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『心移り 』
レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001)&狒村 緋十郎aa3678
 その姿を見るよりも早く惹かれていた。
 その声を聞くよりも早く魅せられていた。
 その邪なるライヴスに凍りつかされたときには――眼を縛り上げられ、心を引き倒され、魂を踏みしだかれていたのだ。
「ヴァルヴァラ」
 狒村 緋十郎は顔を歪め、窓から見える庭の雪を切なげに見やった。
 俺は今、たまらなく自由だ。そのことがなにより虚しく、なにより苦しい。
 逢いたいんだ。おまえの戯れに弄ばれ、おまえの気まぐれに駆けずり回され、おまえの無邪気に躙られて、晴れることない闇底でいつまでも――

 レミア・ヴォルクシュタインは契約主の哀れな様にすがめた視線を投げ、振り離した。
 あの雪娘と対するまで、緋十郎は彼女の猿であり、犬だった。赤らんだ目でレミアを追い、いつどこへなりと駆けつける。どれほど酷い目に合わせても嬉々として受け入れ、むしろどんな目に合わせていただけるものかと待ち受ける仕末。
 この世界へと降り立った彼女は、鬱陶しく思いながらも彼の有り様を受け入れた。真祖の王女たるレミアにとって、そうして這い寄ってくる輩は別段めずらしくなかったし、食料を探すよりも呼びつけるほうが楽だったし、信奉者をはべらせるは高貴なる者にとってのステイタスでもあったから。
 わたしを裏切ったら殺せばいいしね。
 ずっとそう思ってきたし、今も変わらずそう思っている。
 わたしは緋十郎を殺す。だって、飼い主の前であんなガキのことばっかり考えてるような猿、いらないもの。わたしが死ねって言ったら逃げ出すかしら? あの、雪娘のところに……。
 激情に任せ、伸び出した爪。それが力なく縮み、持ち上げた手ごと下へ落ちた。
 ああ、もう! レミアはいらだたしく息をつく。
 雪娘の名をつぶやき、気味悪く歪めた顔を窓に映す緋十郎。見るだけで怒りが喉元を突き上げ、衝動をかき立てた。
 なのに、いざとなればこの体は立ち上がることを拒み、心は萎え、この身に宿る暴力は寂寥の内に霧散するのだ。
 わたしは、わたしのものじゃなくなった緋十郎を惜しんでいるの?

 雪娘との初会合の後、ある依頼で自らの過去を緋十郎へ見せつけたことも、結局のところは惜しんだからなのかもしれない。
 百の少女の魂を贄とし、真祖として蘇ったレミア。
 どう、わたしにはそれだけの価値があるのよ。畏まりなさい跪きなさい拝しなさい! わたしに仕える悦びにむせび泣くの。
 当然よね? だってこんなに高価なわたしが猿ごときへそうしろって言ってあげてるんだから。さあ、早く這いつくばって踵を乞いなさいよ。あなたの魂、肉と骨ごと踏み抜いて縫い止めてあげるから。思い知るのね、猿の性とわたしの情けを。
 もっとも、思い知ったのは緋十郎ならぬレミアだったが。
 そこまでして緋十郎を縫い止めたかったのは、わたし。おかしいわね。最初は緋十郎に追われる立場だったはずなのに、今は――
 激情が引いた後に残ったものは不安だった。嗜虐を遙かに超えた理不尽なる暴虐を宿す彼女を恐れ、緋十郎がますます離れていくのではないかと。
 だからこそ。引き込まれた夢から醒めた彼女はすがってしまった。千年の孤独をあえて語り、約束をねだった。
『もう独りにしないで』
 果たして緋十郎は自らの不徳を恥じ、レミアに誓ったのだ。もう不安にさせなどしない。この身を尽くし、生涯をかけて守り抜く。
 緋十郎の意志を感じ、涙を見たレミアは胸の内で高笑ったものだ。
 猿がわたしに還ってきた。
 これでもう、怯える必要はない。悋気する必要もない。
 わたしはもう、雪娘を思い出してやることも、ない。
 左手の薬指に贈られた赤黒き指輪は、レミアにとって唯一の祝福となり、無二の救済となったのだ。

 それからの日々は穏やかに過ぎていった。
 愛の巣には緋十郎の呻きと絶叫とが満ち満ち、レミアの頬には消えぬ笑みが灯り……これほどに甘やかな時間は、彼女の長き半生の内でも並び立つもののない至福だったと言えよう。
 すべてが満ち足りた小さな世界に在るものはレミアと緋十郎、ふたりきりだった。
 なにをしても、なにをされても、互いに赦し、赦される。存分に穢した獣人に我が身を浅ましく貪らせる中、レミアはこの上ない喜悦に突き上げられるまま叫んだ。
「わたしだけを見て――わたしだけを感じて――わたしだけを――」
 そして八ヶ月が過ぎたころ、蜜なる時は唐突に終幕を迎える。

