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『夜の小話 』
天狼心羽紗音流aa3140hero001)&レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001
 東京湾に浮かぶ巨大人工島メガフロート。
 H.O.P.E.東京海上支部各部門ばかりでなく、商業エリアやビジネスエリアといった一般人向けに解放された区域を多数含む。それゆえ、この島から一歩も出ずに暮らしている者も少なくはない。
「って言われても」
 レミア・ヴォルクシュタインは支部の正面入口を振り返り、重いため息をついた。
 赤らんだ日はすでに半ば以上、水平線の向こうへ沈み込んでいる。逢魔が時と言えば、人外にとっては最高に盛り上がる頃合だ。1000年を生きる中で達観してしまった真祖の王女レミアですら、少し心が浮き立つ――のだが。
「はしゃいでなんかられないわよね」
 思わず口について出た言葉は懸念である。
 夜闇に紛れて潜む者、夜闇を利して迫る者、夜闇に乗じて襲う者。
 闇は情愛や安らぎを守護するばかりでなく、害意や憎悪をもその帳にかくまい、包み隠す。差別も区別もしない姿勢には頭が下がるばかりだが、レミアにとってはその完全平等が腹立たしい。
「まったく」
 言葉を重ねようとしたそのとき、後ろから陽気な声が飛び込んできた。
「レミアちゃ〜ん! おひとり様とかめずらしくな〜い?」
 振り返れば、右眼を眼帯で塞いだ派手な和装の中年男子、天狼心羽紗音流が思いっきりの笑顔で手を振っていた。
「……サネルももう少し落ち着いたら?」
 げんなりと言うレミアへかろやかな足取りで近づいた紗音流は笑顔を崩さず。
「いい歳だからさあ、皺とか寄せてたらすーぐ老け込んじゃうっしょ! 生きてる間は気も手も抜かねえわけさ」
 へらへら返し、レミアに並んだ。
「で、どうしたのよ? メシとかお茶とか行っちゃう?」
 けしてレミアの契約主の名前を出さないあたり、なにも考えずに言葉を重ねているように見えて、その実礼儀正しい男である。
 気を遣われるくらい、わたしとあの男はいつもいっしょだったってことなんだけど。
 レミアは大げさに肩をすくめてみせ、あえて紗音流が避けた話を口にした。
「そうね、息抜きに行こうかなって思ってたのよ。ここのところずっとあの猿と共鳴して雪娘の護衛、してたから。上からのお達しで強制休暇押しつけられたのよ。もっとも猿は未練がましく雪娘のそばに貼りついてるみたいだけど」
「あら! そりゃ退屈だったろ〜? 気分転換にデートしよデートーっ! ワシがばっちりエスコートしちゃうからさあ!」
 まとわりついてくる紗音流にレミアは苦笑し。
「サネルは相変わらずね」
 変わりゆく時の中、変わらないものがある。
 そのことが少しうれしくて。
「どこ行きたい!? 遊園地とか――あ、ガキじゃねえってな! メンゴっ!」
 それ以上にうざい……。
 でも。
「遊園地はあれだけど、エスコートしてくれるんでしょ? 任せるわ」
 紗音流はぱあっと笑みを輝かせ、サムズアップ。
「大人モード了解! せっかくだからオシャレしてきてな! レミアちゃんっていっつもドレスだけど、黒ばっかじゃなくてたまには青とか緑とか、ね? ドアトゥドアで完璧におもてなしちゃうよ〜!」


 黒塗りのリムジンから小千谷縮を小粋に着流した紗音流が降りたって、奥に座していたレミアに手を伸べた。
「ありがとう」
 こちらはいつもどおりの黒いドレスに黒い外套をまとっての登場である。
「結局いつもどおりかあ」
「黒じゃなきゃわたしらしくないもの。ご希望に添えなくて申し訳ないけど」
 すまして答えるレミアに紗音流は破顔し、ゆるく締めた鎌の絵・輪・ぬの字を並べて染め上げた帯を叩く。
「鎌輪ぬ鎌輪ぬってね」
 ちなみにこの帯、江戸の歌舞伎役者、七代目市川団十郎が好んでつけたという「かまわぬ柄」である。このあたりの遊び心、実に粋人らしい。
「で、どこに連れていってくれるわけ?」
「大人の社交場! っても堅っ苦しいとこじゃねーけど」
 商業エリアの一角に建つ高層ホテルをエレベーターで一気に駆け上がり、着いた先は最上階のラウンジである。
 古式ゆかしくオールバックに礼服で固めたボーイに案内され、窓際のソファ席へ。互いに向き合って座した。
「充分堅苦しい感じだけど?」
「気負っちまわなきゃどこだっていっしょよお。で、夜景なんか真祖のプリンセスにゃめずらしくもなんともないだろうけどさ。気はココロってことで」
 レミアの許可をもらってから、紗音流は羅宇の長い助六煙管に刻みを詰めて火を点けた。
 細い紫煙がジャズピアノの音符に吹かれ、ゆるやかにかき消えていく。
「高い場所から見下ろす夜景なんてめずらしくはないけれど、ね」
 レミアは膝を組み、ソファへ行儀悪く背を投げた。あえて礼儀を守らない姿勢には、エスコート役の紗音流へリラックスするつもりであると伝える意がある。
 察した紗音流はかるく手を挙げてボーイを呼び。
「ワシはアルゴンキン。こちらのプリンセスにはサンドリヨン」
 アルゴンキンはウイスキーベースのカクテルで、サンドリヨンはノンアルコールカクテル。ただ、どちらもパイナップルジュースを使っている。
 なんたってデートだしね。おそろい感大事よな。やべえ、ワシかなりガチでエスコートしちゃってる?
