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『好日の桜 』
ニノマエaa4381)&都呂々 鴇aa4954hero001)&ミツルギ サヤaa4381hero001
 八百八町のただ中を縫ってはしる水路の一本、その脇に連なる表店の一角にのれんを出す煮売り酒屋がある。
 その店賃は煮売りで払いきれるようなものではないはずで、しかもひとりで店を切り盛りするのが艶やかな面に儚げな風情を匂わせる年増美女とくれば、当然やくたいもない噂が行き交うのだが……同じ金を払うなら、美人をタダでながめてうまいものまで食える店がいいということで、当然のごとくに今日も昼から繁盛しているわけだ。

「なぁ、こいつぁ花見って言っちまっていいのかよ?」
 店の表に引っぱり出した床几に腰かける一(ニノマエ)は三白眼をすがめ、染めの褪せた伊勢木綿の襟を越えてきた薄紅の花弁をつまみ出し、放った。
 水路へ向けて枝垂れた桜たちはすでに散り時で、一も料理も油断すれば花まみれにされてしまう。正直、風情を感じるどころではなかった。
「桜を見れば花見ですよ。小さいのは目の玉だけで充分でしょうに」
 その花弁がくるくると落ち行く様を笑みで見送るのは、一の右隣へ腰かけた都呂々 鴇。姿勢よく座した様は通りがかる娘たちの目をふと惹きつけずにはおれぬ、不可思議ななまめかしさがあった。
「気心なんざ小さくっていいんだよ。強ぇつもりで胸張ってちゃ、悪ぃ奴らにつけ込まれんだろ」
 鴇に見惚れていた娘と陰間趣味なのだろう男をにらみつけて追い散らし、一は花弁が飛び込んでこぬよう茶碗を手で覆いつつ、中身の酒をなめた。
 ちなみに猪口ならず茶碗なのは、いちいち猪口へ注ぐのが面倒で、ちろりから直飲みしようとしたところを相方に叱られたからだ。
「あー、まだ乾杯もしてませんのに!」
「乾す気もねぇよ。それぞれ適当でいいだろ」
 鴇の苦言を仏頂面――怒っているわけではない。これが平常のツラなのである――で受け流す一だったが。
「まったく、飲みっぷりも男っぷりもせせっこましいったらありゃしない。いやだいやだ、胆と芋の小せぇ野郎はよぅ」
 左隣に座す相方、ミツルギ サヤに嗤われて、仏頂面をさらにしかめた。
 サヤは口の端を薄く上げたまま、一の前に腕を通して鴇の茶碗に自分の茶碗の縁を触れさせた。
「ほれ、乾杯」
「はい、おつかれさまです」
 そして、戻すついでに一の茶碗にも縁をかすめさせ。
「あんたもぶすったれておいでじゃないよ。ただでさえ面相が物騒なんだからさ、鴇さンの奢り酒くらい、ありがたく頂戴しとき」
 透けるほどに白い肌を利休鼠の小袖で包み、銀の髪は洗い髪のまま放り出した緑瞳の女。当然ながら、異人である。なのに妙なほど流暢な台詞を語りあげるのだから、鴇とは別の意味で人目を惹かずにいられない。
「ほうほう、“う巻き”ならぬ“し巻き”ですか。白魚といえば卵とじか天麩羅かと思っていましたが、これもなかなか乙なものです」
 押し黙ったままの一に代わり、出汁巻を口にした鴇が息をついた。
 そろそろ旬を過ぎようかという白魚は、江戸っ子なら顔をしかめる食材であろう。しかし、それをあえて出してくるあたりに女将の気概が感じられておもしろい。
 そういえば、この店はというか、女将は鴇の馴染みであるという。どのような繋がりなのかは知らないが、長床几ひとつを三人に長々独占させるくらいのものである以上、なかなかの仲ではあるはずだ。
 と、まあ、それはともあれ。
「散り桜にかけているんでしょうかね。どちらももうじき終わるものですから」
 桜から降りゆく花弁を見やり、しみじみと鴇がつぶやいたそのとき。
「――ミツルギ、芋って、いつ俺のその、見たんだよ?」
 ついに一が風情もなにもなく切り出して。
 サヤは顎を逸らして笑い飛ばした。
「はん! あんたが傷こさえてうんうん寝正月決め込んでる間、どこのどなたが上から下からお世話してやったと心得てやがんだい?」
 う。熱で浮かされていたせいで思い出せはしなかったが、憶えがあるだけになにも言い返せない。
