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『もう一度きりの誓約 』
迫間 央aa1445)&マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001
 俺はマイヤの憎しみを――暗転――悪いがその命――暗転――俺はマイヤの苦しみを――暗転――暗転――恨み言は言わないわよね――あたしのロンドンを――電気ショック、3、2、1――暗転――ごめんなさい、央。

 迫間 央の視界を塞いでいた黒幕が上がる。ああ、幕なんかじゃない、これは自分の目蓋だ。
「拍子抜けって顔ね」
 左手を包むあたたかさが、音を成して腕を伝い、肩を掴んで一気に耳へと忍び込む。
 心地いい音。
 でも、小さく波立って落ち着かない、声音。
「マイヤ」
 殺到する白に痛む目をしばたたかせて、央は歪む世界の中で必死に焦点を結ぼうとあがいた。
 ――唐突に。世界が形を取り戻す。
 央は差し込まれた眼鏡の奥からすぐに見つけた。それはそうだ。見つけたかったものはすぐ目の前にあったのだから。
「ワタシのことが見える?」
 マイヤ サーアがやわらかく問い。
「見えるけど、できれば眼鏡なしで見たかったかな」
 央は精いっぱいの茶目っ気を演じて応えた。
 と。マイヤは横たわる央の顔からかけたばかりの眼鏡を抜き取り、その額に額を触れさせた。
「これで見えるでしょう?」
「ああ、よく見えるよ」
 央は腹の内で茫洋と疼く鼓動を感じ、息をつく。この疼きは、ロンドン支部防衛戦で愚神に体をかき回された傷の痛みだ。今は麻酔が効いているようだが、切れた瞬間どうなるかはもうお察しと言うよりない。
 俺はあの愚神を殺したかった。
 そうすれば少しでも癒やせると、和らげられると思った……思い込んでいたのに。
 勝ちを確信し、最後に踏み出したあと一歩が死線を不用意に越え、央をそのまま死地へと引きずり込んだのだ。
 全部俺の迂闊が原因だ。
 俺のせいでマイヤは――
「ごめん。俺が愚神を殺せなくて」
 マイヤは央の顔をそっと抱きしめ、その言葉を奪う。
「今は回復。それだけを考えて」
 体を離して、マイヤは部屋を出て行った。おそらくは医者を呼びに行ったのだろう。
「コールすればいいのに」
 言いながら、そういうことじゃないんだよな、と思う。
 マイヤが央にずっと付き添っていてくれたことは、左手に残るぬくもりで知れた。声音の震えは、どれだけ心配してくれていたかを教えてもくれた。
 マイヤはきっと、表情を見せ続けることが央に情報を与えることになると判断したのだろう。それが余計な負荷になるからと。
 むしろ俺って存在がマイヤの負担になってるわけだけど。
 喉の奥に迫り上がる苦い感情を無理矢理飲み下し、央は目を閉じる。眼鏡をかけなおしたくとも手が動かなかったし、一秒でも早く回復し、次の戦いへ向かうことこそがマイヤのためにできる唯一のことだ。
 それにしても、ここって個室だよな。高額医療費は適用されるのか? いやむしろ労災は? あー、H.O.P.E.との契約書、読み返しておかないとな。
 やくたいもないことを考えているうち、蜜のような闇が央の意識を捕らえ、奥へ、奥へと引き込んでいった。

 病院の廊下へまっすぐ歩を踏み出しながら、マイヤは小さく息をつく。
 央を喪わずにすんだ。
 それがなによりもうれしくて、虚しい。
 ……央は言ってくれた。マイヤは大事な人だからと。
 普通に暮らしていた彼が剣技を澄まし、影業を磨いて戦場へ向かってくれる。ワタシを支配して突き上げる、この得体の知れない喪失感。それを癒やす方法は、愚神どもを殺すしかない。そう思い込んでしまったから――ちがう、ちがうちがう。思い込ませたのもワタシだわ。どれだけ殺してもまるで満たされないから、もっともっととねだって、央を走らせる。
 今はもう思い出すこともできない大事なものの代用品が、壊れず手元に残ってくれたことが、浅ましいワタシにはなによりうれしくて。
 代用品だと知りながら央がワタシにくれた想いを当たり前の顔で受け取り続けるばかりの、弱いワタシがなによりも虚しくて。
 一歩を刻んで、つぶやいた。
「ワタシは浅ましくて、弱い」
 もう一歩を刻んで、かぶりを振った。
「ワタシはもう、央を代用品だなんて思っていない」
 三歩を刻み、足を止めて。
 それがなによりの問題なのだ。代用品だったはずの央は今、なによりも大切な人となってしまっていることこそが。
 それなのに、「喪った」記憶の穴は消えることなくいつまでも胸に居座って、足りない、埋まらないと泣きわめく。
 だからワタシは央を駆り立ててしまう。なにも贖えず、それどころかなにひとつ返すことすらできないのに。
 ワタシはこうして同じことばかり考えて、悩んで、投げ出してはまた考えて……どうしようもないことだからと言い訳を重ねる。ワタシはいつも、ワタシのことばかりなのよ。
 再び踏み出した足は重く、マイヤは行かなければならないナースセンターまでの遠さを思い、嘆息した。


