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『無彩 』
沙治 栗花落aa5521hero001
 関船(せきふね)の舳先に弾けた波が甲高く悲鳴をあげ、影すら見えぬ何処かで遠雷が不快な鼓動を刻む。
 ああ、五月蠅い。生きてなぞいないくせに、どうしてこうも騒ぎ立てる?
 沙治 栗花落は眉根を強く引き下げ、心を空にするよう努めた。意識するから気に障る。気に障るから耳が痛む。耳が痛むから――意識する。
 栗花落は忌々しい手で耳を塞ぎ、今度は自らの体が立てる音にやられて荒い息を吐いた。
 とどのつまり、なにをどうしようと俺は堂々巡りを重ねるよりないのか。
 そんな彼の絶望は、さらなる騒音にかき乱され、躙られる。
「もっと漕げコラぁ! これじゃ間に合わねーぞぉ!」
 女物の着物をでたらめに縫い合わせ、柄のそろわぬ衣装をこさえて着込んだ少年が声を張り上げた。すると。
 関船の特徴である、船体から左右へ大きく張り出した矢倉の内より櫓を操る、同じような格好をした少年たちが口々に高い声を返す。
 と、矢倉の後方にある指揮所へ駆け寄ってきた少年が、背負っていた何丁もの火筒(鉄砲)を栗花落に示す。
「アニキ、火筒の準備はできてるよ。ただ中の溝が甘ぇから、弾がまっすぐ飛ばねぇかも」
 なるべく静かに話しているつもりなのだろうが、栗花落にとっては耳元で怒鳴られているのと変わらない。
 それでも、この水軍――史書にはただ“海賊”と記されるばかりのものではあれ――の長として、下の者の気づかいに理不尽な怒りをぶつけるわけにはいかない。
 栗花落は歯を食いしばってかぶりを振り、火筒の一丁を少年の背から引き抜いた。
「一丁一丁確かめている猶予はないだろう。これでいい」
 自分の声で揺すぶられる頭蓋を片手で押さえ、栗花落は海原の先へ目を据えた。
 あと半刻もせぬうち、敵の船が見えるだろう。
 もちろん、彼が千里眼など備えていようはずはない。神仏とやらが気まぐれに、生まれも知れぬ餓鬼へ投げ与えたものは千里耳。
 計ったことなどないから、本当に千里内の音を聞きとがめるものかは知れぬ。しかし、この耳は過ぎるほど遠くの音を、まるで眼前で鳴らされたかのごとくに聞きつける。大小の区別なく、細太の差別もなく、音という音すべてを平等にだ。
 五月蠅い。
 どれほど願おうと、音は彼の耳へなだれ込み、頭を――魂をきしませるのだ。


 水軍とはいわば水上戦に特化した傭兵団である。
 点在する島々を拠点とした彼らは、近隣の大名に金で雇われてはその兵站を繋ぐ海路を守り、あるいは敵の海路を奪いにかかる。
 そのような輩の間で、最近噂となりつつある水軍があった。構成員のすべてが子どもという無名の一団は、恐れを知らぬ奮迅をもって戦場を我が物顔で漕ぎ抜けていくのだという。
 先にようやくぽつりと見えた船影をにらみつけ、歴戦の水軍の長たる男は旗艦たる関船の上から檄を飛ばした。
「相手が餓鬼だからって気ぃ抜くんじゃねぇぞ! 鬼牙水軍の名――」
 男の言葉が、頭上を過ぎていった弾の風圧に押されて途切れた。
「――もう撃ってきやがっただと!? まだ見えてもねぇ」
 はず。言い切ることもできぬまま、男は眉間にねじり込まれた弾の尻を寄り目で見やり、崩れ落ちた。

「わめくな、五月蠅い」
 栗花落は西方諸国でリボルビングライフルと呼ばれる火筒を再び構えた。
 輪胴(リボルバータイプの銃に装備された回転式弾倉)に残る弾は四つ。銃のクセは今の二発で大体わかったが、しょせんは刀鍛治が見よう見まねで刻んだものだ。今の調子であと何発撃ち込めるか定かではない。
 むしろ俺があと何発分の音に耐えられるか、だがな。
 耳から滑り込んだ銃声は脳を刺し、激痛でその身を侵す。せめてこのまま終わってくれれば……と、考えて、自嘲した。
 ここは大将首を獲れば終わる陸の戦場ではない。互いに雇われ者、結果を出せぬまま退けば次の仕事にありつけなくなる。となれば当然。
「敵の船が速度上げた!」
 見張り台から少年の声が降り落ちてきたのと同時、当てずっぽうの火筒の弾が次々と、青空に鉛の軌跡を彫り込んでいく。
「向こうの船に大筒は?」
「ねぇな。でも火筒の数が多いよ。近づかれたら危ねぇかも」
 補佐役の少年の言葉に栗花落はため息をついた。
 騒音が近づいてくる。
 それはこちらのあげる騒音と打ち合い、重なり、爆ぜるのだろう。
 まったく、考えただけで気が狂いそうだ。

