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『士の誓い 』
日暮仙寿aa4519)&リオン クロフォードaa3237hero001)&不知火あけびaa4519hero001)&迫間 央aa1445)&墓場鳥aa4840hero001)&ナイチンゲールaa4840)&氷鏡 六花aa4969)&藤咲 仁菜aa3237)&マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001
 日暮邸。その内庭に建てられた剣術道場の板間に、日暮仙寿は座していた。
 上座には日暮現当主である父がいて、すがめた眼で向かいにある仙寿を見やる。
 いや、見定められているんだ、俺は。
 仙寿は思わず姿勢を正しかけて、やめた。
 体を硬直させてしまえば刃を抜き打つ迅さが鈍る。
 心を緊張させてしまえば刃を抜き打つ機先を逃す。
 あえてゆるやかに上体を前へ傾げ、左の脇に置いた雷切へ意識を置き、半眼をもって父と対する。
「ふむ」
 父はうそぶき、眼を閉ざした。
 ただ閉ざしただけなのか、それとも読ませぬために視線を切ったのか、仙寿には判別がつかなかった。それなり以上に成長したつもりだったが、俺はまだまだ浅い。
 読めぬ以上は沈黙を保ったところで無意味。
「父上、俺に用とは?」
 父は応えず、かすかに顎をしゃくる。すると。
「失礼いたします」
 道場に気配もなく踏み入ってきたのは家人――日暮の裏稼業を支える暗刃の一枚であり、さらに言えば仙寿の“嫁”がひとりでもある女、梅六(うめろく)だ。
 彼女は捧げ持った刀袋を仙寿の前に置き、父の右斜め後ろへ控える。当主が抜き打つ際、その刃の到達がもっとも遅れる“隙”を守ろうというわけだ。
 もちろん、仙寿は自分が信用されていないなどと落ち込みはしない。このような稼業である以上は当然の用心だし、そもそも自分は家をある意味で裏切っている立場なのだから。
「抜け」
 刀袋を剥いた内より現われたもの、それは。
「椿の大太刀、か」
 日暮の表稼業、剣術指南役を継ぐに足ると認められた嫡流に与えられる儀礼刀。今も仙寿の腰にある、裏を継ぐ者の証たる椿の短剣と対になるものだ。
 しかし。なにを成したわけでも、なんの節目でもないこのとき、なぜ父はこれを?
 仙寿の疑問を先読んだかのように父は立ち、彼の脇をすりぬけていった。
「自ら悟るがいい」
 梅六もまた父に従い、道場を出て行く。
 後に残された仙寿は独り、並べて置いた大太刀と短剣とを見据えるばかりであった。


「仙寿様、鈍いね」
 鈍い? 俺が? 仙寿は思わず顔を上げる。
 世界が彩を取り戻し、その中心に在る不知火あけびが鮮やかに浮かび上がった。
「剣先が鈍い。それじゃ稽古の意味がないから」
 道着の肩に木刀を担ぎ、息をつくあけび。
 今は稽古中で、仙寿はあけびと型をなぞっていた。まったく、これが相懸かり――互いに竹刀や木刀で打ち込み合う稽古――だったら額を割られていたところだ。
「すまない。考え事をしていた」
 木刀を刀かけに戻し、仙寿はあけびに一礼して道場の隅に座した。壁にもたれかかった仙寿の背が、いつになく傾いでいる。
 となりに座ったあけびはそっと彼の顔をのぞきこみ。
「悩んでる?」
 あっさりと言い当てられ、仙寿は苦笑した。普通は疲れているかと訊くだろうに、あけびは鋭い。
「親父に謎かけをされた」
「どんな謎かけ?」
 仙寿はためらった。すべてを語れば裏の話を明かすこととなる。障らぬよう濁せばいいのだろうが……
「私、仙寿様の話なら全部聞くよ」
 あけびが仙寿の手に手を重ねた。気づかいと決意とをぬくもりに込め、染み入らせるように。なにを聞いても私は揺らいだりしない。仙寿様の全部、受け止めるから。
「あけび――」
 濁したくない。俺はあけびに俺を偽りたくない。
「――俺は剣術家の次代というだけじゃなく、裏の稼業の次代でもある。日暮が繋いできた暗殺剣の」
