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『【死合】華雪 』
レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001)&狒村 緋十郎aa3678
 街の端から冬の景色を見やるレミア・ヴォルクシュタインは、寒風の手でその金の髪へと押しつけられた雪華を苛立つ指で払い退け、奥歯を噛み締めた。
「いやな雪」
 綺麗を装い降り落ちては、知らぬうちに高く積もりゆく。
 あのときもそうだった。ロシアの田舎町に降ったあの“雪”は、彼女と二世を契ったはずの夫、狒村 緋十郎の心に降り積もり、降り積もり、降り積もり。
「いやな雪」
 繰り返したレミアは踵を返す。
 石畳に刻む足音は怒気を映して高く、やがて少しずつ、その高さを失っていった。
 妻が夫の不貞に憤るは必然。しかしそれはあくまでも結果を見れば、ということだ。そう、彼女が見たものは結果ばかりではない。
 懊悩が緋十郎の直ぐなる魂をもねじ曲げ、それすらも封じて操を守らんとした彼がついに壊れるまでの過程を。その果て、自らを壊した“雪”の行方を狂おしく追い求める無様を。レミアと“雪”との狭間で自らを苛み、焦し続ける哀切を。
 だから。
 あのレガトゥス級との戦いで雷神の撃ち下ろした一閃に巻かれたとき――焼き尽くされんとした緋十郎の魂に牙を突き立てた。
 これで猿はわたしだけのもの。
 しかし幸いは長く続かない。緋十郎と心を通わせたエージェントたちの決死により、レミアは緋十郎から引き剥がされることとなったから。
 クズのくせにやけに人好きのする男なのだ、緋十郎は。
 胸の内で唱えてみて、ふと引っかかる。
 どうしてわたしは緋十郎の求婚、受け入れたんだっけ?
 ああ、考えてみるまでもない。彼を友と呼ぶ多くの者たち同様、惹かれてしまったのだ、考えなしで身勝手な脳筋猿の、それゆえの愚直さ――一途な愛の輝きに。
 だから、欲しかった。
 緋十郎の無二の愛を、この手に。
 だからこそ、無価値なのだ。
 この手からこぼれ落ちた、無二ならぬ緋十郎の愛は。
 それでも欲しいのだ。
 きっと今のレミアには正体の知れぬ緋十郎のなにかが。
 このままなにも言わずにいれば、緋十郎の殻を手元に置いておくことはできるのだろう。なにも見えぬふりをしてさえいれば、いつか緋十郎の心を取り戻せるのかもしれない。
 しかし。
 それはレミアが欲しくてたまらない、今このときの緋十郎ではありえないのだから。
 そんな猿はいらない。取り戻す。わたしを愛する猿じゃなくて、わたしが愛した猿を。
「雪がまた降りだす前に――」


 雪すらも降らぬ厳冬のシベリア。
 澄んだ夜空にはほの赤く彩づいた円月が浮かび、世界を寂紅で染め上げていた。
「俺とレミアが初めて逢った夜を思い出すな」
 バイカル湖の凍てついた湖面に立ち、ほろりとつぶやく緋十郎。
 その笑みに差す影は夜闇の……レミアは苦笑し、かぶりを振った。それだけではありえないと誰よりも知っている。ごまかさないって決めたのはわたしでしょう? 言わなくちゃ。言わなくちゃいけないことを、ここで。
「思い出すのは、ここで初めて逢った雪娘のこと――でしょ?」
 そう。緋十郎は月ならぬ日に照らされたこの場所で、雪娘と出逢った。
 緋十郎の顔が辛苦を映して歪む。我慢は得意なくせに隠し事は苦手。そのことも、レミアは誰より知っている。
「レミア、俺は」
「剣を取りなさい。わたしは」
 ぞろり。レミアが抜き放ったのは、“闇夜の血華”の銘を与えた魔剣「ダーインスレイヴ」。熱した鋼を水ならぬ血で冷やしてその怨嗟を焼きつけた、彼女の愛剣にして象徴であった。
「“わたし”で相手をするから」
 おう。“血華”に斬り割られた夜気が低く唸り、緋十郎の鼻先をかすめていった。
 彼は悟る。
 レミアがレミアの象徴たる“血華”をもって誘うは、緋十郎が背へくくりつけてきたベンティスカソード“雪姫”なのだと。
「抜かないの? 抜かないまま死ぬ気? 緋十郎ってその程度?」
 ああ、レミアが俺を責めている。
 当然だ。俺はこの命尽きようともその足元へ這い、愛を乞うと誓った妻の向こうに別の女を――“雪”を見ている。
 俺は裏切った。レミアを、自分を、友を。仇敵であるはずの愚神に惑い、胸を塞ぐ想いに突き上げられるまま、未練がましくその姿を求め……
 この首ひとつで咎を贖えるなどと思い上がりはしないが、せめてレミアの刃に断たれて獄へ墜ちよう。
