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『魔女と探偵 』
松本・太一8504


「断る」
 探偵は言った。
「……と言いたいところだがな」
「ですよねー。私も、はっきり言って茶番だと思います」
 にっこりと、松本太一は受付嬢のような笑みを浮かべた。
 この事務所の主である探偵は、いささか難しい顔をしている。
「……あんたがここへ来るのも久しぶりだな、松本さん。最初は誰かわからなかったぞ。デリヘルの類かと思った。呼んでもいないのにな」
「あはははは。チェンジされなくて良かったです」
 今の松本太一は『夜宵の魔女』の姿をしている。傍目には確かに、風俗嬢が探偵事務所を訪れたようにも見えてしまう。
「とにかく、ね……その、浮気調査で本当に申し訳ないと思いますけど」
「仕事は仕事だ。浮気調査だろうとペット捜しだろうと、俺は探偵の仕事を拒む事はない。依頼人が本当に必要としている仕事であれば、な」
 言いつつ探偵が、仕草で喫煙の許可を求めてくる。太一は、無言で頷いた。
 溜め息のように煙草の煙を吐きながら、探偵は語る。
「この浮気調査というやつは案外、深刻でな。依頼をくれる連中はほぼ例外なく、裁判で使えるレベルの証拠を欲しがっている。つまりは合法的に離婚をしようとしているわけで、これはどういう事なのかと言うと」
「……冷めきっている、という事ですよね。夫婦の仲が。もう相手から1円でも多くふんだくろうというところまで」
 冷めきってしまう前に、太一はコーヒーを飲み干した。
「でも1度あったじゃないですか。旦那さんが浮気をしていないという安心感が欲しい、そうすれば自分はもっと彼を愛せる……そんな事言ってた女の人がいて」
 偶然この事務所に居合わせた太一が、その女性と意気投合し、相談に乗る事になった。無論その時の太一は熟年サラリーマン48歳ではなく、今と同じ、うら若き『夜宵の魔女』であった。
 そんな太一を、その女性は、風俗関係者としか見てくれなかったようではあるが。
 とにかく、彼女は言った。自分自身の、この疑い深い性格が嫌になる。彼が浮気なんかしていないと信じたいけれど、信じられない。だから確証が欲しい。安心したい。
「結局その旦那さんは、浮気なんかしてなかったわけで」
 この探偵の、調査結果である。
「あの人も旦那さんに謝って。旦那さんは笑って許してくれて、元のラブラブカップルに戻ってめでたしめでたし」
「……松本さんには、言っておくべきかな。関わっちまったわけだし」
 探偵が、天井を見上げながら床に灰を落とした。
「あの女は今、入ってるよ。15年ばかり喰らったんじゃないかな、確か」
「え……喰らった、って……」
 お茶受けのチョコレートクッキーを、太一はぼりぼりと喰らった。甘い。ブラックコーヒーを合わせたいところだが、コーヒーは飲み干してしまった。
 そう思った瞬間、探偵秘書である若い娘が、淹れたてのブラックコーヒーをテーブルに置いてくれた。
「あ……どうも、ありがとうございます」
 太一が礼を言うと、その娘は微笑み、だが探偵に対しては厳しく言った。
「所長、煙草の灰を床に落とさないで下さい。何のために灰皿があるんですか」
「悪かったよ」
 人前では、所長と呼ぶ。だが実は兄妹である。
 兄である探偵が、灰皿に煙草を押し付けながら言う。
「……旦那をな、刺しちまったんだよ。滅多刺し。それはもう、ひどいもんだったらしい」
「まさか……旦那さん、浮気を……?」
「それはない。探偵として断言出来る。あの男は、浮気なんかしちゃいないよ。女の方が結局、疑い深い性格を直せなかったって事さ。探偵の浮気調査で白が出たくらいじゃ、こいつは直らん」
 コーヒーをすすりながら、太一は探偵の話に聞き入った。
「俺の経験から言うと、あれだな。探偵に依頼する時点で、その夫婦はもう終わりだ。あとは綺麗に離婚をして、相手から金を取るしかない。そのための浮気調査を……依頼人が本当に必要としているなら、俺はいくらでも引き受ける。横暴な旦那に虐げられていた女房が、正当な報復に打って出ようってケースもあるからな。探偵として、やり甲斐のある仕事だと思うよ」
「そういうの、とは……ちょっと、違うんですよねえ」
「横暴なのが実は女房の方だってケースもある」
「ああ、そっちに近いかも……あっいやもちろん悪いのは旦那さんの方なんですけど」
 太一の知り合いの、とある夫婦が今、離婚の危機を迎えているのだ。
「浮気をしたのは、旦那さんの方で……」
「その浮気相手も、浮気の状況も、何もかも実はもう判明しているんじゃないのか」
 じろり、と探偵が睨みつけてくる。
「俺の出る幕が、あるのか?」
「茶番……ですよね、やっぱり……」
「魔女を相手に、人間の探偵の出番があるわけないだろう。俺が出張ったところで茶番にすらならん」
 妻が魔女、夫が普通の人間。そんな夫婦であった。
 妻は夫を、それはもう愛し慈しんだ。愛玩動物を可愛がるようにだ。
 夫の方が、それに耐えられなくなった。つまりは、それだけの話である。
 確かに、人間の探偵の出番ではない。調査など、いや法律すらも、本来ならば必要ない。
 この夫を浮気相手もろとも、キメラやフレッシュゴーレムの材料にでもしてしまえば終わりである。
 魔女はしかしそれをせず、人間社会の法に合わせてくれると言っている。
 だから、まずは浮気の証拠を入手するところから始めなければならない。探偵の出番、というわけである。
「……まあ、いいさ。松本さんには幾度も協力してもらっているからな」
「え……それじゃあ」
「茶番劇を演じて見せよう。魔女が、人間の法に従ってくれると言うんだからな」
「ありがとうございます!」
 太一はソファーから立ち上がり、深々と頭を下げた。
「これで、何とか穏便にすませる事が出来そうです。それじゃ、よろしくお願いしますね」
「おい待て、松本さん」
 帰ろうとしたところで、探偵に呼び止められた。
 太一は振り返り、微笑んだ。
「ああ心配ご無用です。前金は、きちんと振り込んでおきますから。あ、お手渡しの方がいいですか?」
「前金は要らん、成功報酬だけでいい。それよりもだ、探偵秘書を勝手に持って行くな」
「ヘッドハンティングして下さるのは嬉しいですけど……私、この所長を1人きりにしてはおけません」
 太一の左腕で抱えられ運ばれながら、探偵の妹がそんな事を言っている。
「え……いや、ちょっと私の腕が勝手に……あっ、貴女の仕業ですかッ!」
 太一は困惑、狼狽し、そして叫んだ。
「どうも今日は静かで大人しいと思ってたら! 一体、何やってるんです!」
『あいつのとこの夫婦喧嘩になんて、興味ないわ。それより私、この子が気になって気になって』
 太一にしか聞こえない声で、その女性は言った。
『ここまでレア物の生体兵器、初めて見るわ……もらって行きましょう。心配しないで、売り飛ばしたりはしないから』
「あの魔女さんが人間社会の法律を守ろうとしてくれているのに! 貴女が犯罪行為をしてどうするんですかっ!」
『そこの探偵と、本当に兄妹というわけではないのでしょう? 貴女の妹にしてしまいなさい。私、可愛がってあげるから』
「ご兄妹ですよ、本当の」
 太一は言った。
「色々とありまして……本当の、お兄さんと妹さんになったんです」



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登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年04月23日

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