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『一刺しの逃避 』
ユエリャン・李aa0076hero002)&凛道aa0068hero002

 覚えているのは狂気的な使命感。
 あれも、これも、それも、刈り取らねばならぬ罪だと、鎌を振り上げたのを覚えている。

 ――ただ従うだけの刃のままであれば、きっとこんなに苦しくなかった。
 ――あんな苦しい暴走の仕方も、きっとしなかった。

 ――物言わぬ断頭台が羨ましい。







「りんどう――」

 ユエリャン・李(aa0076hero002)は友の名を呼んだ。声は静寂へと虚しく飲み込まれていった。
 雨が降っている。けれど不思議と雨音が聞こえない。それが、この場所が現の場ではないことを物語っていた。ここは友人らの住む日本家屋である。なれど本当のそこではない。シンと静かだ。電気は点いておらず、誰もいない。何も聞こえない。
 そこはユエリャンにとっては我が家のように見知った空間である。なれど所々物がなく、そこにはポッカリと空虚がある。閉められた障子を開けた。りんどう、と名前を呼んだ。やはり返事はなかった。
「――、」
 ユエリャンははらりと零れた髪を掻き上げた。髪を結わえまとめて来れば良かった、と寸の間の後悔をする。
「いないのかね?」
 いつもより大きめの声で、今一度ユエリャンは空間へと呼びかけた。しかし、ここには誰もいないようである。ではどこに? もっと奥に?

 ――凛道(aa0068hero002)が幻想蝶から出てこなくなった。
 とある任務における邪英化、不本意なる暴走。
 凛道は、一般人を殺めかけた。結果的に防がれたとはいえ――殺そうとしてしまったのだ。
 そのことが、優しい彼の心にどれほどの影を落としたのか……。

 心の傷は見えず、触れること能わず。
 ゆえに体の傷のように、傷の具合を見たり薬をつけたり包帯を巻いてやったりすることはできない。そして体の傷よりも、うんと治療に時間がかかる。ユエリャンはそのことを知っている。だからこそ、まだ待ってやりたい気持ちもあるのだけれど……。

「この物語を、君はその目で見届けなくてはならないだろう」

 こうしている間にも、世界は変わりゆく。目まぐるしいほどに移ろいゆく。
 待ったなし、と言わねばならぬ状況であった。

「凛道、竜胆、どこにいる?」
 ユエリャンは駆ける。風景は、いつか彼と来たショッピングモールに変じていた。されどそこにも誰もおらず、何も聞こえず、ユエリャンの足音と荒い息遣いと、そして彼の名前を呼ぶ声だけが響き続ける。だだっ広い空間なだけに、完全に誰もいないと妙な不安感が這い出して来る。まるで自分だけが世界から隔絶されたような。だからこそとユエリャンは、走るのは得意でないのに足を急がせるのだ。こんな場所に、彼はずっと一人きりでいるのだろうから。
「う、っ わ」
 最中のことだ。慣れぬ走行に足がもつれ、ユエリャンは転倒してしまう。ちょうど止まっているエレベーターを昇っているところだった。みっともないぐらい、転げ落ちてしまう。英雄はライヴスの通わぬ攻撃で傷付かない。なれど擦り剥けたように打ったように全身が痛む。ユエリャンは歯を食いしばった。彼の足には、紅のピンヒール。走るのにはあまりに向いていない靴。それを乱雑に、脱ぎ捨てて放り投げた。からころ、と赤いそれはエレベーターの一番下まで転がって行き、そして、遠ざかっていく主の素足の足音を静かに聴いていた。







 ――ただただ怖くて、逃げ出してしまった。
 ――何が怖かったのか、考えるのも嫌で、ずっと眠ってしまっていた。
 ――全てをふさいで眠った先の夢は、何もない、酷く甘美なモノだったような気がする。

 ――邪悪は誰だ?







 いつか彼と来た場所だ。
 アイドルライブの会場も。ゲームセンターも。何の変哲もない電車の中も。迷路のようにツツジが咲き乱れる庭園も。
 ここも、あそこも、――。

 だけど、どこにも、彼はいなくて。

「はぁっ―― はあ゛ッ……」
 息は上がりすぎて吐息は濁り、喉も肺も酷く痛い。
 それでもユエリャンは走った。友人の名前を、痛い喉で叫びながら。

 ――ここはどこだろう?