 首を伸べて跪く緋十郎。その肩に“血華”が降り落ち、そして。
“雪姫”を繋いでいたくくり紐を斬り落とし、さらにそのうつむけられた額をブーツのつま先で蹴り上げ、ヒールを突きつけて躙る。
「楽になんてさせてあげない。だってそうでしょ? 緋十郎にそんな資格も権利もないものねぇ?」
 ない。俺にはレミアへすがっていい資格も権利もありはしない。
「緋十郎の剣を取るの」
 おそろしく静やかな声音で再び命じられた緋十郎は、背後に落ちた“雪姫”を後ろ手に握り、刃鞘を外す。
「立って、構えて」
 両手で柄を握り、構えれば、刃渡りだけで自らの背丈を越える直刃がその雪白をもって闇を押し退ける。
 ぞろり。指へ絡み、腕へまとわり、肩を踏んで、首筋をなであげる甘美。緋十郎は戦き震え、悦び震えた。
 俺はなんと浅ましい……己の劣情を打ち込んだばかりの刃に“雪”を幻(み)て、昂ぶるとは。
 その苦悩すらも見透かすように目をすがめ、レミアが言葉を継いだ。
「あとは全力で殺しに来て。――こういうの、死合っていうんだったわね。じゃあ、恨みっこなしで死合いましょうか」
 贖うことすら赦さぬまま、レミアは“血華”を右手で高く振りかざす。
「……!」
 贖うことすら赦されぬまま、緋十郎は“雪姫”の柄を両手で抱え込むように構えた。自らではなく、剣を守るかのごとく。
「それが緋十郎の、心」
 うそぶいたレミアの顔は、“血華”の腹の奥に隠されて見えなかった。
 かくて突き立てられた紅刃から大きく跳び退いた緋十郎は、迷いを映した切っ先をレミアへと向ける。

「しぃっ!」
 噛み締めた歯の間より絞り出される裂帛。
 レミアの“血華”が斬り下ろされ、斬り上げられ、強引に薙がれ、突き込まれた。
 流派などない。無手勝流と呼べる技すらもない。しかし、迅い。重い大剣が風に巻かれた花弁さながら舞う。
 その乱舞を“雪姫”の鍔元で止め、あるいはその肩で逸らしながら、緋十郎は息をついた。
 美しい。
 バイカル湖は、湖底から噴き上がった気泡の姿をそのままに凍りつかせていた。その無数の跡は、緋十郎の目には節くれ立った木の幹と映る。そして。
 闇を裂く“血華”の紅は、まさにその先でほころぶ花のごとく鮮やかで、艶やかで。
 できうることならば、その美しい紅に魅入らせたまま逝かせてくれ。俺はこの手の蒼を、そしておまえを傷つけたくないから。
 余りに身勝手な願いを込めて、緋十郎は“雪姫”を突き出した。レミアなら容易くよけてくれるだろう、気の入らぬ突撃を。
 なのに。
 レミアは動きを止め、迫る切っ先を見つめていた。静やかな顔で、自らの喉へ誘い込むように顎をもたげて――
「あああああああ!!」
 緋十郎は吠えながら膂力の限りを振り絞り、無理矢理に軌道をねじ曲げる。一ミリ二ミリ、だめだ、まだ足りない!
「うおおっ!!」
 額を“雪姫”の鍔へ打ちつける勢いで上体をひねり倒し、切っ先を斜めに跳ね上げた。果たして……手応えは、ない。
「楽になんかさせてあげない。そう言ったはずよね? それでも緋十郎が逃げるなら、わたしは勝手にわたしの幕を引くわ」
「だめだ――そんな――すべては俺の――」
 膝をつき、激しくかぶりを振る緋十郎を見下ろして。
 レミアはやさしくささやいた。
「緋十郎のことは全部知ってる。でもこれだけは、緋十郎が自分で示さなきゃ」
 限りない悔いと、それを塗り潰す下卑た決意と覚悟の程を。
「っ」
 レミア。緋十郎の全身から緋の獣毛が伸び出す。
「っおお」
 レミア! 緋毛の下で筋肉が隆起し、その体をふたまわりも膨れ上がらせる。
「おおおおおおおおお」
 レミア!! 伸び出した犬歯を剥きだし、緋十郎が夜闇に自らの本性を晒す。
「俺は、俺に差し出せる限りの心をもって応える。俺のすべてを知ってくれていたレミア、おまえの心に」
 ええ、それでいい。
 それでなければだめ。
 緋十郎のすべてを「知っていた」わたしに、今緋十郎が知りたいあの娘への思いを全部見せて。
 そうしてくれたら、わたしは――
 レミアは“血華”の柄を両手で握り込んだ。華麗な剣舞ではなく、必殺の一閃を繰り出し続けるがために。
「緋十郎っ!」
 紅刃が緋十郎の肩口へと降り落ちた。
「レミア!!」
 弾むように跳び退いて刃をかわした緋十郎は、氷に爪を食い込ませて急停止。再び前へ跳び込んで“雪姫”を薙ぐ。
 この一撃を湖面へ突き立てた“血華”で受け止めたレミアは右足を伸ばし、緋十郎の鼻面を蹴りつけた。