 突き上げられるまま仙寿は語り出していた。濁りのない言葉で、仙寿という存在のすべてを曝け出して。
 対してあけびは。
「わかったふりはしたくないからはっきり言う」
 真剣な顔を仙寿にまっすぐ向け、息を吸って。
「それがどうした!」
 思いきり言い放った。そして。
「表も裏もない、私にはただの仙寿様だから」
 ほろりと笑んで、仙寿の肩に肩を預けた。
「話してくれてうれしかったよ」
 ま、そんな感じなんじゃないかなーとは思ってたけどね。私もほら、綺麗事じゃ済まない忍だし。察しちゃうとこあったりするんだよね。
 あえてかるい口調で言い添えるあけびに、仙寿はただうなずくことしかできなくて。今、なにか言い返してしまったら、言葉以上のものが溢れだしてしまいそうで。
「――謎解きだね! 表と裏の証を今渡された意味……」
 あけびは首を傾げて考え込み、うなずいた。
「多分、答って仙寿様の中にあるんだと思うけど。だってご当主の質問、そもそも問いじゃないし」
 仙寿は思う。俺が今の俺になれたのは、俺の力なんかじゃない。出逢いがあったからだ。世界の裏側を見てきた俺はおまえらとはちがう、そう思い込んで斜に構えた俺は、みんなと出逢って変わることができた。
 答が俺の内にあるなら、式はみんなの言葉にこそある。
「俺を俺にしてくれたのはあけびと、みんなだ」
「うん」
 だよね。だって仙寿様はちゃんとわかってるんだから。


「そういえば道場のほうに邪魔するのは初めてか」
 マイヤ サーアと共に日暮の剣術道場へ踏み入った迫間 央が、奥まで目をやってふむと鼻を鳴らした。
「剣道場とちがって神棚がないんだな」
「それなりに歴史がある道場だからな。明治からの風習に従う義理はないということらしい」
 仙寿の言葉に、マイヤがぽつり。
「奉る神のない場、ね」
 言葉に含みを感じるのは、俺が緊張しているからか……仙寿は息を整え、続く藤咲 仁菜とリオン クロフォードを迎え入れた。
「靴脱ぐんだよな?」
「うん。お部屋といっしょだよ」
 仁菜に言われて靴を脱ぎ、木床の上で滑りそうになるリオン。
「うわっと! なんだこのフローリング!?」
「丹念に磨かれているからな。慣れぬうちは素足のほうがいいだろう」
 リオンを助け、するりと入ってきたのは墓場鳥である。
「えっと、おじゃまします」
 墓場鳥の後ろでぺこりと頭を下げたナイチンゲールが、さらに後ろのひとりを促して。
「……ん、おじゃま、します」
 氷鏡 六花が姿を現わしたのだった。

「話す前に見てもらえるか?」
 仙寿が央と墓場鳥に視線を投げると、心得たふたりが立ち上がって木刀を取った。
「竹刀がないあたりはまさに古流だな」
「なるほど、直剣とは重心がちがう。刀とはこうしたものか」
 それぞれ感想を述べ、構える。
 仙寿は木刀をぶら下げてふたりに近づき、ふと吹いた。
「っ!」
 央がしかめた目尻にかるい衝撃が弾ける。それは仙寿が含んでいたプラスチックの玉。
 そこに央が気をとられている間、同じ速度で彼の背後まで歩み抜けた仙寿は手刀で彼の延髄をなで、次いで、墓場鳥が振り込んできた木刀に斜めから木刀の鎬をあてがって滑らせ、そのまま間合を詰めて人差し指を彼女の鎖骨のくぼみに押し当てる。
「暗器で目を潰して延髄を断ち、相手の剣を線路代わりに詰めて上から心臓へ打ち込む……過ぎるくらいにわかりやすい、暗殺の剣ね」
 マイヤの言葉に仙寿はうなずく。
「日暮にはふたつの顔がある。さる藩の指南役を務めた剣術家の顔と、権謀術数の内で家を繋ぐ必然から産み落とされた暗殺者の顔が。日暮を名乗る剣客と日暮を名乗ることを禁じられた刺客。そのどちらもが、俺だ」
 誰しも思い当たる節はいくらでもあった。過ぎるほどにこなれた刀捌き、剣士とは思えぬなめらかな足運び、そしてなにより尋常を超えた寸毫の見切り……それはあけびの修めたシャドウルーカーの術ばかりのものではありえない、熟達の業。
 押し詰まる沈黙、最初にそれを破ったのはリオンだった。
「やっぱり気のせいじゃなかったんだなー。だって剣道って真っ向勝負だろ? それだけじゃないよなって思ってた」