 蕎麦をたぐって帰ったのが悪かったか、腹の傷が裂けて膿んで、大変な目にあったのだ。サヤが縫ってくれなければ、今頃自分の芋を自分で見上げるはめに陥っていたかもしれない。
「せめて医者に診せられるくらいのケガにしとけってんだよぅ」
 淡々とした声色ながら、それなりに腹を立てているのは知れる。それを悟ってしまえるくらいには色濃い付き合いをしてきたのだ。もっともそれは色恋などという甘やかなものなどではなかったけれども。
 心配かけちまったんだよなぁ。でもよ、俺だって好きでケガしてるわけじゃねぇんだ。もうちっと優しくしてくれたっていいんじゃねぇか? 嘘でもよ、立派とかでけぇとか……
 一がうだうだ胸中でこぼしていると、押し詰まった沈黙に鴇が割って入る。
「まあまあ。花美しくてよし、酒甘くてよし、一さん大事なくてよし。それで三方よしということで」
「あたしはちっともよかぁないけどね」
 鼻を鳴らしてサヤは酒をすする。いけない、機嫌がまるでなおらない。
 鴇は一をちらりと見やり、唇の動きで訊いた。ちょっとだけ語ってもいいですか?
 一はため息をついてうなずき、同じく唇の動きで応える。ま、潮時ってやつかもな。
 かくて咳払い、鴇はあえてサヤを見ずに言う。
「一さんがあやかしと縁深いのには、それなりのわけがあるんですよ」
 と、そっぽを向いていたサヤの目が鴇へ引き寄せられた。
 やれやれ。相方の昔話を気にする程度には情を残してくれていましたか。僕としては、おふたりの仲が悪くなったらとても困りますのでね。
 鴇は、江戸のあやかし退治を担う者を取りまとめる口入れ屋である。新参である彼が組合の中でそれなりに振る舞えているのは、抱え込んでいる一とサヤの活躍によるところが大きい。もちろんそればかりではないのだが、また別の話というやつだ。
 ……たっぷりと間を取れば、サヤの焦れが高まっていく。これはこれは。思って以上かもしれませんね。人の悪い笑みを隠し、鴇はついに語り始める。
「僕らの界隈じゃあよくある話になりますが。一さんは物心ついたばかりのころ、住んでいた村をあやかしどもに襲われていましてね。いや、そもそもあやかし退治を生業にしている人たちの村だったこともあって、恨みを買ったこともあるんでしょうが」
 一度言葉を切り、鴇は酒で唇を湿す。この店の酒は水で薄めていないから強い。もちろん女将に言えばうめてくれるのだが、それはあまりに無粋ってもんだ。酒が強いからこそ、より肴を楽しむ間ができるというものでもあるし。
「……で、どうなったんだい?」
 おっと。サヤに急かされた鴇は煮浸した青菜を急いで飲み下した。
「そうそう、恨みからですね、襲われたんでしょうということなんですが、そこは退治師のみなさんです。ひとり斃れるまでに二匹、ふたり斃れるまでに四匹と仕末して、その命と引き換え、すべてのあやかしを退治たんです」
「で、みんな死んじまったってのかい?」
「いえ、隠れていろと言われた子どもたちはいくらか無事でしたよ。そうでなければ一さんがここにいるはずがない。ただ、子どもたちもまるで無事とはいきませんでした」
 鴇の語りに引き込まれ、サヤがかすかににじり寄る。間にいる一はそっとサヤの茶碗と料理の皿とを避難させるが、それにすら気づいていない様子だ。
 さて。どっちでしょうね? 話が気になっているのか、それとも一さんが気になっているのか。後者であれば意外とおもしろいことになりそうですけど。
 そんなことを思いつつ、顔だけは努めてすまして鴇は継ぐ。
「子どもたちは死にゆくあやかしに告げられました。その命果てるまで、汝(なれ)らあやかしの目より逃げる術なし。我が恨みを印とし、汝らに縫いつけん――」
 鴇の指が一の胸を軽く突いた。
「一さんと他の子らはあやかしの詛を命に刻まれたわけです。生涯をあやかしに狙われ続けなければならない呪いを」
 仏頂面で春独活の酢味噌和え――“春の雪”などという瀟洒な名で呼ばれる――をつまむ一を、サヤは横目で見やった。
 確かに、あやかしに関わるような者にとってはよくある話だ。
 しかし、登場人物になってしまえば「よくある」からとは納得できまい。
 ――ん? サヤはここで気づいた。
 鴇がサヤの知らぬ一を知ることはいい。しかし、自らの言葉で見聞きしたように惨劇を語るのは、なぜだ?
