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『儚いあなたにささやいて 』
紀伊 龍華aa5198

 最初に『彼女』を目にしたときに、龍華は自分がいま夢を見ているのだと認識した。
 どこまでも広がる花畑。まばらな低木、鳥のさえずり。絵本の世界そのままのような景色の中心に、『彼女』はただ静かにたたずんでいた。
「…………君、は」
 声の出し方を忘れたかのように、龍華が壊れた笛のような音を発する。それに反応して、『彼女』が小さく首をかしげた。
 龍華は『彼女』のことを知らない。記憶のどこにもないその姿を、けれど龍華は一人の愚神と重ね合わせてみていた。
 『モアブ』。かつて北極圏で眠りにつき、そしてリンカーの手によって葬られた幼い少女の姿をした愚神。周囲に一度として害を及ぼさなかったが、その存在そのものが害だとして切り捨てられたそれ。
「あなたは、誰かしら」
 愚神が問う。愚神だと即座に理解できたこともまた夢である影響なのだろう。とにかく、その愚神は傷一つない体に白いワンピースをまとって、『モアブ』と同じ声を発した。
「君は、誰なんだ」
「私は誰でもないわ。あなたが持つ愚神のイメージをかたどっただけの、愚神の……そうね、概念みたいなものかしら」
「概念……」
 それを『モアブ』に重ねていることに戸惑いを覚える。龍華の心に深い爪痕を残しているのが『モアブ』であることは間違いないが、それにしたってそれそのものではないとは。自分自身の心だというのに、案外思い違いもするものだ。
 だが……だとしても、心臓は痛いほどに早鐘をついている。胸のあたりに爪を立てて、龍華が口を開く。
「なにが目的なんだ。君は……概念である君は、何をしようとしてる」
「別に何も。あなたの心が呼んだのよ」
 愚神は、つい、と一歩前に歩み出る。それだけで龍華は後ろに下がりたくなる衝動にかられた。
「私を、殺さないの?」
 ――――――――。
「どう、して」
「私は愚神だもの。リンカーであるあなたは、私を殺す義務があるわ。たとえここが夢であってもね」
「そんなこと、簡単にできない」
 龍華が首を振る。彼が愚神と戦うのは、ただ愚神であるからではない。人を脅かすものだからだ。だから『モアブ』と相対した時も、はじめは説得を試みた。彼女が害をなすものかわからなかったから。
 だけど結局、龍華は『モアブ』を倒した。それがおそらくは正解だった。あのまま放置なんてできるはずもなかった。
 けれど。
「……俺は、今でも迷ってる。あの時に『モアブ』を、一人の女の子を殺したことを今でも忘れられない。あの時の彼女の姿が、声が、脳裏に焼き付いて離れない」
「……」
「だからと言って、止まることもできなかった。もし立ち止まってしまったら……俺は、絶対に後悔することになる。一生彼女を殺したことにとらわれることになる」
「だから、そんなにつらそうな顔をしているの?」
 龍華がうなずく。自分でどんな顔をしているかはわからないが、なるほどひどい顔をしているのだろう。でなければここまで息が荒くなっていない。
 愚神はしばらく何も言わずに龍華の視線の先で立ち尽くしていた。見定めるように。
 だが。
「――――弱いわね」
 一瞬で、額が付くほどの距離までその差を詰めてきた。
 青いようにも赤いようにも、黒いようにも白いようにも見える、ガラス玉のような瞳が龍華を見据える。思わず顔をそらそうとしたが、すぐさま両手で頬を押さえられた。
 逃げるな、とでも言わんばかりに。
「あなたは一体何を迷っているのかしら。ただ愚神を倒しただけでそこまで心が揺れている。リンカーとしては落第よ」
「あの子は……!」
「ただの女の子だと? 腑抜けたことを言わないで。『モアブ』は愚神よ、私と同じく。そして愚神はあなたたち人類の不倶戴天の敵、倒さなければならない悪。それは彼女自身も言っていたと思うけれど」
「それは……」
 否定しきれない。彼女が明確に龍華たちに牙をむいた時、そう口走っていたから。
 でも、あの最期を見せられてもまだ『モアブ』をただの愚神ということは、彼にはできなかった。
 ただ友だち相手が欲しかっただけだと今わの際に呟いた、あの少女を。
「もし私たち愚神が従魔くらい野蛮だったら、あなたもここまで迷わずに済んだのでしょうけど……それは無理な相談というものよね」
 愚神が一歩後退した。白磁のような手がするりと龍華の頬を離れる。
「けれどね、覚えておきなさい。もしもあなたがこのまま戦いを続けるつもりなら、そんな揺らぎは一切踏み潰すことね。なぜなら私たちは愚神。ただの、あなたたちの天敵。無慈悲に殺す理由なんてそれで十分だわ」
「……俺がどう思っているのかなんて関係なく、殺せっていうのか」
「ええ」
「……ッ!!」
 奥歯が砕けそうなほどに歯を食いしばる。
 だが愚神はそれを見て、無邪気に微笑んだ。
「かわいい人。それだから、安心して私も生贄になりたくなる」
 龍華の右手に未知の重みがのしかかった。目を向けてみると、見たこともない剣が一振り、彼の手の中に収まっていた。飾り気が一切ない、ただ柄とつばと刀身だけが備え付けられた武骨なそれを愚神が指さした。
「それ。あとはわかるわね?」
「君はまだ、何もやっていない」
「ええ。けれど愚神よ」
「……何にも害を加えていない君を殺すことなんて、できない」
「知ってる。それでも私は愚神だから」
 愚神である自分を殺せ、と少女がささやく。
「一切の慈悲もなく、迷いすら切り捨てて。ただ私を殺しなさい。たとえ夢の中であったとしても、それがあなたの使命であるがゆえに。……愚神の本分すら忘れた、愚かな私を殺すのよ」
 ――――――――――――――――。
 ――――…………。
 ……、
「わかった」
 龍華が両手で柄を握る。
「だけど、迷いは捨てない。俺は君を……『モアブ』という女の子を殺した後悔を、これからずっと背負い続ける。そして、これからも君のような愚神と戦うたびに、迷い続ける。背負って、もがいて、それでも戦う。……これでいいか」
「もちろん。それであなたが満足するのなら、いくらでも。もとより私の亡骸を弔うような真似をする人が、ありふれた殺戮者になんてなれるはずもないだろうし」
 少女が、彼の前でほほ笑む。龍華は表情を動かすこともなかった。
 ずぷ、と。
 龍華の手に、柔らかい肉を刺し貫く感覚がこびりついた。
「……進みなさい、名前も知らないリンカーのあなた」
 少女の手が龍華の黒い髪を撫でる。弱々しくも、愛しげに。
「苦悩したまま戦って……いつかあなたが、あなたが望む以上のものに至れるまで……それまで、私は…………ここで――――」
 少女が消える。剣も泡がはじけるように溶け消え、後には龍華だけが残された。
「……ん」
 空が白んでいく。霧のようにどんどんとこの世界を覆いつくしていく。
 もうすぐ目覚めるときだ。苦しみも悲しみも、すべて背負ったまま。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【1009856/紀伊 龍華/男/19】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 これは呪いかもしれないわね。優しいあなたが背負わねばならない、理不尽な業。



