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『或る日々 』
Gacruxka2726

1017年5月X日
 夜、彼女が隔離室にやってきた。挨拶らしい会話はない。やって来るなり、彼女は、俺を優しく膝枕した。
「ここのベッドは硬いでしょう?」
 彼女の指先が俺の髪を優しく撫でた。頭の下に、生命のみなぎる弾力のある脚の感覚がある。確かにここのベッドとは比べ物にならないくらい温かく、心地よかった。
 そして、彼女は俺にあるものを渡した。小型ライトの仕込まれたイヤーカフだった。

1017年5月X日
 この施設には共有室と呼ばれる広間があった。
 昼間の間、比較的自由に過ごせる場所である。
 俺がこの場所に出て、まず驚いたのは、ここに隔離されている人間が想像以上に多かったことだ。
 いまや、俺もその一人だった。
 俺はこの日、ぼんやりと患者たちを観察していた。
 すると、窓際に、車椅子に座って鉄格子の嵌められた窓から空ばかり見ている老人がいることに気付いた。
 微動だにせず、空ばかり見ているのである。
 俺は、その視線の先に何かあるのかと思って、見てみたが、グレーの空があるばかりだった。
 老人は夕方、看護師に連れられて、自室に戻されていた。

1017年6月X日
 賭け事をしているらしい。あるグループの話である。
 四六時中カードゲームばかりをしており、スリルを求めて賭けをしているのだそう。
 最初は、この施設にかろうじて持ち込める嗜好品を賭けていたのであるが、ついに素寒貧になった一人がこんなことを言い出した。
「じゃあ、俺は寿命を賭けるぜ」
「寿命だって? それは一体、お前さんの持ち物と言えるか?」
「そうさ。俺たちが知らずに消費しているモノさ。誰でも持っていて、邪魔にもならない。それでいて、負けが嵩んだら、きっと天使が迎えに来てくれる。素晴らしいじゃないか。俺は寿命を賭けるぜ」
 スリルとは一体なんだろうか。
 自傷。
 その言葉が俺の頭蓋に谺した。
 俺は果たして、賭けられるだけのものを持っているのだろうか。
 いつまでこの生活は続くのだろう。
 俺がぼんやり考えているうちに、寿命を賭けた男は百年分負けていた。けれど、彼の顔は朗らかだった。
「これでお迎えが来る」
 そう言って笑っていた。

1017年7月X日
 俺は、自分の髪が伸びているのを見て、この施設に来てからそれなりの時間が経ったことを思い知った。
 髪を切りたかったので、鋏が欲しいと申請したら、危険物なので却下された。
 今日も今日とて、長くなった前髪を透かして、広間を眺めていた。ふと、共有のテーブルの上に、一冊の詩集が置いてあることに気付いた。
 誰かの忘れ物だろうか。
 その詩集はある自殺した詩人のものだった。
 俺はそれを読んで時間を潰すことにした。
 その詩歌からは血の滲むような、絶望の香りがした。
 白々しい希望に対する反逆。生に対する懐疑。民衆への嫌悪。
 ないまぜの感情が溢れ、止むに止まれずこぼれ出た涙のような言葉たち。
 それらが紙の上で、強烈な刃となり俺の心に突き刺さった。
 俺は、こんなナイフもあるのか、と思った。
 長くなった前髪は、いつの間にか気にならなくなっていた。

1017年7月X日
 退院だという。ある女性患者が、ついにこの施設を出て行くのだ。
 彼女は病衣ではない、自前の服を着て、看護師たちに感謝を述べていた。
 他の患者たちも、彼女の周りで輪になって、退院を祝っていた。
 そのうちの一人が、「また来てね」と言った。
 彼女も、「また辛くなったら来るわ」とこたえ、微かに笑った。
 彼女たちにとって、ホームはどちらだろうか。
 窓の方に目をやると、あの老人は相変わらず空を眺めていた。
 今日も、空には厚い雲が浮かんだグレーだった。