 それを問えば、鴇は薄笑いを浮かべて白状した。
「僕は一さんと同じ村の出身でしてね。唯一、詛を受けずに残った子どもなんですよ。それを幸い、江戸へ逃げてきたわけですけど……良かれ悪かれ縁は縁、簡単に切れるものじゃないですね」
 自嘲の濁りを含めた、笑み。
 今になって口入れ屋などしているのは、もしかすればひとり逃げたことへの贖いなのかもしれない。いや、今はそれよりも。
「ニノマエ、あんた鴇とハナっからの知り合いだったのかい?」
「ああ」
 サヤに詰め寄られ、一はしかたなさげにうなずいた。
 あまり思い出したい話ではない。
 となりの三(ニノツギ)の家人はあやかしに四肢をちぎられて胴を串刺され、息絶えるまで盾と使われたし、村長たる無(イチナラズ)は抉られた左眼に産みつけられた蟲に頭の中身を喰われ、狂いながら我が身を爆散させた。一の家族もまた……似たようなものだ。
 そして生き残った子らもまた、ある者は泣き叫びながらあやかしに喰われ、あるいは家族の死に様を忘れられず自ら命を絶ち、そうでなくとも小狡い大人に騙されて身を売られ、結局死んだ。
 どちらを向いたところで、鴇が語ったような綺麗な死に様などありはせず、あやかしと関わった者の当然をなぞって薄汚い最期を晒すばかりだったのだ。
 しかし。
 だからってなんだ? 死に様なんざどうだって、死んじまえばみんないっしょだろうがよ。畳の上だろうが泥ん中だろうが、残ろうが消えちまおうがな。
 あまりに多くの死を見てきたことが一に達観を与えた。彼が自らを惜しまないのは美徳などではなく、己の生死への無関心がゆえのことだ。
 こうしてやけに据わった様を見せる一に、サヤは問いを重ねる。
「じゃあ、どうしてなんにも知らない顔で」
 ひとりだけ幸いを得た奴と付き合ってこれたんだい?
 サヤが言えなかった言葉を察するでもなく、一は頭を掻いて。
「別にわけなんざねぇよ。ガキんときの名前捨てて、こいつは都呂々 鴇になったんだろ。だったらお初にお目にかかりますでいいじゃねぇか」
 このあたりも結局は、踏み越えてきた者ならではの無関心なのだが、それを知る鴇もまたなにくわぬ顔で一とサヤとをあやかし退治に送り出し続けてきた。
「一さんは誰にも関心がありませんからね。僕はそれを大いに利用させていただきまして、代わりにこうしてお返しをしたりするわけです」
 素直を装って言ってしまうのが鴇のあざとさではあるのだが、一はそれすらも意に介さず、仏頂面で酒をすすってみせるのだった。
 まったくもう。器がでかいんだか小さいんだかわかんないねぇ。
 すべてを腹の奥に飲み込んで、一はあやかしに向かっているのだ。なにを語ることなく、こぼすこともなく、我が身の不幸を呪うことすらせずに淡々と。
「ほかの連中はみんな死んじまった。俺はそいつらとおんなじ、死ぬまで生きる。生きてるうちはあやかしを殺して、もらった金で食う」
 その割にはうまくもなさげな顔で、黙々と鰯の煮付けをつつく。そういえば一が料理の味を語るところを見た憶えがない。屋台のかけそばは喜んで食らっているようだが、あれも多分、味うんぬんではないのだろう。
 ただ生きるために、ただ生きている。それが今の一のすべてなのだろう。少なくともあやかしがすべて滅びさるまでは。
 人が死に絶えなきゃ、あやかしは生まれ続ける。わけなんざ知らないけどそういうもんだからね。だとしたらニノマエ、あんたはずぅっと……
「もう日が暮れてきましたね」
 鴇が茜に染まった空を見上げ、ぽつり。
 この時代の夜は暗いどころか黒い。吉原の内では夜桜を照らして客に見せているそうだが、ただの町中で同じことができようはずもなかった。