 剣を止められたとしても体当たりでレミアを組み敷く……目論見を文字通りに一蹴された緋十郎は、飛ばされるままに任せて湖面を転がり、レミアから十分な距離を取って立ち上がった――つもりだった。
「逃さない」
 蹴り足をそのまま踏み下ろし、軸足へと換えて駆けたレミアが、緋十郎の眼前にいた。
 いや、まだだ。互いに大剣。この詰まりきった間合では存分に振るえまい。次の一撃は体術にならざるをえない。ならば、それを耐え抜けば。
「顔に書いてあるわよ猿。ひっぱたいてくださいって!」
 ただし襲い来たものは平手ならず、柄頭であった。片手ひとつで大剣を振り回すことのできるレミアだからこその兵法だ。
「っ!」
 とっさに首をすくめて額で受けた緋十郎だが、視界がぶるりと撓み、レミアの姿が歪む。
「目を閉じるのはまだ早いわよ?」
 轟。緋十郎を押し包んでいた寒気が逆巻いた。息苦しい。まわりから空気を持って行かれた。レミアが振り上げた“血華”に全部。
「ああっ!」
 本能が叫ぶまま横へ、体を縮こめて転げ回る。その後を追い、ざんざんざん、硬い死が食み損なった命の代わり、湖面を抉って氷片をばらまいた。
 分厚い獣毛はおろか強靱な皮すらも突き通す尖った氷片。緋十郎の内から血が、熱が、ほろほろこぼれ落ちていく。
 当然だ。真祖の王女たるレミアに、俺などが及ぶはずもない。
 それでも懸命に体勢を立てなおし、“雪姫”を振るう。あえての大振りで刃を呼び込んで。
「っ?」
 その肩に食い込んだ“血華”を、全力を注ぎ込んだ筋肉でくわえ込み、止めた。
 ここだ。ただ一度の機を生かす――
「脳筋猿が片手でどうするの?」
“雪姫”を振り込むどころか振り上げる間すらもらえぬまま、緋十郎はレミアの爪に胸元を斬り下ろされ、体をくの字に曲げた。
「ぐ、あっ」
 呻きながら、緋十郎は“雪姫”を振り回し、その軌道に残る氷片を隠れ蓑にして間合を取る。レミアの飛ばした欠片に比べて、なんと小さく弱々しい――まるで俺の心そのものじゃないか。
「後生大事に抱え込んだ“雪”が猿の血で汚れていく。滑稽ね?」
 レミアの蹴り込んだつま先が緋十郎の鳩尾を突き上げ、体を開かせた、次の瞬間。
 ぞぶり。“血華”の切っ先が彼の腹を食い破り、突き通し、湖面に縫いつけた。
「……、……っ」
 息ができない。横隔膜を下から剣の腹が押さえているのだ。
 致命傷を与えず、尽きぬ苦痛を与える。実にレミアらしいやりかただった。
「窒息するまであと何秒? 数えてあげるつもりはないけど」
 緋十郎は痺れる頭で必死に考える。結局俺は、なにも差し出せないまま死ぬだけなのか。
 と。闇に飲まれ、速度を失いゆく緋十郎の思考を追い越して、レミアの声音が彼の心へと突き立った。
「ここで死ぬのね。もう一度雪娘に逢う――その願いを置き去りにして」
 俺は。
 俺は俺は。
 俺は俺は俺は。
「俺は……!」
 “血華”の剣身をつかみ、緋十郎が体を起こした。腹の内を過ぎていく刃のあたたかさにすがり、じりじりと上へ。
「生きて、逢いたい」
“血華”の鍔を手がかりに体を固定し、狂おしい想いを握り込んだ右手で“雪姫”を振りかざす。
「このどうにもならない無様を晒す俺を投げ打って、詫びたい。尽くしたい。あの“雪”に」
 振り上げた手ごと“雪姫”が落ちて、パキン。
「……わたしは盾になり、剣になるわ。緋十郎がいちばん大切なものをいっしょに護ってあげる」
 しかたないわね。だってそれができるのは、わたししかいないんだもの。緋十郎を誰よりも知ってて、誰よりも愛したわたしだけなんだから。
 レミアは左手で受け止めた“雪姫”の刃を握り締めた。
 ひとすじの血が、刻まれた傷口からこぼれる。
 それは先に割れ落ちた指輪――婚礼の際、緋十郎から贈られた証を追って、ぽつり。恋情の清濁を映す赤黒を、限りなく深き紅で染め換えた。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【レミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001) / 女性 / 13歳 / 血華の吸血姫】
【狒村 緋十郎(aa3678) / 男性 / 37歳 / 緋色の猿王】
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2018年04月11日

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