 その言葉を仁菜が引き取り。
「驚きましたけど、仙寿さんの強さの理由がわかってちょっと納得です」
 仙寿の目を見上げ、言い募る。
「エージェントになりたての仙寿さんと初めて会ったとき、思ったんです。死んじゃうかもしれない戦場で、こんなにまっすぐ立てる人がいるんだって。私なんて今でも必死だから……」
 仙寿はかぶりを振り。
「積んできただけだ、それだけの修羅を。俺の生はそういうものなんだと、思ってきた。でも俺はあけびと出逢って、誰に恥じることなく剣と義を佩く剣客になりたいと願うようになって……みんなと会った」
 俺にそんな資格があるのかと常に自問しながら、ここまで来てしまった。
「父はガキの俺に裏を継ぐ証を与え、そして今になって表を継ぐ証を与えた。俺にはわからないんだ。父の真意が。それを受け取った俺がどう応えるべきかも」
 己の発した闇の内へ沈み行く仙寿。
 それを留めたのは央だった。
「少し話そうか、仙寿君」

 央と仙寿に続いたマイヤと墓場鳥、そしてたまらない様子で飛びだしていった六花を除く四人は、なんとなく輪になって顔を見合わせる。
「もっと早く話してくれてもよかったんだけどな……なんて、言えないよな」
 リオンのため息にナイチンゲールがうなずいた。
「近くにいる私たちだからこそわかるよね。仙寿くんが決心して打ち明けてくれたんだって」
 ナイチンゲールもまた、仙寿の隠してきた闇に気づいていたひとりであった。
 家の宿命なんて大きなものじゃなくても、傷だけなら人一倍の量抱え込んできた彼女だからこそ、仙寿の心情は察せられる。
 でもね、私の傷を私は受け入れられたよ。そのために必要なことは、仙寿くんもわかってるよね。だから私たち、ここにいるんだもの。
「……私、うれしかった」
 と、仁菜がうつむけていた顔を上げた。
「隠しておきたかった昔のことも、今悩んでることも。仙寿さんが私たちに話してくれたこと」
 央や墓場鳥のような大人じゃない、歳下の自分たちにも打ち明けてくれた。その信頼がなによりもうれしい。
「だから伝えたい。いっしょに過ごしてきた私は信じてるんだって。これまでのこと全部飲み込んで、そうして今の仙寿さんになった仙寿さんのことだけ信じるんだって」
 強く言い切って、両手を握り締める。
 そこに握り込んだものは、過去の仙寿を受け止める覚悟と今の仙寿を支える決意。
「俺もニーナといっしょだよ。でも」
 リオンが仁菜をマントの内に抱え込む。
 闇の内を透かし見て、言葉を継いだ。
「仙寿さんが普通の剣士じゃない……それだけじゃないんだ。仙寿さんの家に来たとき、いつも感じてた。見られてる、監視されてるって」
 記憶こそなくても、元の世界では権謀術数の渦中にあったリオンである。たとえ気配を完璧に殺されていたとしても、肌で感じるのだ。なんらかの企みによって冷やされた視線は。
「今も、だよな?」
 リオンが言葉を発するより早く、あけびはさりげなくナイチンゲールのカバーに入り、どこからか伸び出してくる視線の“圧”を探っていた。油断していたわけではない。ただ上回られたのだ。闇に潜む者としての技で。
 しかし、刃を含めた業の練度でなら、遅れはとらない。
 果たして。
「お見それしました、当たりですー」
 場へ染み出してきたのは日暮の家人――クリスマスに迷った六花を抑えた、あの女であった。
「日暮の使用人、いえこの場では日暮六刃が一枚、四十雀と名乗りましょうか。ウソです今考えました! 日暮ネーム“梅六”と申しますー」
 あけびの気当たりをいなし、和装の裾を捌いて正座。足の親指を立てず、甲を床にべたりとついているのは、不戦の意を示すためのものだ。
「……どうして仙寿くんについていかなかったんですか?」
 最初からこの場にいたのであろう梅六に、ナイチンゲールが問うた。
 もし彼女が当主の命で監視を担っていたのなら、対象は家の秘密を漏らす仙寿でなければならないはず。それを見過ごし、さらにこの場へ留まった理由はなんだ?