 果たして敵船来たる。
 栗花落の弾は少なくとも二十を越える敵を撃ち抜いたはずだが、この鉛玉の密度はどうだ。少しでも数を損なったようには思えない。
 ついには鋼で鎧った船首同士をこすり合わせ、至近距離から撃ち合い、互いの船に乗り移っては短刀や手斧を振るって命を損ない合う。
 鋼が鋼を打ち削る音が、誰かの息が、誰かの鼓動が、そして誰かの悲鳴が、渦を巻いて栗花落を打ち据えた。
 ああ、五月蠅い。五月蠅い五月蠅い五月蠅い。
 音に苛まれ、勝手にあふれ出た涙に塞がれた目をそれでもこらし、撃ち続ける栗花落だったが。
「アニキっ」
 補佐役の少年が敵の弾を食らい、もんどり打って倒れ臥した。
 あれほど賑やかだったはずの音が、少年の体から失せていた。
 もうなにも聞こえない。当然だ。
 少年は心臓をぶち抜かれて死んだのだから。
 悲しいとは思わなかった。
 悔しいとも思わなかった。
 静かだ――そう思うばかりで。
 ……俺はなにを考えているんだ! これ以上部下を死なせるわけにはいかない! ええい、わめくな俺! 五月蠅い! 五月蠅い五月蠅い五月蠅い!!
 内に響き渡る思いを振り払うように頭を振り、栗花落はいつにない大声を張り上げた。
「火筒持ちを狙え! 道は俺が拓く!」
 銃身の焼けついた火筒を捨て、少年が置いていった予備の火筒を取る。そこかしこから噴き上がる轟音止まず、目も思考も霞に沈みつつあるが、それでも長としての使命は果たさなければ。
 と。
 ろくに考えていなかったことが幸いしたか、不穏な音の襲来に対して体が勝手に動いた。
 手裏剣が、反らした彼の鼻先を飛び過ぎていく。
「見せぬよう放ったはずだが……耳がいいのか、小僧」
 どこからともなく届く、声音。
「忍か!?」
 水軍と並ぶ戦国の傭兵、忍軍。しかし、諜報と暗殺を稼業とする彼らがまさかこんな場末の海に現われようとは……!
「海で忍を見るは物珍しかろうが、気にするな。我が姿を見せるは刹那なれば」
 背後で「しぃ」と押し詰めた呼気が鳴り、振り向いた栗花落は薄汚れた身なりの男に左右から耳を挟まれ、ぐらりと傾いた。
「……」
 男の声が聞こえない。それどころか戦場の音も波の音も、自らの鼓動すらも。
 耳を打たれて痺れさせられたのだと知るのは後のことだが、ともあれ。
 なにも聞こえない。聞こえない。聞こえない。
 横から蹴り上げられ、背後から斬られ、さらに打ち据えられた。さんざん嬲った後で殺すつもりか、それとも敵の親玉に献上するつもりか。しかし、どうでもいいことだ。

 聞こえない世界とは、これほどに彩づいているものか。

 これまで、音に歪められた世界しか知らずにきた。
 空の青と海の青はまるでちがうのだということも、人の姿形があれほどにさまざまであることも、なにひとつ見えず。
 風を感じ取ることすらも、できていなかった。
 海風を裂き、鋭い圧気が迫る。
 圧を銃口で突き抜き、引き金を絞った。
 吹き飛ばされ、仰向けに倒れた忍を一瞥すらせず、栗花落は震えた。
 ――これが、世界。
 と、音が徐々に戻り来る。
 栗花落は我に返り、火筒を構えなおし、戦場へ踏み込んで行った。
 わずかに垣間見た、音なき世界の影を共連れて。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【沙治 栗花落(aa5521hero001) / 男性 / 18歳 / エージェント】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 彼の者、音なき世界にて見、触り、彩づく。
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2018年03月19日

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