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『アネモネ 』
リィェン・ユーaa0208
『君の正義は、安い』
 長い戦いの歌――ソングの通称で呼ばれるアフリカンが、テレサ・バートレットの心に置いていった言葉。
 それは父たるジャスティン・バートレットの掲げる“正義”を自らの意志とし、その胸へ固く結びつけたテレサ・バートレットにとって、まさにハートブレイクショットとなって突き立った。
 もらっただけの正義を無邪気に振りかざすばかりで、結局はなにひとつその手で為すことなどできぬ子ども。自らの有様に打ちひしがれたテレサは今、その胸の奥に空いた深淵へと墜ち、一条の光すら見いだせぬまま、迷い続けている。

 リィェン・ユーは木人椿(主に南派の中国武術で鍛錬に使用する人型の的)に叩きつけた肘をゆっくりと離し、息をついた。
 この木人椿は、2メートルの高さと数十もの“腕”を持つ特注品だ。一応はソングを想定しているわけだが……どれほど功夫を尽くしても、あの体に拳を叩き込める気がしない。もっとも、とても集中できているとは言えない今、届くも届かないもあるまいが。
 リィェンは苛立つ手で無駄に流した汗を払い、荒い息を吹いた。
「テレサ」
 思わず口にしてしまって、びくりとすくむ。その衝撃で我に返り、あらためて思い知った。
 テレサ。俺はきみのことが心配でたまらないんだ。なにも手につかないくらい。でも。
 俺にはきみの元まで飛んでいっていい資格がない。きみの傍らできみを護っていい権利がない。なにもできないまま、ここでうつむいているしか。
 リィェンはもう一度息を吹き、歩き出した。これ以上木人と向き合ったところで、八つ当たりになるだけだ。
 と。
 彼は足を止める。
 壁にかかったカレンダーが示す今日の日付は2月14日。
「バレンタインデー、か」
 閃いた。
 バレンタインデーの発祥はテレサの生国であるイギリスで、男性から女性へ花とカードを贈るのだという。チョコレートを添えるようになったのは1868年と比較的近年のことではあるのだが、形などはどうでもいい。問題はそう、気持ちなのだから。


 テレサに俺の気持ちを贈る。
 その思いつきに急かされるまま街へとやってきたリィェンだが、いざなにを贈るかとなるとなかなかに思いきれない。
 わざと考えずにいたが、そもそもイギリスのバレンタインデーは日本のそれとは異なり、好意を伝える機会ではなく、恋人や夫婦が愛情を確かめ合うための儀式なのだ。
 この想いを告げてすらいない俺が、したり顔でなにを語る?
 きみはいつだって正しい。
 きみが選ぶ道こそが、きみだけの正義に続く。
 心の芯をへし折られたテレサ・バートレットに、耳ざわりのいい甘言を吹き込むのは容易い。もしかすれば、それこそがテレサを闇底から救うきざはしになるのかもしれない。
 それでも。
 俺は――俺だけは、安直な逃げ道をテレサに投げ与えたりしない。あの日、俺を救った彼女の手にかけて、誰が知ることもない俺の拙い恋情にかけて。テレサの有り様をねじ曲げることだけはできない。
 リィェンは心の表面を泡立たせる雑念を追い出すように頭を振り、また歩き出した。
 チョコレートは自分で作るとして、選ぶべきは花とメッセージカードか。カード……メッセージはどうする? いや、なにを書いても押しつけがましくなりそうだ。しかし無言というのも失礼だろうか。
 悩む中で、ふと思い出した。
 そういえば、花にはそれぞれ花言葉ってやつがあるんだったか。アップルロゼ、ナデシコ、ビオラ、マリーゴールド……って、全部食用花だろうが。
 自分にツッコみながら花屋へ着く。餅は餅屋、店員に訊いてみるべきか。と思いかけて、やめた。別に店員を信じないわけではないが、勧められるままに買い求めてしまえば他者の思惑が想いに混ざり込み、濁ってしまいそうで。
 意味があろうとなかろうと、せめて自分が選んだ花をテレサに贈りたい。
 結局のところそれは我儘なのだと知りつつ、リィェンはスマートフォンを取り出し、花屋に並ぶ花を片端から調べ始めた。
 ピンクのガーベラの花言葉は「熱愛」。あからさま過ぎるし、傷心につけ込む浅ましさが見えるようでふさわしくない。
 鈴蘭の花言葉は「清らかな愛情」。いったい俺のなにをもって清らかだと言い張る気だ?
 桔梗は「変わらぬ愛」、花水木は「私の思いを受け止めて」だから、これも却下。苺は「幸福な家庭」!? 先走り過ぎだ。
 時期が時期だけにしかたないのかもしれないが、店先に飾られた花々はどれも恋愛脳仕様で、とても手に取ることはできなかった。
 俺はテレサをどうにかしたいんじゃない。彼女が彼女を取り戻すのを信じて待つと、ただそれだけを――
 そうか。花を見て選ぶから、花言葉に振り回されるんだ。
 俺がテレサに伝えたい言葉はなんだ?
「Wo xiang xin ni」
 かくてリィェンがつぶやいた言葉は、「俺はきみを信じているから」。
 そうだ。俺はきみを信じてる。だから、きみがきみを取り戻すときを信じて、待つ。
「俺はきみを信じて待つ」
 そして。
 彼がようやく選び取った花は、ようやく開花の時期を迎えたばかりの紫のアネモネ。花言葉はそう、「あなたを信じて待つ」。
 アネモネにはどうやら儚い恋といったネガティブなニュアンスもあるらしいが、むしろ今のリィェンにはふさわしい気がした。たとえ俺の想いが儚く散るとしても、きみがきみの思うように咲いてくれるなら、それでいい。