 梅六は狐目をすがめ、手刀をちょんちょん。
「若はこちらへ戻ってらっしゃいますでしょ。顛末を見届けるのがわたくしの役目ですのでね」
 唐突な顔見知りの登場に戦意を鎮めたあけびが、鼻を鳴らして問いを重ねる。
「梅六さん。見届けるってどういうことですか?」
「教えられませーん」
 梅六は絞った視線をあけびに、その後方のナイチンゲールに、さらに横のリオンと仁菜へ向けた。
「若は禁を破ってみなさまにぶっちゃけちゃったわけですけど――うーん、妬ましいですね友情とかそれとかこれとか!――正式に継承した以上、若の意思こそ日暮の意思ですのでねー。家人が責められるわけもなし。とはいえ、ご当主ならぬわたくしどもは若の暴走、黙って見ているつもりはありませんよ」
 剣呑を閃かせた梅六に、あけびとリオンが思わず腰を浮かせるが。
「とか言っといて、どうするかとか会議中でして! いやはや困りましたねー」
 あっさり落としておいて、梅六は床を叩く。すると、たぱん。床板の何枚かが跳ね上がり、隠し通路を露わした。
「若もみなさまも、とりあえずは全力放置です。その間にわたくしどもは若を引っぱり戻す努力をさせていただきますけどもね。というわけで失礼をばー」
 梅六がするりと潜り込んだ次の瞬間、床板は元通りに閉まり、元のとおりに四人がいるばかりの空間となったのだった。
「継ぎ目わかんない……日暮恐るべし」
 あけびが仕掛けを探り当てるべく床に這わせていた指を上げ、ため息をついた。
「引っぱり戻すって、言ってたな」
 同じくため息を漏らしたリオン。彼の腕に仁菜は両手をかけて、握り締めた。
「っ、ニーナ!?」
「あの人とかお家とかが仙寿さんのこと引っぱり戻すんなら、私たちが引っぱり出しちゃえばいい」
「ニーナ……」
 腕に食い込んだ仁菜の手は震えていた。力を込めたからではなく、手に込められた激情で。
「あったかいところに、明るいところに、引っぱり出すの。暗いところに戻らせてなんてあげない。だって仙寿さんが悩んでるの、そういうことなんだって思うから」
 暗がりから日の下へ。
 卑怯未練の刺客から正々堂々の剣客へ。
 仙寿の行きたい先がそうであればこそ、あえて自分たちに見せたはず。
 血に汚れた自分が口にしていいはずのない願いを、それでもなお友と定めた者たちへ、誓いとして掲げるがために。
「そうだよな。仙寿さんも俺たちも、そうなんだ。だったら簡単だ」
 リオンは仁菜の手を握り締め、顔を上げさせた。
「そうなんだからって、あきらめない。俺たちは絶対に、仙寿さんのこと引っぱり出す」
 その言葉にナイチンゲールは息をつく。
 そう。簡単なことなんだ。
 仙寿くんが囚われているのは、なによりシンプルで哀しい「宿命」っていうロジック。
 それを打ち破るのは仙寿くん自身じゃなきゃだめなんだろうけど。
 私たちには見てることしかできないなんて理、ないんだから。
「待とう」
 ナイチンゲールは座りなおし、皆を促した。
「仙寿くんがここに戻ってくるの。そしたら伝える。私たちの本当の言葉を」

 星空の下、互いの姿が闇に隠れたことを確かめ、央は言葉を投げる。
「リオン君じゃないけど、これまでの付き合いで察してはいたよ。君の剣の後ろには別のものがあるってね」
 剣は時として、言葉以上に語ってしまうものだから。