 ロシアの西部に雪娘は再臨し、レミアと緋十郎は討伐チームの一員として凍土を踏んだ。
 夫婦の絆をもって、今こそ雪娘を討つ。そのときには確かにそう決めていたはずの緋十郎の心が、再会の瞬間、割れ砕けた。
 硬いものと思い込んでいた連れ合いの意志は薄く、もろかった。いや、確かに硬くはあったのだろうし、揺るぎなく厚いものでもあったのだろう。その内に塗り込めてきた雪娘への想いは、それを容易く壊してしまうほどに大きく、強かっただけで。
 ああ。
 レミアは嘆息した。
 自分は知ってしまった。緋十郎の心を押し込めていたものが彼女への愛ならぬ、雪娘への諦念であったことを。
 レミアの思いを知らず、緋十郎は踏み出した。これは作戦だ。少年を雪娘から救うための、ただの芝居。
 でも、それですむはずがないわよね。だって緋十郎は雪娘と共に生きたいのだもの。友誼を結んだ仲間に、そしてなによりこのわたしに言い出せなかっただけで。
 わたしは全部お見通し。言わずにいたのはきっと……口にしてしまうのが怖かったから。言ってしまえば本当にそうなってしまう、言わなければ包み隠したままでいられるんじゃないかって、願ってしまった。
 真祖の王女が聞いてあきれるわ。誰もが畏れ敬う絶対の存在だと胸を張りながら、その実たった一匹の猿の心変わりが怖くて震えるのだもの。
 ここに来たのはまちがいだった。
 清算なんてできるはずがなかったのに。だって雪娘は猿にとって過去の過ちなんかじゃない。今このときに在って、先々まで共に在りたいかけがえのないものなんだから。
 緋十郎はもう忘れられない。もうごまかせない。もう止まれない。
『――俺の体を使え』
 そのとき雪娘の依代となっていた少年への憎悪と嫉妬を滾らせ、表情ばかりは平静を装い、雪娘を誘う。そんな奴じゃなく、この俺とひとつに!
 緋十郎の言葉を雪娘は受け入れた。能力者という強靱な依代を得ることが魅力だったのかもしれない。それこそ少女の移り気ゆえの戯れだったのかもしれない。
 正直なところ、袖にも引っかけないのではないかとレミアは期待していたのだ。そうしてくれればもしかしてと、祈っていた。だが雪娘の真意はともあれ、事態は残酷なまでにレミアが恐れたとおりの軌道を辿ってしまった。
 この後どう転がっても、行き着く先はひとつよね。
 レミアが胸中でうそぶいた言葉は誰に届くことなく、エピソードは分岐点へ差しかかり。
 緋十郎は、雪娘に背いた。
 その心情の揺らぎを推し量ることはできる。ただ、それは無意味であろう。結果として緋十郎は、仲間と共に雪娘を欺し討つことを選んだのだから。
 このときレミアはわずかに心を和らげていた。この先に待つ緋十郎の結末を知っていればこそ。それが来るまでの間、わたしは猿の妻でいられるんだから。
 かくて作戦は失敗し、緋十郎の願いもまた叶えられることなく終わる。
 緋十郎の心を絶望が埋め尽くす様を感じながら、レミアは本当の結末が訪れるときを待った。そして。
『あなたたちの言葉は二度と聞かない』
 雪娘はその身を翻した。
 残された言葉は、緋十郎の剥き出しの心へ突き立ち、呪詛となって侵す。
 俺は、赦されざる咎を負ってしまった――償えるはずのない――それでも俺は――緋十郎の心が裂かれ、想いが散る。なのにその欠片は風に吹き流されることなく彼へと降り積もり、凍雪のごとくにその心を塞いでいった。
 言ったでしょう? 緋十郎はもう忘れられない。もうごまかせない。もう止まれない。
 哀れね、猿。雪の影を追ってみっともなく走り回るしかなくなった気分はどう?
 哀れね、わたし。猿の離心を知りながら、特等席からその右往左往を見物するの。でも。
 お互いにそれがゆるされるかどうかは、わからないわね。
 パギン。今度こそどうにもならぬほどに違えられた誓約――わたしにすべてを捧げなさい――が不変であるはずの幻想蝶を砕き、塵へと変えた。