1017年8月X日
 時には庭に出て、運動することが許されたが、積極的に動くものはそういなかった。
 だから、せわしなく庭を駆け回っている彼は嫌でも目についた。
 空っぽの鳥籠を持って、あちこち走り回っているのだ。
 俺は気になったので、何をしているのか尋ねて見た。
「探し物さ」
「何を探しているんです?」
「天使が逃げちゃったのさ!」
 そう言って、彼は空っぽの鳥籠を指差した。
 もし、天使が逃げたのだとしたら、とっくに空の彼方へ飛んで行ってしまいそうだが、彼は執拗に地面ばかり探していた。
「きっと、この辺にいるんだ。大丈夫、羽は毟ってあるから、飛んだり出来ないんだ」
 彼は、部屋に戻されるまで、ずっと天使を探していた。
 羽を毟られた天使は果たして、天使なのだろうか。
 それは、堕天使か、あるいは人間か。

1017年8月X日
 突如として叫び声が聞こえた。夕食の時である。
 その声は、あの鳥籠の青年のものだった。青年は泣きながら繰り返していた。
「いつになったら迎えに来てくれるんだよう」
 後から聞いた話だが、この日は青年の誕生日だったらしい。
 こんな施設でも、誕生日には夕食にデザートが付くのだという。それを見た途端、彼は錯乱状態に陥ってしまったのだ。
 数人の看護師に抱えられ、彼は隔離室に運ばれて行った。
「やだよう。天使、天使を見つけるの、頑張るから、あの部屋にはいきたくないよう。天使が見つかったら、きっと迎えに来てくれるから、おれ頑張るから」
 その言葉には誰も耳を貸さなかった。
 結局、彼は隔離室に閉じ込められてしまった。
 彼の声が聞こえなくなると、あたりは急に静かになった。
 だから、その話声はよく聞こえたのだ。
「誰だって、迎えに来て欲しいさ」
「ああ。だが、問題は迎えに来てくれる人間がいるかということさ」
「いや、人間でなくても構わない。神様、死神、天使。このどれかが迎えに来てくれれば、この施設からは出られるんだ。そのはずなんだ」
 よく見ると、そう言うのはカードゲームで寿命を賭けていた男だった。
 俺には、迎えに来てくれる人間はいるだろうか。
 そんなことを考えたら、彼女の……俺の担当医である女医の顔が浮かんで来た。
 彼女だって施設の中にいる。そんな彼女が施設の中にいる俺を迎えに来るなんて、おかしなことだ。
 そんな考えは、なぜか少しだけ笑えた。

1017年9月X日
 この日は、朝から土砂降りで、陰鬱な日だった。
 患者たちも活気がなく、カードゲームをしている連中すらいなかった。
 白い壁に灰色の影。鉄格子の嵌められた窓。雨の音と匂い。
 けれど、あの老人はいつも通り窓の外を見ていた。
 俺はあの老人が気になったので、近くを通りかかった看護師に彼のことを聞いてみた。
「天使を待ってるんだと」
 ここでもまた天使だった。何かの暗喩かと重ねて聞くと、
「さあね」
 と、看護師も知らない風だった。
 俺はまじまじと老人の方を見ていた。
 老人は相変わらず窓の外を見ている。
 こんな場所へ、何が来ると言うのだろう。
 何が、俺たちを連れ出してくれると言うのだろう。
 そして、俺たちはどこへ行くと言うのだろう。

1017年10月X日
 その日はぶらぶらと施設の中を歩いていた。
 十字路に来たところで俺はなにかとぶつかった。
 それは一人の少女だった。
 少女はすぐに飛び跳ねるように起きて、走り去っていった。
 病衣の袖から覗く包帯が白く鮮やかで、彼女が走っていると、まるで羽を生やしているようだった。
 その後から職員がやって来て、少女を見なかったか、と俺に聞いた。
 どちらに行ったか、と重ねて聞くので俺はでたらめな方向を教えてやった。

──患者の手記より

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【ka2726 / Gacrux / 男 / 23 / 闘狩人】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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こんなところにも、日常はあるものだ。

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2018年04月02日

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