「みんなに話そうと決めたときには思いもしなかった。肚を決めたつもりだった。でも俺は今、これほどまでに揺らいでいる」
 と。闇の内からマイヤの面が浮き出し、仙寿に並んだ。
「なら、どうして決めたの? こうなるだろうことはすぐに思いついたはずよ? あけびちゃんにだけ打ち明けておけばなんの問題もなかったでしょうし、仙寿くんが揺らぐこともなかったはずだわ」
 暗器を飛ばす必要性から、仙寿の腕の可動域は極端に広い。しかしマイヤは、奇襲が届かぬかすかな死角を的確に読み、体を置いていた。
 先に神社で立ち合ったときに読まれたか? いや、共に在った時間の内で、少しずつ読み解かれていたのだろう。そも、集まってくれた者たちの内でもっとも仙寿に近い存在はマイヤなのだから。
「今、俺は先代たる父に問われている。表と裏とを共に継ぐ者としてのなにかを。それを知るには、今の俺を築き上げてくれたみんなに問うよりないと思った。俺よりも今の俺を知るみんなに」
 マイヤは静かに息をつく。
 ワタシに過去の記憶があれば。きっとワタシは辛い顔を摸して、涙ながらに央へ語りあげたはず。そうすれば容易く心を操れるものね。
 ――仙寿くん、あなたはワタシと似ている、そう思っているでしょう? でもね、あなたはワタシと同じ闇に在りながら装わない。先へ進むために自分の弱さを晒せるまっすぐな男の子が、ワタシみたいだなんてありえないのよ。
 だから。
「それはすでにひとつの答じゃないかしら。仙寿くんはたくさんの誰かの中で生きている……そのことが」
 マイヤは央に添い、薄笑んだ。
「消えてしまえれば楽になれると、そう思っていたときがあった。でも、ワタシの消えてしまった記憶の底には奪ってきた誰かの命が積まれていて――ワタシはその業から逃げてはいけないと、そう思ったわ。贖えるはずはないけれど、最期まであがいてもがいて向き合うしかないと。――心を据えられたのは全部、央がそばにいてくれたから」
 ワタシは記憶がなかったからこそ、央に浅ましくすがりつけた。そのときの心を晒して、みっともなく訴えられた。だからこそ今のワタシがいて、今の央がいる。
「そうだな」
 央の手がマイヤを包み込んだ。けして離さないように。けして離れないように。
 マイヤの手がそれに応え、央の手を握り締める。
「人は独りで生きられるものじゃない。だから誰かを求めるし、そのせいでしがらみも抱え込むことになるんだけどね。……その上で君に訊いておきたいことがある」
 央が仙寿を見据える。そして強く、問うた。
「日暮仙寿は、これから先も家の命じるまま、誰かの命をその刃で断つのか?」
 突きつけられ、穿たれた――仙寿は大きくあえいでよろめく。
 裏を継いだ仙寿に拒否する権利などない。それこそ十重二十重のしがらみと、これまで奪い続けてきた誰かの怨嗟が、この家を、刺客たる仙寿を縛り上げて繰っているのだから。
 しかし。その仙寿に父は大太刀を与えた。暗ならぬ陽の道行く者たる証――いったい父上は俺になにをさせたい?
 と。玲瓏と冴えた声音が仙寿のうつむいた顔を上げさせた。
「重要なことはただひとつ。日暮仙寿、おまえはどうしたい?」
 墓場鳥は一歩仙寿へ歩み寄り、また言葉を重ねる。
「この場にいる我々を、その後ろにある多くの友を、名はおろか顔さえ知らぬ数多の命を、不知火あけびを、すべてを内包するこの世界と――その中心たるおまえ自身を」
 俺がどうしたいか?