 やくたいもないことを考えながらも、無言。
 なにがあったものかは知れないが、レミアの話を聞くつもりで来た。余計なことを言わずに待つのがいい男というものだろう。
「とっときレアなもん、今夜のレミアちゃんは見るわけよ。曰く“静かなワシ”。ナンチャッテー」
「聞こえてるけど?」
 漏れ出た紗音流のつぶやきに、あきれた顔を向けるレミア。
 だが。こう見えて濃やかな紗音流のことだ。もしかすればわざと漏らしてみせたのかもしれない。まあ、迂闊も紗音流の性なので、単純に失敗しただけなのかもだが。
 ともあれ、存分にエスコートされてやると決めた以上は遠慮も容赦もしない。心の時化(しけ)が凪ぐまで付き合ってもらうだけだ。
 そんなことを思ってしまうなんて、弱くなったものね――わたし。
 心のただ中に空いた深淵は少しずつ拡がって、今や心のほとんどをその闇底へ吸い込んでしまっていた。
 ブラックホールみたい? そうね。でも、残った心の輪はまるで指輪みたいで……
「聞こえないまま、訊かないほうがいいかい?」
 なんでもない顔で煙管に刻みを詰めなおす紗音流。
 引き戻してもらったのだと気づき、レミアはむっと眉根を引き下げた。
「いい男を気取りたいなら全部言っちゃう癖なおしたら?」
「二枚目気取りは性に合わねえよ。二枚目半でちょうどよしってね」
 言ってくれるじゃないの、三枚目。レミアは苦笑い、運ばれてきたサンドリヨンで舌を湿す。
「……あのときは酔ってたから、って言わせてもらえないのは少し辛いけれど」
 見かけが見かけだからしかたないのだとしても、なんというか、素面ですがるのは赦されない気がして。
 そしてこんなときに限って、紗音流は軽口でごまかしてもくれないのだ。
 しかたないわね、本当に。
 自分も紗音流も雪娘も、誰も彼もがしかたない。
 腹を決めて、レミアは口を開いた。
「別れたのよ、わたしと猿」
 誓いと呪縛を込めた指輪を失くした左手を見せて、彼女は少しずつ言葉を綴る。
 雪娘と契約主との思わぬ再会を。
 それによって契約主の心に逆巻いた懊悩と苦痛を。
 それをとなりで見続けてきた彼女の心情を。
 果たして夜のバイカル湖で死合を演じ、二世の契りを捨てた。その顛末を。

「……で、すっぱり別れてやったわけかあ」
 こん。大理石の灰皿へ円錐型の灰を綺麗に落とし、紗音流は紫煙と共にため息を吐いた。
 いつしかその手には、カクテルグラスならぬシングルモルトのストレートグラスがある。
「最後くらいは綺麗にってね。喧嘩別れなんて無粋の極みでしょ? そもそも誓約がある以上は離れられないんだし」
 言葉にしてしまえばその程度に収まってしまう万感。
 おかしいわね。あれだけの覚悟を決めて、心の真ん中から猿を引き剥がして……こんな空虚を抱えることになってまでそれを見せることなく共に在ると誓った。そのはずなのにね。
 レミアはノンアルコールのモスコミュールをひと口含み、沈黙の時を埋める。
 綺麗なんてとんでもない、わたしは薄汚い自分をごまかす言葉しか吐き出せないんだもの。なんて薄汚くて浅ましい。
 ライムの酸味に自嘲を溶かし、飲み下せば。
「純情だねえ」
 氷という逃げ場のないストレートグラスを一気に呷り、紗音流は顔をしかめた。いや、ちがう。しかんでしまう顔をごまかすために呷ったのだ。
「あいつが純情で一途ってのは知ってるけどさ、1000年生きてもレミアちゃんは見た目のまんま、純情だ」
 いや、純情なままならよかったのよ。問題はその深情けっぷりさあ。オジサン、泣けてくるっての。
 言わずに口の中で転がして、紗音流はボーイにジンライムを注文した。心を分かち合おうぜなんて言えないけど、せめて辛くて苦い味くらいはね、ご相伴にあずからせてもらっちゃうよ。
 レミアはかぶりを振って、やり場の定められない目線を下界、流れゆくヘッドライトの光帯へと向けた。
「ほんとはわかってる。ここにいるのはわたしの我儘なんだって。愚神が英雄や人になれるのかはわからないけど、それをいっしょに待ってやるふりをして、実はふたりきりにしてやりたくないだけ」