「春も終わりだな」
 続けて一もぽつり。
「冬の終わりに死にかけて、春の終わりにまだ生きてる。なんか、おかしな気分だぜ」
 晦日に裂かれた傷はもう塞がり、しかし痕として今なお一の体に残っている。
 いや。毎度命を投げ出すような戦いぶりを見せる一は、そもそも傷痕だらけなのだ。
 それでもなお、一は確かに生きていた。
 サヤは胸を塞ぐ沈鬱をため息に乗せて吹き抜く。
 そうさね。あやかしに追っかけられて、追っかけて、転げ回って殺し合って、それでもあんたは死んじゃいない。飯がうまいも生きてて楽しいもわからないんだろうけどさ、生き汚く此の岸にしがみついてりゃあそのうちに味わえるかもしれないよ。
 だから。
「背中ぐらいは面倒見てやるさ」
 あんたの三白眼が届かないとこはあたしが埋めとくよ。あともう一歩、夜の先の朝へ踏み出せるようにね。
 しかし一はサヤの心を知らず、口をひん曲げた。
「なんだよ、俺の前っかわはほったらかしか?」
 あんたってほんと、察しない野郎だねぇ。サヤは肩をすくめてみせ。
「ああ。その仏頂面と小汚い芋もねぇ」
 一方的な意趣返しを投げ返す。
「おやおやまあまあ、つくづくと思うところがあったみたいですね、御剣さんは」
 一はにやにや嗤う鴇の背中を引っぱたき、曲げた口をさらに曲げて言い返した。
「おまえも女なんだからよ、ちったぁ慎みやがれってんだ」
「謹んで申し上げるようなこたぁいっこだってありゃしないさ」
 そんなやりとりをしている間にも、夜は茜を舐めとり近づいて、人々は足を急がせる。
「ああ、もう桜も見えやしないねぇ」
 火を入れられた店内の行燈、その灯の揺らぎに背を炙られながら、サヤが茶碗に残る酒を乾した。
「見えなくってもそこにある。わかってりゃあそんでいいじゃねぇか」
 柄にもないことをほざく一。
 笑えばいいのかうなずけばいいのか迷ったが、サヤは結局どちらもせずに酒をもう一杯頼んで暗がりを見透かした。どうやら今日このときばかりはあやかしも、一を追ってはこないようだ。気を利かせたわけではなかろうが、これで落ち着いて酔いを楽しめる。
「日々是好日、だねぇ」
 禅に語られる言葉だが、これは毎日がいい日だなどというものではない。好しも悪しもなく、ただただその日その日をあるがままに受け入れ、生きる――それを表わしたものである。
 ゆえにこそ、サヤと一にはこの上なくふさわしい。そう思うのだ。
「いいも悪いもねぇよ。その日暮らしの野非人にゃあよ」
 こんなときでさえ一は、言葉の意味も知らず、それでも真実を突いてみせる。
 終わるときゃ終わる。なにが残るかなんざ知らねぇが、残してぇもんがあるわけでなし。いつだって今日このとき、俺ごと丸っと置いて明日に向かってくだけだ。
 あさり汁に眼光を映し、胸中で吐き捨てる一の様に、サヤは今度こそ笑みをこぼした。
 こきゃあがれってんだ、三枚目の三白眼。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ニノマエ(aa4381) / 男性 / 20歳 / 不撓不屈】
【ミツルギ サヤ(aa4381hero001) / 女性 / 20歳 / 堅忍不抜】
【都呂々 鴇(aa4954hero001) / 男性 / 16歳 / エージェント】
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2018年05月01日

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