 無我夢中で走って、走って。
 気が付けばユエリャンは、春の陽の下にいた。
(桜……、)
 視界に舞うのは、薄紅色の柔らかな飛沫。だだっ広い空間に植えられた大きな古い桜の木。満開だった。その枝の先々に咲き誇る花が、幾つもの花弁を舞い散らせている。
 寸の間、思わずそれに目線を奪われ――ユエリャンは本来の目的に我に返ると、視線を巡らせた。そこは処刑場のようである。中央には断頭台があった。罪人が死ぬ場所である。
 一陣の風が吹く。桜花がひときわ舞い散る――薄紅に隠される視界が晴れれば、そこに彼がいた。仮面をつけた処刑人が、処刑台に横たわっていた。
「竜胆!」
 ユエリャンは力を振り絞って彼に駆け寄る。処刑台へ。友の傍へ。その仮面を外せば、やはり、凛道であった。死者のように目を閉じている。
「起きろよ、竜胆。君の居なくなった此方は、酷く退屈だ」
 桜の積もった友の体を揺すった。春を浴びた黒の外套は温かい。
「――……」
 ほんのわずか、凛道の瞼が震えた。直後にゆっくりと彼は目を開いた。
「おはよう、ございま、す?」
 しかめた顔。ぼやける視界。少しずつ、凛道の世界のピントが合う。見覚えのある赤い色が、あった。
「ユエさん……? あ――」
 凛道は友の顔を見るなり、目を丸くする。
「竜胆、……どうしたのかね?」
「汗が白い。睫毛が片方ない。目の周りが真っ黒です。どうしたんですかそんなヤバイ顔して……」
「……」
 ユエリャンの顔がヒクッと引きつった。汗だくになって化粧は削れ、ファンデーションを含んだ汗は白く濁り、付け睫毛も片方外れ、アイシャドーやアイラインも汗に溶けて、目の周りがデスメタルバンドのメイクみたいになっている。
 まあ、これだけ汗をかけば化粧も多少は崩れていただろう、そのことをユエリャンも理解はしていたが。面と向かって「ヤバイ」と言われるとイラッとするものである。と、同時にだ。凛道らしさを感じて安堵している心もあった。それはさておき。
「君は本当にデリカシーがないなッ!」
 一発殴らせろ。







 ――夢の終わりは、芥子の花。

 凛道はボーっと空を見上げていた。その背では、ユエリャンがどこぞに持っていた化粧落としシートで潔くメイクを落としている。見るなと言われたので背を向けているが、それまでに見えたユエリャンの姿を凛道は思い出していた。崩れたメイクにボサボサの髪。かつかつ鳴るハイヒールすらなくて。「どうしてですか」とは問わなかった。ただ、黙って、凛道は「いい」と言われるまで背を向けていた。
「さて」
 かくして、ユエリャンのその一言で、凛道は振り返る許しを得た。
「言いたいことはいろいろあるが」
 すっぴんになったユエリャンは今一度凛道を見、溜息を吐く。

 ――呼吸数回分の沈黙。

「確かに……」
 視線を桜に、ユエリャンは処刑台に腰を下ろしつつ。
「……ただの道具であった方が間違いはないのかもしれない。全て委ねた方が楽であるとも」
 心は難解だ。心の傷は厄介だ。――考える兵器として産んだ子らは果たして幸せだったのか。稀代の天才と謳われた万死の母ですら分からない。けれど。
「……、けれど。竜胆。君は我輩にとって、武器である前に親友で――それすらも切り離してしまうつもりなら、それはとても悲しいんだ」
 頭の回転が早く饒舌なユエリャンにしては、言葉を選びつつの物言い……そんな印象を、凛道は受けた。桜を見つめるユエリャンの横顔はどこか寂しげで、それは真剣であるからこそ、そしてユエリャンにとっての“痛み”を噛み砕きながらの言葉だからこそと、凛道は理解する。
「邪に落ちたあれが、たとえ僕のせいでなかったとしても……」
 凛道の眉尻が下がる。俯いた視線の先、足元には桜の散った影がある。花弁が彩る景色に反して、凛道の脳裏に過ぎるのは血と炎と悲鳴の記憶だ。
「あんな部分が僕の中にあることが怖くて。道具としては、不良品でしかなくて。僕が思っていた正義の形とは、全然反対で。怒られるかもとか、捨てられたりするのも怖くて」
 言葉を紡ぎゆくと、声が震えてしまう。俯いているがゆえに友の顔は見えない、けれどユエリャンがじっと耳を傾けてくれている気配を感じた。その沈黙は優しく、凛道の心の声を促している。――本当に、自分にはもったいないぐらい、良い友人だと、彼は改めて痛感した。
 そう、だからこそ。凛道は本当の気持ちを、言葉として紡ぎ出すのだ。

「でも、ユエさんが悲しいのは、もっと嫌です」

 自罰で大切な友達が悲しむのなら。それこそが罰すべき罪だ。
 凛道は顔を上げる。ユエリャンは苦笑のようなくすぐったいような笑みを浮かべていた。
「君の使い手は二流だが、決して君を捨てたりしない。そういう男だ。不良品にならぬよう共に考えることは、我輩にもできる。次の暴走も我輩達が止めるだろう。一人でないことは、必ず君を救う筈だ」
 そう締め括って、ユエリャンは掌を差し出した。
「さて、それじゃあ……帰ろう、一緒に」
 その掌に、ひとひらの花弁が舞い落ちる。凛道はその薄紅色を見届けて――「はい」と頷き、掌を重ねた。握り返す柔らかさと、体温と。

 風が拭く。
 桜の花びらが舞う。
 目覚めの刹那、ユエリャンは呟いた。

「……それと、ごめんな。君が一番苦しい時に、側にいなくて」

 りんどう。この世界で、最初の友人で唯一の親友。







 太陽の光を見るのは何日ぶりだろうか。こんなにも眩しかっただろうか。

「寝坊したら友達が迎えに来てくれるの、凄い嬉しいですね!」
「迎えに行く方はたいへんであるが、な」
 ユエリャンは素足のまま、肩を竦めて見せた。



『了』




━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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ユエリャン・李(aa0076hero002)/?/28歳/シャドウルーカー
凛道(aa0068hero002)/男/23歳/カオティックブレイド
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2018年05月14日

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