 自分への憤りが極論を弾き出す。しかし、なにをどれほど語ってみせようと、自分を装う騙りにしかなりえない気がして。結局のところこの極論も、わたしのプライドを守りたいだけの戯言なのよ。
 わたしは捨てられないのよね、“わたしらしさ”っていう思い込みを。この服も、有り様も、なにひとつ。
「いい女だねえ」
「え?」
 思わず顔を上げたレミアを待ち受けていたのは、紗音流の渋くすがめられた左眼であった。
「オトコのためにこんだけ悩んで、そいつもこいつも自分の我儘のせいにしてくれるって。そんなの見せられちまったら、ほだされちまうだろ?」
 紗音流が上体を乗り出した。その顔がレミアへ大きく近づく。
「知ってる? この裏からタワーのライトアップが見えるって。そいつを満喫できる部屋、取ってあるんだけどさ。どう?」
「今日は静かでレアなサネルを見せてくれるんじゃなかったの?」
 言いながらも避けず、レミアは薄笑む。
 紗音流は座していた腰を前にずらし、態度で語る。静かなのは口だけよってね。
「友だちにね、どこかにきっと、わたしをいちばんに想ってくれる人がいるって言われて。一瞬――サネルの顔が浮かんだわ」
 今このときなら、委ねてしまってもいいのかもしれない。そう思ってしまいそうになるけれど。
 深淵を心に残したまま委ねるなんて失礼はできない。
 ましてや闇底で救いを求めてしまった相手に、これ以上の無様を晒したくない。
 この期に及んでって言われるかもしれないけど、でも。わたしはわたしであることをひと欠片だって捨てられないんだもの。
 だからわたしは虚勢を張らなきゃいけない。他の誰でもない、サネル。あなたにだけは。
「思ってるさあ。いちばんに、ね」
 静かに紗音流は姿勢を戻し、ボーイに新たなシングルモルトを頼んだ。
「今夜は……でしょ? 想うんじゃなくて思うところが正直よね」
 あーあ、ニュアンスまで読まれちまった。隠してないから当たり前だけどなあ。微量の悔しさをごまかして、彼は天井を仰ぐ。
「さっきかけたばっかの魔法、もう解ける時間? 早くね? 今のイケる流れじゃなかったかよー。ったく、ちっとはあの猿ヤローにだって思い知らせてやりゃいーのにさあ」
 そしてふと、表情を引き締めて。
「捨てらんないモンは誰にだってあるさ。そんでいーんじゃない?」
 うなずいたレミアは立ち上がる。
「今夜はありがとう。いろいろ聞いてもらって、いろいろ据わったわ」
 歩き出したレミアに紗音流は背中越し、手を振った。
「ごきげんよう、プリンセス。いつでも思い出してくれていーんだぜ?」
 レミアは振り返らず。
「ええ。いつでもわたしはサネルをいちばんに思い出すわ」
 言い置いて、去った。

 ――思い出してもきっと、すがっても委ねてもくんねーんだよなあ。でも、そういうレミアちゃんだからいい。せいぜい見守らせてもらいましょうかね。
 取り残された紗音流は、娘か孫を見るような慈愛の笑みを浮かべ。
 ――思い出しても絶対、すがりも委ねもしない。それでもサネルがそこにいてくれるって知っているから。だからわたしはわたしを貫いてみせるのよ。
 取り残したレミアは、誇りと決意を瞳に映して前を向いた。
 かくて小話の幕は降り、ふたりはそれぞれの道へ踏み出していく。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【天狼心羽紗音流(aa3140hero001) / 男性 / 45歳 / エージェント】
【レミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001) / 女性 / 13歳 / 血華の吸血姫】
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2018年04月17日

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