 幻想蝶は緋十郎の心移りを、レミアの問いを赦さなかった。
 その裁定に従い、レミアは緋十郎から離れることも考えたが……その足は重く、一歩を踏み出しきれなくて。
 レミアはあらためて己が心に問う。
 緋十郎は誓約を裏切って、わたしを裏切った。殺しても足りないほどの恥辱を与えられて、どうしてわたしは猿を殺さず、離れることさえためらうの?
 考えるまでもない。
 残っているからだ。この体に、この心に、この生に、緋十郎の熱が。それは彼女に千年つきまとってきた孤独を祓うただひとつのぬくもり。それを喪えば、すでに冷えたままではなくなってしまった彼女は今度こそ孤独の底で凍え死ぬ。
 去るも留まるも、とどのつまりは逃げること。どちらを選ぶこともできぬまま、レミアは我が身を呪うよりなかった。
 わたしは弱くなった。こんなことにも耐えられないほど弱く。
 それでも選ばなくてはならない。緋十郎から逃げ出すのか、自らの恐れから逃げ出すのか。
 ……選びたくない。
 どうしてそんな無茶なことを考えるの? 選びたくない。だって、ふたつにひとつでしょう? 選びたくない。それしかないのに駄々をこねて、いったいそれになんの意味があるの? 選ばない。
 レミアは選択を拒否し続ける真意に向き合った。
 じゃあ、わたしは――本当のわたしは、どうしたいの?
 逃げるために選ぶなど、王女の誇りが赦さない。
 ちがう、そうじゃない。そんなことじゃない。
 レミア・ヴォルクシュタインは、レミア・ヴォルクシュタインから逃げることを赦さないのだ。緋十郎という愚直なばかりの男がそれゆえに輝かせる熱情、それに魅せられた自分を忘れることを、ごまかすことを赦さない。
 なら、止まることも赦されないわよね。わたしがわたしであるために。

 レミアは緋十郎と三日三晩向き合い、多くを語り合った。
 緋十郎は自らの身勝手を詫び続けたが、命をもって償うとだけは最後まで言わなかった。
 少し腹立たしくはあったが、しかたない。猿はびっくりするくらい愚直だから、死ぬとは言えないわよね。
 それは始めからわかっていたことだから、言わない。代わりにレミアは告げる。
「猿は猿の想いを貫きなさい。わたしはわたしの想いを貫くわ」
 緋十郎はただただ深く頭を垂れる。
 猿はきっと赦されたんだって思ってるわよね? それは半分だけ当たり。言ったでしょう? わたしはわたしの想いを貫くって。
 緋十郎。あなたは想いを貫いて、雪娘の足元にはべるのかもしれない。でもわたしは願うことをあきらめないのよ。緋十郎がいつかまた、その想いでわたしを貫くときが来ることを。
「想いを貫く。それを新たな誓いに」
 重ねられたレミアと緋十郎の手の内、新たな幻想蝶が形を結び、確かな重みを成す。
 未来がどうなるかなんてわからない。でも、緋十郎が選ぶ未来がどうであれ、その熱情あるかぎり砕けることない標をここに灯しましょう。その標は、誰よりも弱いわたしを導く灯火にもなってくれるはずだから。

 誓いから二ヶ月の後。
 シベリアの大地を揺るがすレガトゥス級愚神の西征を押し止めると引き換えに、レミアと緋十郎は機械じかけの雷神に撃ち据えられる。
『レミア、俺はおまえを追うぞ。どこまでもだ』
 最期のときに緋十郎が告げたものは本心だったのだろう。しかし、欺瞞でもあるのだろうとレミアは思った。
 やさしい嘘ね。本当は雪娘に残したい言葉があったはずなのに、ここまでいっしょに来たわたしに誠意を尽くしてみせた。いいわ。今はそれだけで。
『好きにしたら? わたしは待たないけどね』
 精いっぱいの冷たい嘘で鎧った言葉をレミアは返し。
 彼の魂に牙を突き立てた。
 緋十郎にとっては心外だろうし、わたしにとっては不本意だけど、消え失せるよりは望みがあるから。お互いに賭けましょう? 想いを貫く資格があるかどうかを。

 かくて仲間の手により、邪英化を解かれたふたりは雪娘と三度道を交えることとなった。
 想いを貫くがため緋十郎は駆け、想いを貫くがためレミアはその背を見守る。
 願いという名の賭けの結果が出るときまで、ふたりは同じ道を行くのだ。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【レミア・ヴォルクシュタイン(aa3678hero001) / 女性 / 13歳 / 血華の吸血姫】
【狒村 緋十郎(aa3678) / 男性 / 37歳 / 緋色の猿王】
 
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2018年05月08日

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