 ……あの明ける日を見上げたとき、俺は剣客になりたいと願った。誰かを護る剣となることを、共に誓った。
「俺は」
 仙寿の眼前に立った墓場鳥が仙寿の言葉を止めた。
 柄でもないが、今は……今こそは、為さねばなるまいよ。貴公と浅き友誼を交わし、今は厚き情を積み上げてしまった私なればこそ。
 そしてその引き締まった面に、木漏れ日のような慈しみを湛えて。
「それを語るは私にではあるまい。そしてその言葉こそが答であろう。あとはそれを示すべきものに示せ」
 墓場鳥は開いていた仙寿のシャツの第一ボタンを留め、少々過ぎるほどの力を込めて襟を正す。
「肚に力を入れ、心を据えよ。誰に揺らされたとて崩れぬように。そしてすべてを背負い、胸を張って前を見ろ。仙寿、貴公の道はその先にこそある」
 続けてかろやかな足取りで仙寿の後ろへ回り、その背を押した。
「行け」
 押し出された仙寿は、その足にまとわりつく逡巡を蹴りとばすように、今度は自らの意思でもう一歩を踏み出した。
 そんな彼を見送るのは、央の言葉。
「剣客でありたいと願えば“家”というものが持つ業と向き合わなきゃならない。その覚悟を決めたのなら」
 仙寿にはわかっていた。次に続く央の言葉が。
「君の背中、俺たちが支えるよ」
 だから振り向くことなく三歩めを踏み出し、胸中で吐き捨てた。
 央。マイヤ。墓場鳥。かっこいい大人ってやつを見せつけてくれたな。早く並び立ちたいって、本気で悔しくなる。

 仙寿を送り出した墓場鳥はひとり息をつく。
 迷いは剣閃を鈍らせる。しかし己が心を研ぐ石――意志ともなろう。若さゆえの苦悩などとは言うまいが、今は悩み、己を研ぎ上げるがいい。いずれ貴公と“家”とを縛る宿命の血鎖を断ち斬るまでに鋭く。
 私は見守ろう。貴公と、貴公を取り巻く者たちとが描く先を。


 道場へと戻り行く仙寿が足を止めた。
「……仙寿さん」
 彼の前に立ち、六花はほぅと息をつく。よかった、いつもの仙寿さんだ。
 最初に道場で見たとき、仙寿はひどく不安そうで、いつになく弱々しかった。
 当然だ。隠し通せたはずの闇を、いちばん知られたくなかったはずの自分たちに晒そうというのだから。
 六花とて、真実を打ち明けられて揺らがなかったかといえば嘘になる。
 しかし。
 しかし英雄からは、それほど大事な話なら、受け止める六花もまた自分にすがらず聞き通し、受け止めるべきだと促され、ここまで来た彼女である。覚悟と決意だけなら他の誰にも負けてはいない。
 それになりより、誰かを護るために死地を先駆ける仙寿の背を、幾度となく六花は見届けてきたのだ。彼の剣が誰かを護り救う強さを、そのために深手を負う覚悟を、為したことに見返りなど求めぬ高潔を。
 先日からの善性愚神の一件で、思うところはある。過去の咎はきっと償えるのだと信じてもいる。
 ――ちがう。そんな理屈で片づけたいものなんかじゃ、ない。
 仙寿さんのことずっと見てきた六花は、ただ仙寿さんのこと信じてる。誰かのために傷ついて、それでも誰かが傷つかなくてよかったって笑ってくれる仙寿さんのこと。
 こんなに伝えたいことがたくさんあるのに、六花はなにも言えなくて。なにをどう言えば仙寿にこの思いが伝わるのかわからなくて。
 仙寿の顔を見れば、央や続いて出て行った墓場鳥がちゃんと伝えるべきを伝えてくれたんだろうことは知れる。
 でも。
 六花はどうしても伝えたいの。
「……ん」
 自分の言葉で、仙寿さんに。
「刺客だから、なに……!?」
 六花を全部込めて、声の限りに思いを。
「仙寿さんは、仙寿さん……ですから! 六花は、仙寿さんのこと、仙寿さんだって、思ってますから……! それだけの、ことですから!」
 ああ、こんな言葉じゃなにも伝わらない。わかっていながら、必死で叫ぶ。
 後悔なんて置いていけばいい。
 罪なんて償えばいい。
 だから来て、仙寿さん。
 六花がいて、みんながいるこっちに。
 声音と共にあふれ出る思いは夜風に霧散して、仙寿に届かなくて――
 と。
 ふわり。
 六花の小さな体が包まれた。
「あ……」
 それは熱だ。仙寿の体に灯る、命の熱。
「ありがとう。みんなが……六花が俺を俺にしてくれた。その俺を、俺は貫く」
 春風のように過ぎていったぬくもりの余韻を、六花は自分の体ごとそっと抱きしめた。
 伝えたいことが伝わったなんて思い上がらない。でも仙寿は六花の言葉を受け止めて、強い足取りでこちら側へ踏み込んできた。
 うん。仙寿さんは、仙寿さんだ。
