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『成長記録 』
和紗・S・ルフトハイトjb6970

「ん‥‥」
 ベビーカーを押して病院から一歩外へ出た和紗は、思いの外強い日差しに目を細めた。
 慌ててベビーカーのひさしを下ろす。座席では、ほんのひと月前に彼女自身が産み落とした第一子、リヒトがすやすやと寝息を立てていた。
 目覚める様子はない。和紗は一安心して、ベビーカーを押し歩き始めた。外の明るさに目が慣れると、今度は草の薫りをはらんだ風が少々強めに通り過ぎ、和紗の長い髪を揺らしていった。

 春の風吹く、とある五月の日。



 カラカラ、と小気味よい音が鳴る。
 手の先のベビーカーが微かな振動を伝えてくる。その先に我が子がいるとなれば、和紗はそこから意識をはずしきることは出来ない。
 子供が産まれてからと言うもの、特に外出時において、和紗の両手が自由になったことは皆無と言って良かった。
(でも、それはきっとこの先‥‥ずっとそうなのでしょうね)
 夫を始め周りのものも皆協力してくれているが、だからといって己が母親であることを放棄するつもりもない。
 ベビーカーを押し、子供を抱き、歩けるようになれば手を引くだろう。
 そうやって、成長を見守っていくのだと思う。

 道ばたでつと、足を止め、ベビーカーの中の様子をうかがう。
 我が子は変わらずよく眠っていた。さっきとまるで一緒なのに、和紗はそれだけで微笑みを浮かべた。
 乗せた途端にぐずり出しはしないだろうかと不安もあったが、今のところは杞憂であるようだった。
 ベビーカーを押して歩き始める。カラカラと車輪の回る音がする。
 車通りの少ない道を選んでいることもあって、昼下がりの町は静かだった。時折風の音が鳴って、車輪の音を隠す程度だった。
 病院を出るときには強く感じた日差しも、今は程良く心地よい。
「今日は良い日ですね、リヒト」
 ほとんど独り言のように、和紗は口に出した。
 ただ穏やかに道を歩くだけで、彼女の胸の内は確かに充足していたのだった。

   *

 曲がり角から、ぴゅっと飛び出してくるものがあった。
 それは黒猫だった。小さな猫は、和紗に気が付くと、何かを告げるように「なぁ」と小さく鳴いて、またぴゅっと飛んでいった。
(黒猫が横切るのは不吉の前兆、とも言いますが‥‥)
 なんとしたものかと思案しながら、再び歩みを進めようとすると、今度は人影が飛び出してきた。
 人影はそのまま和紗の前を走り抜け──しばらく行ってからブレーキをかけ、戻ってきた。
「カズサだった。‥‥こんにちは」
 律儀に挨拶をしてきたのは、リュミエチカという悪魔の少女であった。
「こんにちは、リュミエチカ」
 不意に現れた友人に、驚きを交えつつも和紗は挨拶を返した。
「良い天気ですね。お散歩でしたか?」
「猫を追いかけてた」
 リュミエチカは、普段通りの無表情で淡々と答える。
「猫‥‥と言えば、先ほどの黒猫でしょうか。あちらへ走っていきましたよ」
「ふうん」
 追いかけていた、という割にはたいして興味もなさそうにリュミエチカは頷いた。ベビーカーの中へ向かって屈み、「こんにちは、リヒト」と声をかけている。
「寝てる」
「今は熟睡ですね。‥‥リュミエチカ、猫はいいのですか?」
 一応確認してみると、リュミエチカは一度だけ猫が去ったであろう方向へ顔を向けた。
「カズサがいたから、いいや」
「そうですか。‥‥では、お話しながら行きましょうか」
「ん」
 頷いて和紗の隣に立つ彼女は、相変わらずサングラスをかけているのでなおのこと表情が読めない。
 ただ、嬉しそうにしているな──というのは仕草の端々から読みとれた。