 さて、贈る花はこれでいい。
 あとはこのチョコレートと共に箱詰めして、ロンドン支部へ送るだけだが。
 問題は、この行為自体が告白になってしまうのではないかということだ。
 いずれは告げるつもりだったのだから、それがたまたま今のタイミングになるのは――しかし、この状況を利用するのは誠実さに欠ける――とはいえやはり――
 悩んだ末、リィェンは細筆の先を箱にすべらせ、線を描きだした。AGWの設計図くらいしか描いたことはないが、別に芸術を生みだそうというわけでもない。
 紫で彩色し、完成した絵は、箱の内に収めたものと同じアネモネだ。
 きみが自分の正義を取り戻し、立ちなおることを。
 いつか俺の想いがきみに届くことを。
 このふたつの信じる心を内と外のアネモネに込めて、俺は待つ。


 出張先の日本からロンドン支部に戻ったテレサは、思いがけないプレゼントに目を丸くした。
「リィェン君から?」
 アネモネが描かれた箱から現われた、アネモネ。
「紫のアネモネ――あなたを信じて待つ」
 ああ、心配させてしまったわね。
 テレサは自嘲し、かぶりを振った。今、自分は無邪気に信じていた正義を見失い、無様を晒し続けている。
 取り戻しにいかなければならない。この胸に在ったはずの揺るぎないものを。それはもしかすれば正義ではないのかもしれないけれど……
 目の端にまたたくアフリカンの顔。あたしの欲しい答はあの男の向こうにある。あの、誰にも侵させないって顔で自分だけの義を押し通してみせる不敵の先に。
「リィェン君、ごめんなさい。チョコレートは受け取れない」
 苦さと向き合うのも、甘さに逃げることも、今のあたしにはできないから。
 その場でチョコレートの返送を手配し、テレサはアネモネを右手に、アネモネの箱を左手に持って歩き出す。
 なぜリィェンがふたつのアネモネを贈ってくれたものかは知れないが、待つと伝えてくれた以上、応えたい。
「あなたを待たせるだけの価値があるあたしを取り戻すから――きっと」


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【リィェン・ユー(aa0208) / 男性 / 22歳 / 義の拳客】
【テレサ・バートレット(az0030) / 女性 / 22歳 / ジーニアスヒロイン】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 彼は願い、彼女は踏み出す。先へ、先へ、先へ。
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2018年03月16日

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