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『いつかのドッグデイ 』
海原・みなも1252

 ざざん、ざざん。
 遠く、遠く。遠い意識の、さらにはるか向こうから。

 ざざん、ざざん。
 波の音が聞こえる。
 いつもの夢。いつもの幻視。その様相をくるくる変える心象世界。
 ああ、今宵(ここ)は白い砂浜だ。
 穏やかに打ち寄せる波に乗って、いくつもも何かがが流れ着く。それはきっと、海原みなも(あたし)ではない海原みなも(あたし)の欠片だ。
 鑑賞はできても干渉はできない、遥かに遠い、同じあたしの残滓たち。

 その事実を、あたしはこの夢でのみ認識している。あるいはこれもこの夢だけの特性なのか。そんなことはわかりようがなくて、そしてどうでもよかった。
 ざざん。
 足元に漂着したボトルメッセージを拾い上げる。夢のあたしは躊躇わず、そのレトロな代物を開封した。

 今日の夢(あたし)はなんだろう。
 期待半分、不安半分。
 潮の香りの錯覚と共に、脳裏に染み込むその光景を受け入れる。


 暑い、暑い日だった。

 蝉の声、そよぐ風、風鈴の音。
 透き通るような青空。照りつける太陽と、青く輝く庭の木々。

 目を覆いたくなるような夏の一日。
 付けっぱなしのラジオからは、今日も『最高気温を更新しました』とノイズ混じりの声がする。
 毎年そんな台詞を聞いている気がして、だとすれば十年、いや五年後の地球はどうなっているのだろうと首を傾げる。
 そして「まあいいや」とその先を追い払う。どうせ自分には関係のないことなのだから、考えるだけ無駄なのだ。

 さしあたって重要なのは、こんな気温の真っ昼間に、外に出るのも辛いということ。
「ごめんね。お散歩はもうちょっと待ってねえ」
 ゆらゆら揺れる安楽椅子。その隣で律儀に控える、どこか青みがかった不思議な毛並み。
 借りてきたばかりだというのに、まるで長年の連れ添いのように物わかりがいい。
 そんな子犬を、この炎天下に連れ出すのは忍びないということだった。


『不思議なペット、お貸しします』
 そんな文句につい惹かれ、あの店の扉を潜ったのが一月前。
 本当に『つい』としか言い様がない。魔が差した、というべきか。
 ただ、窓の中、ちょこんと座っている子犬があまりにも可愛らしくて。気がついたら、この子を借り受けてしまっていた。

 あの時のことは、あまり鮮明に思い出せない。
 物忘れなど最近はしょっちゅうだが、あの時のことはそれとも感覚が違う気がする。
 ……まあ、だからといってどうということもないのだけれど。
 詐欺かと思ったが、むしろ値段は良心的。
 この夏いっぱいという制限はあるものの、この子は驚くほど従順で、かつ傍にいてくれると不思議と落ち着く存在だった。

「そうそう、どこまで話したかしらね。あの人のこと」
 懐かしい、今は遠い思い出話を語って聞かせる。
 そんな意味のないことを、この子は大人しく聞いてくれる。
 たったそれだけのことで、なんだかとても満たされた気分になるのだった。

 尽きない思い出を思い返すうちに、やがて日が傾く。外に出ても大丈夫だろう。
「あら、もうこんな時間。それじゃ、お散歩行きましょうか」
 不思議な意匠が施された首輪とリードを引いて、この子と一緒に散歩に出かける。
 飽きるほど生きたこの街なのに、たったそれだけでとても新鮮な気持ちになれるのだった。


 ――目が覚めた。
 不思議な夢を見ていた気がします。

 いつの間にか夏休みも最終日。
 いまいち記憶が薄いけれど、宿題は無事に済ませたので心配はありません。
 だから今日は散歩をすることに決めました。
 いつもそうしていたように――あれ、いつもっていつでしたっけ?

 奇妙な感覚を覚えつつも、しかしよくあることなので気にしません。
 することが思いつかなかったので、悠々と生まれ育った街を歩きます。
 気の赴くままに歩き回り、知らない/見慣れた住宅街へ。
 近くにありながらも足を踏み入れたことのない/この一月飽きるほど歩いた、新鮮な/見飽きた町並み。
 まるで異世界のようで、ちょっとだけ心が躍ります。

「……あれ」
 ふと、足を止めました。
 そのうちのある一軒家に、鯨幕がかかっていたのです。筆で書かれた字で、お葬式を執り行うのだと。
 お名前は全く知らない/見知ったもので、無関係ながらも悪い気がして/やっぱりと落胆しながら、あたしはそそくさとその場を後にしました。

 ……さようなら、おばあさん。
 お名前からそうだと思って/寂しげに笑うその姿を思い出しながら、あたしは街を歩きます。


 ……このあたしは犬に変身して、ペットとしてレンタルされるアルバイトをしていたようです。
 自覚がなさそうなので、おそらくは騙されたり、うまく言いくるめられたりしていたのでしょう。
 大きな被害を被っていないのが幸いなのでしょうか。
 いえ、おそらくは人助けでしょうし、アルバイト代ももらっていたので、結果オーライの部類なのでしょう。

 とはいえ、事情が分からないというのもちょっと恐ろしいところではありますが。
 ボトルのメッセージはこれで終わり。
 夢も終わり。
 あたしの意識が覚醒します――。


「……あれ?」
 あたしが目を覚ますと、机の上には見慣れない茶封筒がありました。
「……ええ!?」
 開いてみると、そこには数枚の綺麗なお札。中学生にとっては大金です。
「ど、どういうことなんでしょう……」
 まったく身に覚えがないので不安になるも、封筒の中には一枚の紙が。

 ――給与明細。

「……?」
 この夏休み、あたしはアルバイトをしていたのでしょうか?

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【1252/海原・みなも/女/13/女学生】
東京怪談ノベル(シングル) -
むらさきぐりこ クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年04月09日

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