけ(表情機能もまだないので)そっと微笑むのでした。

 つまり、今がとても楽しいのです。
 もしかしたら、昔のわたしはちっとも楽しくなかったのではないかと思うくらいに、清々しく。



 ――何もかも、上手く行かなかった。

 どうしてこのようなことになったのか、もはや定かではない。
 ただ一つ確かなのは、もう生きることが面倒になってしまっただけなのだ。

 この社会(せかい)では、手を動かすのに力がいる。足を動かすのに気力がいる。息をするのにも理由がいる。
 ならば無条件で心臓が動いている道理がない。

 いや。
 いや、いや。
 そんなことはどうでもいいんだ。

 もう疲れた。
 どうしようもなく疲れきってしまったんだ。
 何もかもがどうでもよくて、ここじゃないどこかに行けるならなんでもよかったんだよ。

 だのに。

 ――ちょマジ? 事故? 自殺? とりま撮らなきゃ!
 いたい。いたい。いたい。
 やめて、見ないで。

 ――何考えてんだよクソが! ああもう時間ねえつってんのに道路止めてんじゃねえよ!
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 おこらないで。

 ――あー、ご愁傷様。立派な外車なのに傷ついちゃったねー。
 なんで、どうして、そっちなの。
 おねがいだから、もう追い詰めないで――!

 だれか、だれか。
 もうだれでもいいから、こんなきたないところからつれだしてよう――!

「はい。ええと……ラクスでよろしければ?」
 ばさり、と。
 途切れる寸前。
 大きな翼を持った何者かが、目の前に舞い降りた。

 ――天使かと、思った。

 もう二度と思い出すことのない。
 ラクス・コスミオンというスフィンクスとの生活は、ここから始まった。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

【1963/ラクス・コスミオン/女/240/スフィンクス】
東京怪談ノベル(シングル) -
むらさきぐりこ クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年03月16日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.