 今はそれだけで、いい。


 道場に戻った仙寿の顔を見て、あけびは小さくうなずいた。
 仙寿様の陰が消えてる。
 あけびは思う。仙寿の陰を払ってくれた央を、マイヤを、墓場鳥を、そして六花を。
 そしてナイチンゲール、仁菜、リオンの背に胸中で語りかけた。
 今なら届くよね。みんなの声が。
 だから見守るよ。仙寿様が仙寿様の答にたどりつくまで。
 あけびはあらためて腰を据え、待つ。

「繰り返しになっちゃいますけど、驚きました」
 仁菜がまっすぐ仙寿を見上げ、言い切った。
 仙寿はそれを真っ向から受け、ただうなずく。
 うん、それがいいです。私、仙寿さんにあやまってなんてほしくないから。後悔も悩みも全部飲み込んであやまらない仙寿さんにじゃなきゃ、言えない。
「私、妹がいて、今も病院で眠ったまま起きなくて……妹のこと守りたくて、エージェントになったんです」
 ぐぅ。迫り上がる思いが喉に詰まる。
 それでも、語らなければ。
 今ここで、この人に。
「でも今は妹だけじゃなくて、世界中の誰かのこと守るんだーって、なんだかおっきなこと言っちゃってますけど……でもそう思ってて」
 ありったけの思いを込めて、仁菜が仙寿に手を差し出した。
「仙寿さんは私の同志です。仙寿さんの誰かを守りたい気持ち、私ちゃんと知ってますから」
 するとリオンが仁菜の言葉を引き取って。
「問題なんかないって言ったら逆に失礼かなって思うけどさ。仙寿さんは誰かを護る刃なんだろ」
 仁菜と手を重ね、さらに強く仙寿へ伸べた。
「だったら俺は信じる。仁菜といっしょに見てきたからさ、仙寿さんのこと。――行こう、俺たちといっしょに」
 次いで、ふたりの手を支えたナイチンゲールが仙寿に問う。
「ね、仙寿くん。お父様のこと、好き?」
 仙寿は肯定も否定もできぬまま固まった。
 俺は父上をどう思っている? いやむしろ父上は俺をどう思っているんだ?
「きっとね、お父様やそのまたお父様――この家の当主だった人たちみんな、あなたと同じように悩んで、苦しんできたんだと思う」
 家の宿命は重い。過去の悔いは辛い。わかってる。でも、あなたの重さも辛さも、私がわかった顔でうなずいていいものじゃない。
「だから、お父様はあなたに選んでほしかったんだと思う。日暮の誰にも為し得なかった未来を。だってそれができるのは独りぼっちの当主様じゃない、あけびちゃんっていう運命の片翼と共にある仙寿くんだけなんだもの」
 だから私は、みんなといっしょに精いっぱい手を伸ばすの。
 ナイチンゲールは仁菜、リオンと重ねた手で仙寿の手を取り、引き寄せた。
 そして三人で送り出す。彼が答を告げるべきただひとりの存在、あけびの元へ。
 背を伸ばして座すあけびの前に腰を下ろし、仙寿はうつむいたまま言葉を放した。
「みんなが教えてくれた。俺が知っているはずの、俺の答を」
「うん」
 ただうなずくあけび。
 自らの決意をもって顔を上げた仙寿はあけびと向き合い。
「俺は濁を握り込んで清の刃を振るう」
「それが仙寿様の答?」
 今、俺に問うているのはあけびだけじゃない。
 父上もまた俺に問うている。
 闇と光、ふたつの証を与えられてとまどうばかりだった俺にみんなが思い出させてくれた、俺の答を。
「ああ。誰かを救い、護り抜く刃としてこの業と技とを尽くす。けして咎を忘れない。しかし迷わない。そして違えない。俺は、この命尽きるまで剣士として生きる」
 仙寿の傍らにはリオンが、仁菜が、ナイチンゲールがいた。後ろには央が、マイヤが、墓場鳥がいて、六花がいる。
 そして。
 目の前にいるあけびが腰から守護刀「小烏丸」を鞘ごと引き抜き、仙寿に伸べた。
「今度こそ誓う」
 あけびの手に仙寿は万感を込めた手を重ね、仙寿は今このときにこそ剣士となったのだ。


 翌日、日暮家の門を抜けた仙寿は歩を急がせる。
「思うがままに伝えたか」
 墓場鳥に仙寿はまっすぐと応えた。
「咎から目を逸らさない。その濁を負い、清を貫く。そう伝えた」
 いい顔だ。闇が貴公の歩みを妨げることはもうあるまい。あとはただ、ひたむきに光へ向かうがいい。
「お父さん、なんて言ってました?」
 墓場鳥に続いて問う仁菜に仙寿は苦笑を返し。
「容易く逃げられはせんぞ、とな」
 仁菜は前を向いてうなずき、笑んだ。
 お父さんが本当はなにを考えてるかなんてわからないけど、仙寿さんが考えてることはわかります。最初から逃げるつもりなんかない! そうですよね?