 科の異なる複数の医者のチェックを経て、ようやく央は解放された。
 質問と触診、体中に繋がれた機器チェック、さらには点滴の調整まで含め、実につまらない時間だったわけだが……体さえ動く状態なら、途中で逃げ出していたかもしれない。
「話せる程度には大丈夫だし、ここまで大げさにしなくてもなぁ」
「ここまで大げさにされるほどの傷なのよ。あと三日はおとなしくしていなさい」
 マイヤに命じられ、央はやれやれと天井を仰ぐ。
 点滴が外れたら食事を出してくれるらしいが、いったいなにを食べさせてくれるものやら。日本なら重湯だろうが、ここはロンドン市内の病院だそうだから、マッシュポテト?
 と。マイヤが戸口に鋭い視線をはしらせた次の瞬間、コツコツ。戸口からノック音が飛んできて。
「――入ってもいい?」
 シンプルなダークスーツに身を包んだテレサ・バートレットが顔をのぞかせたのだった。

「ロンドン支部で用意させてもらった部屋なんだけど、なにかご不満は?」
「お医者さんが慎重すぎますね。ああ、先ほど起きたときにはモーニングサービスがありませんでしたから、それにもクレームを入れておきましょうか」
 イギリスの流儀を意識しての央のセリフにテレサは苦笑する。
「迫間君の点滴にマッチャを混ぜなかったのはドクターのミスね。今の有様で日本人らしい控えめさを失くすのは、それこそ命取りよ」
 いかにもイギリス人らしく、カードを添えた菊の束をマイヤに渡したテレサが、すすめられた丸椅子に腰を下ろした。
「本当は定番の葡萄もと思ったんだけれど、まだ食べられないでしょうから。退院前にはマッチャのショートブレッドを焼いてくるわ。あなたがヤマトダマシイを取り戻せるように」
「ジーニアスヒロインの手作りとは、光栄ですね」
 うとうとと央が応え、マイヤはブラインドを閉めて光を遮った。そのころにはもう、央は眠りに落ちている。
「それだけの傷を負ったんだもの。当然よね」
 テレサは薄笑みを閃かせ、マイヤに向きなおった。表情を引き締めて深く頭を垂れ、片膝をつく。知らずともわかる最敬礼であった。
「感謝してるわ。あなたたちの尽力であたしたちは間に合うことができた。名誉の傷を負ってもらったなんて言えるほど厚顔じゃないけど、あたしにはその傷に報いる術がない。だから、あたしにできる限りのことはさせてほしい」
 それを受けたマイヤは。
 唇を噛み、立ち尽くすばかり。
「サーアさん?」
「私には、報いることも贖うこともできない。央の想いに――」

