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『ムーンライト 』
クローディオ・シャールka0030

 闇が足元に食らいついて離さなかった。研いだ刃のように鋭い牙が脹脛の肉を抉って、万力のような顎の力でギリギリと締めあげる。
 痛みはない。まるで足なんてとっくに腐り落ちてしまったかのように感覚がない。
 ぬらりと赤い液体で濡れる口元の、その先に光る同じ色の輝き。獲物を決して逃がしはしない――口がきけなくてもその意思だけはひしひしと伝わってきた。
 私はそれに抵抗するでもなくただただ冷え切った眼でそれを見下ろして、闇が己を飲み込む瞬間をただ待ち続けていた。
 やがて大きく開かれた漆黒のアギトが世界を包み込んで――そこでふと、目が覚めた。
 
 いつもと変わらないベッドの上だった。
 窓から差し込む月明かりが部屋をぼんやりと照らし出すその中で、どこか気だるげな身体をゆっくりと起こす。触りの良い肌着の上からシーツがはらりと滑り落ちて、膝の上でゆるやかな皺を作った。
――夢を見ていたような気がする。
 内容はよく思い出せない。底なし沼へ沈んでいくような、そんな気分だけがじんわりと頭の片隅に残っている。まとわりついた闇は色という色を奪い去って、自らもその一部としてしまう。それに比べたら、月明かりはどれだけ明るく世界を照らしているのだろうかと……はっきりと目に飛び込むシーツや家具、そして自分の姿を見下ろして、小さな溜息が零れた。

 月明かりが照らす世界はモノクロだ。
 色を生み出すのは光である――と、リアルブルーの書物で目にしたことがある。物体に色がついているのではなく、光の中にある色が表面で反射して、それが目に届くことで色を認識しているらしい。
 光――つまるところ、太陽のおかげで世の中は色に満ち溢れているということ。
 それに引き換え、月の輝きには色が乏しい。それは月自体が太陽の光を受けて輝いて見えるためで、照り返した光はすでに色を失っている。
 決して太陽にはかなわない――それは今まさに広がっているモノクロの世界を前にして自明の理だ。

――そんな私が太陽を見つけた。
 それは世界をモノクロの月明かりから極彩の陽光へ切り替えるに足る、人生の夜明けだった。
 必要の無い人間だと思って生きて来た。私は、シャール家にとって要らない人間なのだと――そう信じて疑わなかった。だが彼は、太陽は、私が“クローディオ”であることを良しとしてくれた。私は私であって良いと、それを教えてくれたのは彼の存在だった。
 彼はまさしく太陽だ。彼の中で、世界は彼のためにある。冷静に考えれはそんなことはあるわけがないのだが、そうであると思わせる何かが――いや、そうあって欲しいと思わせる何かが彼にはあった。
 それは私が決して持ちえない、太陽の輝きだった。
 彼が太陽なら私は月だ。彼の傍にいることで、私は私でいることができた。“黒の隊”という、今の私のありかたが認められた居場所も得た。
 だがそれもひとえに、太陽の光を受けて自分を肯定することができたからだ。

 ある日、過ぎゆく日々の中で太陽がこう口にした。
「人の営みには月も必要だ」
 太陽は世界を照らさなければならない。だからこそ、時に目が届かない瞬間――夜が訪れる。しかし夜には月がいる。闇の番人にして、自分なりの光で世界を照らす者。
 月がいるからこそ太陽は世界を照らし続けることができる。安心して輝き続けることができる。
 太陽がいるから私が月なのではない。月は月として存在してよいのだ――と。
 その時から私は、自分で自分の存在を肯定できるようになったのだと思う。

 ぼんやりと眺めている内に、差し込む月明かりは私を照らすように動いていた。足元を覆うシーツの中から抜け出して立ち上がると、ゆったりとした足取りで窓辺へと歩み寄る。そして、僅かに煩わしいていどのまぶしさを感じながら丸い輝きを見上げた。
 この光に照らし出された私は何色をしているのだろう。ふと思い至ったが見える範囲に鏡はなく、かと言ってわざわざ探しに行くのも億劫で、疑問は疑問のままに胸の中にしまっておくことにする。
 不意にぶるりと肩が震えて思わずその身をそっと抱く。春先とはいえ、まだ夜は冷え込むもの。名残惜しんで空を見上げてから、私はベッドへと引き返した。皺になったシーツを丁寧に伸ばしてから、するりと足先から中へと潜り込む。ほんのりと中に残った温もりが冷え始めた身体を優しく包み込んでくれた。
 
 程よい疲労感と共に、意識は深い海の底へと沈んでいく。
 足元から徐々に満ちる潮は、踝から脹脛、膝、太もも、そして腰の方へと包み込んだ。やがてとっぷりと頭のてっぺんまで世界が満たされていくと――再び、ヤツがその姿を現した。
 鋭い牙に、ぎらついた赤い目玉を持った黒き妖犬。
――あれは私だ。
 どろどろに溶け込んだ意識の中で、それだけがハッキリと認識できた。
 黒妖犬は濡れたアギトで私の足元へと食らいつく。私はそれを、抵抗するでもなくただ見つめている。
 肉が裂け、骨を砕かれ、咀嚼、咀嚼、糧となる。私が私の命を喰らっている。自分の為すことだ。疑いも反抗もしようがない。だからこそ痛みはない。心は怖いくらいに冷酷だ。
 一方で、背中が燃えるように熱かった。否――暗く深い海の底で、私の背中は燃えていた。冷え切った眼で喰らいつく“私”を見つめる一方で、赤い瞳が“私”の背中の炎を捉える。自分は今、魂を貪る獣を見ているのか、それとも命の炎を眺めているのか。どちらとも断定できない混濁とした意識の中で、一筋の光が海面から差し込んでいた。
 光の帯が頭上から降り注ぎ、覚醒への道を示す。“私”はどちらともなくそれを見上げて、おぼろげな輪郭の丸い光源をかざした手のひら、指の間に透かし見る。そして手繰り寄せるように拳を握り締めると、途端に身体がふわりと軽くなった。
 水泡を横目に、身体はどんどん浮き上がる。まるで光に引き寄せられるように。それでいて自らの意思で伸びあがるように。
 赤い瞳は、深い海の底に取り残されてどんどん遠のいていく。あの“私”に水面を目指す意思はなかった。その行為を哀れであると感じはしない。あの光無き世界が彼にとっての全てであり、それ以外の世界を知らなかった――ただそれだけのことなのだ。
 私は私の意思で私の所在を決める。夜を照らす月明かりのように、朧気ながらもその存在を認めるために。“私”が“私”の存在を認めるために。

 燃える背中はいつしか、光の翼を抱いていた。
 
 
 
――了。
 
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【ka0030/クローディオ・シャール/男性/29歳/聖導士】
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2018年04月16日

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