 そんなわけで、『儚いあなたにささやいて」でした。いかがでしたでしょうか。楽しんでいただけたなら幸いです。

 今回は龍華さんを好きなように動かしていいということでしたので、好き勝手に動かさせていただきました。『モアブ』……というよりは、『愚神の概念』に向き合った彼の信条と問答を、できる限り形にいたしました。

 『モアブ』は私が考え出した愚神の中でも、際立って異質な存在であると思います。恐ろしくも見えない、危害も加えない。それでもそこに存在するだけで人類を脅かす、そういう存在でした。

 彼女は結局のところ、愚神であることから逃げていました。逃げて逃げて、誰からも理解されないまま……北極圏で永遠の眠りにつきました。愚神というくくりで見たら落ちこぼれもいいところです。

 けれど、少なくとも龍華さんにだけは愚神として認められた。同時に一人の女の子としても認められた。今回はその認識自体に疑問符を突き付けたようなお話になりました。私の考えは『彼女』に託しました。

 だから、そうですね……このお話はあくまでIFですから、本編の龍華さんの動きに影響を与えないことを祈ります。おそらくリンプレ本編世界の龍華さんは、『モアブ』を愚神としても、女の子としても考えることでしょう。それでいいとも思います。

 私からは以上になります。今回はご依頼していただき、ありがとうございました!
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2018年04月25日

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