 近くに公園があったので、休憩がてらそこでおしゃべりすることになった。ベビーカーを脇に置いて、和紗とリュミエチカは並んでベンチに腰掛ける。
「カズサは、お散歩してたの?」
 リュミエチカが問うた。
「いえ、俺は今日、一ヶ月検診だったのです」
 産後一ヶ月経った赤子と、母親の健康状態を確認する検診。先月五日にリヒトが産まれたので、まさにそんな時期であった。
「母子ともに問題ないとのことでした」
 和紗は幾分安堵が混じった笑みを浮かべた。
「子育て、大変?」
 和紗は、少しばかり思案する。
「そうですね。大変はもちろん、大変ですが──」
 やはり初めての子育てである。知識は事前に得られても、不安は多い。実際、直面してみなければ対処の分からぬ出来事も多かった。
 だが、今安らかに眠っている我が子を一目見れば、それは苦しい思い出ではない。
「ですが、日々新しい発見に溢れていますよ」
 強がりでも何でもない、本心からの思いだ。
 夫や店の皆の後押しもある。その分、和紗は胸を張ってそう答えることが出来るのだった。

 リヒトは、相変わらずベビーカーの中で寝息を立てている。
「この子には、三界の血が流れています」
 息子の様子を慈愛の目で見つめながら、和紗が言った。
「三界?」
「夫は天使ハーフと悪魔ハーフの両親から産まれた、三種族の混血なのです」
 その血を引くリヒトもまた、天界と冥魔界の血を引き継いでいることになる。
「藍みがかった黒髪や顔立ちは俺似のようですが、瞳は彼譲りなんですよ」
 今は眠っているので見られませんが、と付け加える。リュミエチカはベンチから降り、ベビーカーの前に屈んでのぞき込む。赤ん坊は微かに身じろぎしたが、まだその目を開く様子はなかった。
「夫も両親を知らないので、この子が祖父母のどちらと似たのかは分かりませんが‥‥」
 夫『も』、と言ったのは、話を聞いているリュミエチカも同様に両親を知らないからである。
「この子の瞳を見ると、祖父母と繋がっているのだと思えて嬉しいのです」
 直接会うことは、かなわないのかも知れない。だが、受け継がれるものを辿れば、出会えないものに出会うことが出来る。
 その世界の存在を、より身近なものだと感じることが出来るのだ。
「リュミエチカの故郷も、少しだけリヒトに入っていますよ」
 厳密には魔界か冥界かは分からないのですが、と言って、和紗は笑った。
「ふうん」
 リュミエチカは、リヒトのぷくぷくとしたほっぺを見つめながら頷き、言った。

「でも、たぶん、大丈夫だよ。‥‥みんな、いるから」

 それは唐突な言葉かも知れない。
 だが和紗には、リュミエチカが何を考えていたのかが伝わった。

「ええ」
 だから、力強く頷いてみせる。
「皆がいるから、大丈夫です。もちろん、リュミエチカも」
「ん」

 三界の血を引くこの子の成長は、三界が手を取り進む世界の成長と共に刻まれていくだろう。
 その道は決して平坦なばかりではあるまい。

「でも、心配はしていません。この子が立派に成長をしていく‥‥それを見守るのが、俺はとても楽しみなのです」

 ベンチに深く腰掛け、胸一杯に空気を吸い込む。
 五月の薫風はとてもさわやかで心地が良かった。

   *

「‥‥ん、あ、あー」

 ベビーカーの中の赤子がぐいと身じろぎした。

「んー、あー」

 青色の、猫のような瞳を見開いたかと思うと、無軌道に手足をばたばたさせている。
「リヒト、起きた」
 その様子を見ながら、リュミエチカはそう告げた。
 だが、和紗の返事はない。
「‥‥カズサ?」
 リヒトから視線を移すと──ベンチに深く腰掛けて、和紗はすうすうと寝息を立てていた。
「あー、う、あー」
 息子はその間にも手足をぱたぱた。

「‥‥しぃー」

 リュミエチカは戸惑いながらも、リヒトに向けて人差し指を立てるのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb6970/和紗・S・ルフトハイト/女/21/お母さん一年生】
【jz0358/リュミエチカ/女/14(外見年齢)/高校一年生】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました! 一ヶ月検診の後、我が子を交えての語らいの時間をお届けします。
子育てまずは順調なようで何よりです。それでもお母さんは大変だと思いますけれど。
イメージに沿う内容となっていましたら幸いです。
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嶋本圭太郎 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2018年05月09日

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