 その思いを後追うように、仙寿が言葉を重ねる。
「俺は逃げない。過去と向き合ったまま、なお先へ進む。俺はそう決めたから」
 ナイチンゲールは思う。
「容易く」って言ったお父様はやっぱりあなたに託したんだね。がんじがらめの宿命を断ち斬る希望を……呪わしい力で拓かれる祝うべき明日を。
 あなたこそ、解放を担う運命の子なんだよ。
 その傍ら、マイヤが薄笑んだ。
 心が据わったわね、仙寿くん。
 たとえあなたの行く道がどれほど険しいものなんだとしても、あなたの意志は灯火になってあなたを導くわ。
「なら、俺の答も変わらない。そういうことだ」
 央が仙寿の背に手を置き、共に踏み出す。
 君の罪を計ることなんて俺にはできないけどな。君が戻ることなく行くなら、俺たちが背を支える。その程度の甲斐性を見せられなくて、大人だの先達だの言えるもんか。
「今日の依頼って一般人の救助だよな。急がないと」
 さらに足を速め、リオンが一同を促した。その中にはもちろん仙寿もいて。
 俺は仙寿さんを疑わないよ。言うばっかりじゃなくて見せてくれたからな。誰かを護りたいって気持ち、思いっきり。だからいっしょに行こう。世界のどこかで待ってる誰かのところにさ。
「……ん」
 六花の手が仙寿を招く。
 仙寿さんはきっと自分の足でどこにだって行ける。でも、六花はいっしょに行きたい。いっしょに生きたい。だから――繋ぎ止めたい。同じ道に、仙寿さんのこと。
 こんなのただの我儘だってわかってるけど、でも。六花は我儘になるんだって決めたから。

「仙寿様」
 あけびが仙寿に並ぶ。
 同じ道を、同じ速さで、行く。
 仙寿は視線を流してあけびを見やり、口を開いた。
「そのときが来たら、もうひとつ話したいことがある」
 今はまだ、語るべきときではないから。
「うん。私にも話したいこと、あるから」
 それもまた、この場で語るべきものではなかろう。しかし。
「……多分、もうすぐそのときが来るんじゃないかって思う。私にも、仙寿様にも」
 仙寿は力を込めて駆け出した。
「来るなら待つ。来たなら迎え討つ。だがそれまでは、護る」
 仲間と共に彼は行く。
 志にて迷いを踏み越え、明けの光さす明日へ向けてひたむきに。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【日暮仙寿(aa4519) / 男性 / 17歳 / 守護者の光】
【不知火あけび(aa4519hero001) / 女性 / 18歳 / 闇夜もいつか明ける】
【迫間 央(aa1445) / 男性 / 25歳 / 素戔嗚尊】
【マイヤ サーア(aa1445hero001) / 女性 / 26歳 / 奇稲田姫】
【ナイチンゲール(aa4840) / 女性 / 20歳 / 【徴】を刻む者】
【墓場鳥(aa4840hero001) / 女性 / 20歳 / 【能】となる者】
【藤咲 仁菜(aa3237) / 女性 / 14歳 / 生命の意味を知る者】
【リオン クロフォード(aa3237hero001) / 男性 / 14歳 / 希望の意義を守る者】
【氷鏡 六花(aa4969) / 女性 / 10歳 / 絶対零度の氷雪華】
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2018年05月28日

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