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『そよ風の奏で 』
ルナ・レンフィールドka1565

 カラカラと街道を行く馬車の荷台で、ルナ・レンフィールド(ka1565)はふと風に流される若葉のさざめきを聞いた。春の陽気と依頼後の程よい疲れの中でまどろみの中にいた彼女は、音に意識を揺り起こされる。
 若干寝ぼけた眼で辺りを見渡すと、ちょうど青々とした新芽の生い茂る森へと差し掛かったところ。その青葉のこすれ合う音や、木漏れ日の色にどこか既視感を覚えたルナは、ぼんやりと辺りの景色を見渡していた。
 同僚のハンター達が「どうかしたのか?」と心配そうに声を掛けると、彼女ははにかみながら首を横に振って、それからはっと既視感の正体へと記憶がたどり着く。
「あっ……あの、停めて貰っていいですか?」
 慌てて御者に声を掛け、停止した馬車から飛び降りて森をぐるりと見渡す。
「……間違いない」
 そう呟きながら頷くと、彼女はぺこりと馬車へ頭を下げた。
「すみません。私、寄りたいところがあって……先に行っててもらえませんか?」
 不思議そうに首をかしげるハンター達だったが、目的地である転移門のある大きな街はこの森を抜けてすぐの場所。
 比較的安全も確保されているこの場所でなら――と、馬車も彼女を引き留めずに先を目指る。
 その姿を見送って、ルナはもう一度木々の音に耳を澄ませた。
「懐かしいな――」

 それは今から7年前――彼女が12の年月を数えるころのこと。
 まだルナがハンターとは別の世界で生きていて、そして幼いながらその生き方に迷いを生じていた時。現実から逃げるように駆け出して、たどり着いた湖畔があった。木の根に躓いて転んでも、生い茂る草が足を切っても、道も分からずがむしゃらに走った先に開けたその光景は、こここそが主のおわす天の国であると見まがうほどに美しく、それでいて鬱屈とした森の中に決して埋もれる事無く胸を張るような気高さを纏っていた。
 そこで出会った瑞々しい若木と、湖畔の精霊。彼らは何をしたという訳でもない。それでも――これまでのルナの背を支えて来た大きな存在であった。
 
 ハンターとしての仕事を始めて、だいぶ道のない道を行くのにも慣れた。鋭い輪郭を持つ雑草は上から踏みしめるようにして、来た道に印をつけていくのも忘れずに、幼き日の記憶を頼りに森を進む。
 やがて煌めく碧い反射光が視線の先にちらついて、彼女は歩みの速度を速めた。そして、大きな広葉樹の影から光へ身を乗り出した時――あの日の光景が、目の前いっぱいに広がっていた。
「わぁ……!」
 碧く煌めく湖面が、木漏れ日の光を受けて周囲の木々に宝石をちりばめる。エメラルドの輝きで着飾った草木は、澄んだ春風を受けてさわさわと葉を擦り合わせるようにして歌い、踊っていた。時折鼻先を掠める甘い香りは、どこかに咲く大輪の花の誘い。その姿は見せずとも、その命の息吹だけは確かに感じさせる。
 どこか忘れ去られたような光景の中で、それでも湖畔は堂々と森の中に生きていた。
 ルナはゆったりとした足取りで湖畔を歩むと、変わらない世界に思わず頬が緩む。いや、厳密に言えばそれは嘘になる。仮に自然であろうとも――いや、自然であるからこそ――“変わらないもの”なんてこの世には存在していない。だがそこに流れる時間や空気が、確かな懐かしさを彼女に感じさせる。
 やがて、その歩みは風によって生じた波打ち際の一角へと運ばれる。そこにあったのは、もとは巨大な木根であったと思われる固い植物の筋だった。
「流石に、7年も経てば土に還っちゃうか……」
 僅かに残った痕は、思い出の場所とも言える湖畔の大木。当時も既に朽ちていたそれは、今は文字通り見る影もない様子だった。代わりに腐り根の傍に聳える細い木が、彼女を迎えるように枝葉を揺らす。その音に、ルナは弾かれたように若木を見上げていた。
「これ――もしかして、あの時の?」
 森の他の機に比べればまだまだ小さい若木は、それでもとっくにルナの背丈を越して頭上に小さな木陰を作る。それがあの日に出会った若芽なのだろうか――物言わぬ木は何も答えないが、そうあって欲しいと願う彼女は微笑みながらその幹にそっと手を添えた。

 ――聴かせて。
 
 声が聞こえた気がして、ルナは再び若木を見上げる。一瞬、彼がそう口にした気がして――でも、その声の主を彼女は知っていた。
「そうだね……私達の言葉はこれで十分だもの」
 柔らかい布で大事に包んだリュートを取り出して、携帯用に緩めてあった弦を手際よく張り詰め、そっと爪弾く。
 パンッと弾けた音色に湖面がざぁっとゆらめいて、どこからともなくはしゃぐような笑い声が辺りを包み込んだ。

 リュートの調べを響かせながら、彼女は歌を紡ぐ。
 溢れる音階に込めるのは今までのこと、そしてこれからのこと。
 
 あれから、ハンターとして独り立ちしたんだよ――
 
 新しい友達も、いっぱいできたんだ――
 
 みんなのおかげで、歌……また歌えてる――
 
 それと――
 
 ふとネックを抑える指が弦を押さえ損ねて、素っ頓狂な音が旋律に混ざる。
 彼女は慌てて押さえなおして体裁を整えると、バツが悪いような、もどかしいような表情を浮かべて想いを付け加えた。
 
 ――私、好きな人もできました。
 
「……もう、茶化さないでよっ」
 ちゃぷちゃぷと囃し立てるように波打ち際が音を立てて、ルナは間奏中に思わず声を荒げる。しかし、怒っているというよりは恥ずかしそうに顔を赤らめた彼女は、ちょっとだけ拗ねたように唇の先を尖らせて、それから噴き出したように笑みを湛えた。

 ――大丈夫、私、歌えてるよ。笑えてるよ。だから……これからも見守っていてね。
 
 そよ風にのせて奏でるのは美しい蒼の月を思わせるノクターン。
 サファイヤの輝きが湖面のエメラルドと交互に交じり合って、星空のように瞬いていた。
 
 落日の寒気が風に交じり始めたころ、ルナはリュートを包み込んですくりと若木の根本から立ち上がる。
 そして湖畔を一瞥するように眺めてから小さく頷いた。
「また、来るね。今度は友達も連れて」

 あの時の自分の姿はそこになく、今はもう1人の力で歩いていける。
 あの若木のように暖かい日差しを目指して、胸を張って生きていく。
 また道を見失うことがあるかもしれないけれど、それでも決して迷い込んだりはしない。
 次もまた自分の足で、共に歩んでいきたい人たちと一緒に、この場所を訪れるのだ――と。
 
 
 
 ――了。

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【ka1565/ルナ・レンフィールド/女性/16歳/魔術師】
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2018年03月27日

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