 ロビーではマイヤとテレサの姿は目につきすぎる。
 だからふたりは央の病室の真下に停めたセダンの後部座席にその身を隠すこととした。ここからならすぐに病室の窓までよじ登り、戻ることができる。
「この車は防弾耐爆仕様だから、声を盗み聞かれる心配もないわ」
 テレサがマイヤに紙コップのコーヒーを差し出した。
 受け取った瞬間、あたたかさが指先に染み入ってきて、マイヤは自分の体がどれほど冷えてしまっていたのかを思い知る。
 ああ、またワタシは自分の感傷に引きずられているのね。ワタシはかわいそうだって自分と彼女に知らせたくて、こんなにうなだれてみせる。
「戦場ではあんなに勇敢な戦いを見せるシャドウルーカーなのにね」
 テレサの静かに語りに、マイヤの肩が跳ね上がった。
 自分の分のコーヒーをすすって見なかったふりをして、テレサは言葉を継ぐ。
「勇敢なのは、あたしの見間違い?」
「無謀なだけよ、私は。央はそれに付き合ってくれているだけ」
 愚神への憎悪に取り憑かれた自分。その餓えた心を満たすがため、私は央の好意を利用して、戦場へと駆り立てる。
 マイヤの吐露を聞いていたテレサがふと声音を差し挟んだ。
「信じられないのね、あなたはあなたを」
「信じられるはずがない。狡くて汚くて浅ましい私なんて」
「そして。あなたを信じる迫間君も信じられずにいる」
 瞬間、マイヤはテレサをにらみつけ、力を失くしてうなだれた。なにを聞いていたの? ワタシは央を利用するだけの女で、そんな――信用だなんて言えるはずがなくて。
「信じられないことを負い目に感じるあなたはきっと、あなたが思うほど狡くも汚くも浅ましくもないわ」
 マイヤの言葉ならぬ有様が物語っていた。彼女自身が目を逸らしてきた真意――央への想いすべてを。
 自分を貶めていれば、いつ央の心が離れても自分に言い訳ができる。こんなワタシだから、央に嫌われても当然なのだと。しかしそれは狡さや汚さ、ましてや浅ましさなどではない。
 こんなこと言ったら怒るかしら? あなたはあなたが思うよりずっと、乙女なんだって。
 ねえ、あなたは気づかなかったでしょうけど、今まで聞かせてくれた話のほとんど、あなたがいかに迫間君に釣り合わないかってことだったのよ。言ってしまえば妙に意識させることになるだろうから言わないけど。
 テレサは思わせぶりにカップの縁で顔を隠し、うろたえるマイヤにしばしの間を与えてから口を開いた。
「あたしは迷わない。パパからもらった正義がいつでもあたしに道を示してくれるから」
 とん。マイヤの胸骨の真ん中に人差し指を突き立て、さらに語る。
「あなたを行くべき先へ導いてくれるものはなに? あたしにとってのパパの正義と同じ――それ以上のものが、ここには確かにあるはずよ」
 マイヤは言の葉に撃ち抜かれた胸を押さえ、うずくまる。
 都合よく利用しているだけだと、そう思っていた。いや、それはまったく正しいけれど、しかし。
 それだけじゃない。ワタシは央に……
「――行くわ。央のとなりに」
 たまらず車を飛びだし、マイヤは病室の窓へと跳ぶ。
 伝えなければならない。
 ごまかさず、逸らさず、まっすぐ。
 央にワタシを全部。


 まどろみの波間をたゆたう央の左手に、ふと熱が灯る。
 あたたかいな。
「ワタシはもう、央が大事だって言ってくれるワタシを疑わない」
 マイヤ? うん、それでいい。俺は悲しい顔で自分を責めるマイヤより、それがいいよ。そのためだったら俺は、いくらだって俺を使い潰してくれていいんだ。
「ワタシを疑うワタシのせいで央を傷つけたりしない」
 マイヤ、それはいったい――
「央が大切なの。誰よりもなによりも。だから、もう一度お願いするわ」
 マイヤは言葉を切り、央は待つ。それはマイヤの先と自分の先に繋がるもののはずだから。
「ワタシを独りにしないで。けしてあなたも独りにさせないから。あなたを護るためになんでもしてみせる。二度と負けたりしない。ふたりで行くためなら……ワタシはもう、央以外になにひとつ惜しまない」
 央の内でなにかが爆ぜる。それはマイヤに吹き込まれた熱だ。起爆が央に力を与え、鼓動となる。
 高鳴りに揺り起こされた央が目を開いた。体はまだ満足に動かないが、今はこの想いを語る唇が動けばいい。
「俺は、マイヤと行く。何度でもじゃなく、ここでもう一度きり、誓うよ」
 息を吸い込んで、強く語りあげた。
「俺はマイヤを独りにはしない」
 その乾いた唇が。
 紅い唇に塞がれた。
 ふわりと離れた香りは甘く。醒めたはずの央を痺れさせる。
 いつしかマイヤは初めて出逢ったときの白いウエディングドレスをまとっていて……央はぼんやりと思った。
 そうか。今のは誓いの。
「――今は回復。それだけを考えて」
 先に聞いたままの言葉で叱られた央は我に返り、あわててベッドへ体を沈み込ませた。
 回復。そうだ。回復を急がないと。マイヤを独りにしないために、これからふたりで踏み出すために、一秒でも早く。
 そんな央を背中越しに見やり、マイヤは雨を押し割って咲く花のように微笑んだ。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【迫間 央(aa1445) / 男性 / 25歳 / 素戔嗚尊】
【マイヤ サーア(aa1445hero001) / 女性 / 26歳 / 奇稲田姫】
【テレサ・バートレット(az0030) / 女性 / 22歳 / ジーニアスヒロイン】
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2018年05月01日

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